西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

5世 杵屋三郎助

2011-07-07 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
5世 杵屋三郎助


杵屋六左衛門(10代目)は59才の8月(1858・安政5年)、
長崎から江戸に広がったコレラにかかり、あえなく死んだ。

六左衛門には実子なく、義兄の子栄蔵と、
芳村孝三郎(2世)の次男六松を養子にとった。

栄蔵は三郎助(5世)を、六松は喜三郎(11代目)を名乗り、
方や44才、方や20才の立派な三味線弾きに育った。
三郎助は天賦の才に、六左衛門の英才教育が加わり、鬼に金棒。

六左衛門には、南部公がパトロンについたが、
三郎助には信濃松代藩の9代目藩主、真田幸教がパトロンについた。

幸教の養父(祖父)、8代目幸貫(ゆきつら)は松平定信の次男で、老中まで勤めた人。

大坂夏の陣(1615・元和元年)で、
家康の本陣めがけて決死の突撃を仕掛けた真田幸村(正しくは信繁)
は遠い先祖だ。

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tea break・海中百景
photo by 和尚


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