77-「紀文大尽」(1911・明治44年)その1
昔、江戸では11月8日に鞴(ふいご)祭りという行事が行われていた。
鍛冶屋・鋳物師・鋳物師などの火を使う商売家では、
この日に仕事を休み、ふいごを清めて注連縄を張り、
お神酒やお供えものをして、ふいごの神様に感謝と安全を祈る。
このとき屋根の上から餅を撒くのが習わしだったのだが、
餅は汚れる、ということでいつの頃からか、みかんに変わった。
このみかんを食べると、風邪やはしかにかからないのだとか。
江戸中の鍛冶屋関係、それに縁起を担ぐ一般の商屋までもが
その日に一斉にみかんを撒くのだから、その数たるやおびただしい。
当然品薄、ご祝儀相場となって、みかんの値段は上がる。
ある年、紀州ではみかんが大豊作。
だが、さて出荷だ、という段になって、海が荒れて出航不能。
鞴祭りを当て込んだ江戸のみかんが高騰した。
一方、紀州では行き場を失ったみかんがだぶつき、大暴落。
ここに目つけたのが、紀州の五十嵐文平。
文平は舅から金を借り、ぼろ船を突貫工事で修理。
船乗りを一人二百両(約1200万円)で口説き落とし、
船一杯にみかんを積み、荒れ狂う海に漕ぎだした。
みな、死に装束に身を包んで、死を覚悟の航海だ。
『時に正保元年 霜月始めつかた
続く嵐に海荒れて 船はものかは空翔ける
鳥さえ通はぬ 浪の上
柱も折れよ 帆も裂けよ
経帷子(きょうかたびら)に縄だすき
命知らずの船夫(ふなこ)ども
櫓声合わせてえっしっし
たださえ難所と聞こえたる
遠州灘を乗り切って
品川沖に現れしは
名にし紀の国蜜柑船
幽霊丸とぞ知られける』
これは意訳の必要はないだろう。
作詞は劇作家の中内蝶二で、長唄研精会のために書かれた新作だ。
〓 〓 〓
tea breaku・海中百景
photo by 和尚
昔、江戸では11月8日に鞴(ふいご)祭りという行事が行われていた。
鍛冶屋・鋳物師・鋳物師などの火を使う商売家では、
この日に仕事を休み、ふいごを清めて注連縄を張り、
お神酒やお供えものをして、ふいごの神様に感謝と安全を祈る。
このとき屋根の上から餅を撒くのが習わしだったのだが、
餅は汚れる、ということでいつの頃からか、みかんに変わった。
このみかんを食べると、風邪やはしかにかからないのだとか。
江戸中の鍛冶屋関係、それに縁起を担ぐ一般の商屋までもが
その日に一斉にみかんを撒くのだから、その数たるやおびただしい。
当然品薄、ご祝儀相場となって、みかんの値段は上がる。
ある年、紀州ではみかんが大豊作。
だが、さて出荷だ、という段になって、海が荒れて出航不能。
鞴祭りを当て込んだ江戸のみかんが高騰した。
一方、紀州では行き場を失ったみかんがだぶつき、大暴落。
ここに目つけたのが、紀州の五十嵐文平。
文平は舅から金を借り、ぼろ船を突貫工事で修理。
船乗りを一人二百両(約1200万円)で口説き落とし、
船一杯にみかんを積み、荒れ狂う海に漕ぎだした。
みな、死に装束に身を包んで、死を覚悟の航海だ。
『時に正保元年 霜月始めつかた
続く嵐に海荒れて 船はものかは空翔ける
鳥さえ通はぬ 浪の上
柱も折れよ 帆も裂けよ
経帷子(きょうかたびら)に縄だすき
命知らずの船夫(ふなこ)ども
櫓声合わせてえっしっし
たださえ難所と聞こえたる
遠州灘を乗り切って
品川沖に現れしは
名にし紀の国蜜柑船
幽霊丸とぞ知られける』
これは意訳の必要はないだろう。
作詞は劇作家の中内蝶二で、長唄研精会のために書かれた新作だ。
〓 〓 〓
tea breaku・海中百景
photo by 和尚