これは勝川春章(享保11〜寛政4・1726〜93)の役者絵だ。
制作年は安永6(1777)年。
このところ内紛が続き客の入りが悪い中村座が、
初春興行に中村富十郎を呼んで「京鹿子娘道成寺」を出した時の絵だ。
初演から25年も経つというのに、富十郎の美しさは少しも変わらず、
2月から6月までのロングランとなった演目だ。
右は2代目嵐三五郎の西行法師、左は三代目大谷広次のマンガク上人。
ちなみに今ではこの白拍子の名が「花子」に定着しているが、
富十郎の時代は「横笛」だ。
前場の演目によって白拍子の名はいろいろ変わり、花子に定着するのは明治以降の事という。
制作年は安永6(1777)年。
このところ内紛が続き客の入りが悪い中村座が、
初春興行に中村富十郎を呼んで「京鹿子娘道成寺」を出した時の絵だ。
初演から25年も経つというのに、富十郎の美しさは少しも変わらず、
2月から6月までのロングランとなった演目だ。
右は2代目嵐三五郎の西行法師、左は三代目大谷広次のマンガク上人。
ちなみに今ではこの白拍子の名が「花子」に定着しているが、
富十郎の時代は「横笛」だ。
前場の演目によって白拍子の名はいろいろ変わり、花子に定着するのは明治以降の事という。