コロナに感染してから1週間ほど母のベッドで寝ていたら持病の腰痛が悪化した。
それでもコロナは寛解したので、母の入院している病院に行った。
たった10分だったが母と面会をした。
車椅子で現れた母は小綺麗だった。
真新し服を着せられズボンを履いてお風呂にも入れてもらったのか?
小綺麗だった。
思わず私は泣きそうになった。
入院させたことは本当に良かったのか?
幸い私のことは覚えてくれていた。
しかし話はとんちんかんだった。
とっくに亡くなったおばあちゃんの話や田舎にいる母の一番下の弟の話も出てきた。
おまけに私はどこかの先生の家の2階に住んでいるらしい?
家は自分の家だといい、おばあちゃんはとっくに亡くなったことを話した。
母の一番下の弟は田舎にいることも伝えた。
その後、看護師さんと相談員さんが来たので、看護師さんと話をした。
幸い病院内では薬のおかげがせん妄もなく過ごしていると言う。
ただレクリエーションは参加しないとのこと。
そもそも元々レクリエーションの類いは嫌いです。
カラオケは大嫌いです。
その他、折り紙やぬり絵や手作業の類いは嫌いです。
出来るのは和裁と洋裁ですが、目が悪くなり針に糸が通せなくなりすっかりやらなくなりました。
編み物は出来ません。
絵を描くことも出来ません。
その点父は絵を描くこともカラオケも折り紙もお裁縫以外は出来ました。父の方が他人より得意なものが多かったように思います。
演歌も民謡も歌います。
ジグソーパズルは私が買ってくると父がやってしまいました。
父の方が器用でしたね。
料理もします。
そもそも私が物心ついたときには蕎麦とうどんの店をやってました。
すぐにつぶれましたがね。
私が二十歳の時にはラーメン屋をやりました。
これもすぐにつぶれましたがね。
寿司屋の寮で管理人をしてました。
食事は母が作りますが、時々父も作ってました。
以外と父は母より器用でした。
話は戻すが、今日は相談員さんとも話をした。
今後のことなどを話した。
母は国民年金とわずかばかりの父の遺族年金しかないこと等を話した。
グループホームに入れるか?
特養に入れるか?
とにかく自宅に帰ればまた元に戻るかも知れないのだ。
私は思うように外出も出来ずに、きちんと寝ることも出来なくなるのだ。
自分の身体も不整脈もあり、腰痛もあり、あちこちがたが来ているのだ。
今後をどうするのか?
地域包括支援センターの他人とも相談して決めたいと思います。