安達吟光(嘉永6〜明治35・1853〜1902年)の
「大江戸芝居年中行事」の4、「猿若の宝物」だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/de/fc9db36c5685943255424c1d280c5998.jpg)
書き入れ
「猿若の宝物
寛永9申年 徳川家の軍船安宅丸(あたけまる) 伊豆の国より江戸へ来たりし時
猿若勘三郎に命じて 船首(みよし)にて木遣り音頭を唱はしむ
此の節 金のざい(采配・軍配様のもの)を賜る
勘三郎代々の宝物となし 甲子の年 または座元代替わり等には
此のさいをも他の宝物と共に 舞台へ陳列し 勘三郎覆面にて
宝物を捧げ 市川団十郎此の来歴を述べ 次いで木遣り音頭を唱う
それより 猿若狂言を演ずるを吉例となす
千村
旭の○に 雛の舞い ○かも いほなり」
寛永9(1632)年は家光が将軍になった年だ。
安宅丸は伊豆で4年もかけて造られた豪華大型軍船だ。
勘三郎は入津の音頭取りに任ぜられた。
その時に拝領になったのが、マスクをした勘三郎が掲げている采配だろう。
この時の様子は長唄「安宅丸」(明治17年・杵屋正次郎作曲)に描かれている。
「大江戸芝居年中行事」の4、「猿若の宝物」だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/de/fc9db36c5685943255424c1d280c5998.jpg)
書き入れ
「猿若の宝物
寛永9申年 徳川家の軍船安宅丸(あたけまる) 伊豆の国より江戸へ来たりし時
猿若勘三郎に命じて 船首(みよし)にて木遣り音頭を唱はしむ
此の節 金のざい(采配・軍配様のもの)を賜る
勘三郎代々の宝物となし 甲子の年 または座元代替わり等には
此のさいをも他の宝物と共に 舞台へ陳列し 勘三郎覆面にて
宝物を捧げ 市川団十郎此の来歴を述べ 次いで木遣り音頭を唱う
それより 猿若狂言を演ずるを吉例となす
千村
旭の○に 雛の舞い ○かも いほなり」
寛永9(1632)年は家光が将軍になった年だ。
安宅丸は伊豆で4年もかけて造られた豪華大型軍船だ。
勘三郎は入津の音頭取りに任ぜられた。
その時に拝領になったのが、マスクをした勘三郎が掲げている采配だろう。
この時の様子は長唄「安宅丸」(明治17年・杵屋正次郎作曲)に描かれている。