ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

昨日の件

2018年08月18日 | 介護
昨日の件だが、おかしいいと思う。
彼が私の息子や孫で無くて良かったと思う。
彼は世間を甘く見ているのだ!
苦労をしたことが無いのだ!
世の中も世間もそんなに甘くは無いのだ!
おそらく社会人になったら上手に世渡りをするだろう。
苦労もせずに生活するのだろう。
人生の辛苦味わったことが無いのだ!
両親が揃って兄弟がいる暖かな家庭で育てられたのだ!
ましてやお金さえあれば何でも買える時代の子なのだ。
そもそも彼の小遣いが変だ!
何を買おうと文句を言わない親も変だ!
そう言えば彼が中学生の頃に小遣いはもらっていないと言ったことがあった。
小遣いをもらっていないと言いながら彼はネットで買い物をするのだ。
なぜ?
親のカードだ。
親のカードを使うのだ。
全くもらっていないのなら、学校帰りに喉が渇いても何も買えない。
お腹が空いても何も買えない。
金さえ出せば暮らせる裕福な時代に生まれたのだ。
戦争のない国に生まれたのだ。
何の制約もない家庭で育ったのだ。
私の家庭はあらゆる面で制約があった。
門限が決められ、小遣いが決められ、使い道に文句を言われていたのだ。
寝る時間まで決められていたのだ。
戦争のない国に生まれ、未成年でありながらも、放任主義の家庭で育てられたのだ。
本当の意味での苦労を彼は知らないのだ。
そう言う人間は世間に出ても上手に世渡りをするだろう?
しかし、上手に世渡りしてもそう言う人が一旦挫折を味わうとすごいことになるのだと思う。
私は子供を産み育てたことが無いので何とも言えないが、我が子で無くて良かったと思う。
他人の飯はかってでも食うのだ。
世の中の辛苦を味わうのだ!
世の中には底辺で苦しんでいる人もいるのだ。
何でも手にはいると言う考え方は捨てるのだ。
自分にけじめをつけるのだ。
物事の良し悪しを身に付けるのだ。
私などは60年生きていて多少なりとも他人の飯は食ったことがある。
世間の荒波にも揉まれたことがある。
人生の辛苦も味わっているのだ。
欲しくても買えないこともままあるのだ。
門限は決められ、小遣いも決められ、制約もあるのだ。
このところ平日の夜の一人での外出は出来ない。
出掛けても帰って来て夕食は作るのだ。
作らなくても何かしらするのだ。
湯水のようにお金は使えないのだ。
生活がかかっているのだ。
世の中も社外もそんなに甘くないことを知っている。
世の中の底辺で暮らしていて苦しんでいる人がいることも知っている。
60年生きてきた人生の中で辛苦を味わってもいるのだ。
挫折から這い上がる苦労や辛さも多少なら知っている。
結婚する前は月3万円の小遣いだった。
その中からお昼代を捻出し、靴やハンドバッグや洋服も買うのだ。
誘われて行く飲み会の費用も捻出しするのだ。
時代が違うと言えばそれまでだが、そうなのだ。
もちろん家に生活費は入れるのだ。
若者は苦労を知らない。
金さえ出せば何でも買える事態に生まれたのだ。
戦争のない国に生まれたのだ。
そんな子に苦労はかってでもしろ!と、言うのは無理なのだ。
私の息子や孫で無くて本当に良かったと思う!
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