ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

ゆるゆる

2017年09月20日 | 食べ物


    テレビで、100歳のお年寄りの「週三回食べるこだわりの食べ物」を取材して、スタジオで
    お医者様がその長寿効果を語り、
    人気タレントさんたちが、クイズまがいの質疑に応答するバラエティ番組があった。

    豚肉、鶏肉、卵、鮭やサバ。納豆、豆腐など、まあ、身近で手に入りやすい食材ばかりで、
    いくらか安心させられ、親しみを覚えるリポートになっている。

    とはいえ、何となく、笑ってしまうそのゆるゆるぶり。

        

    長寿のお年寄りが増えた大きな原因に、食物があるのは事実。
    でも、もっと大きいのが医療と福祉の進歩でしょうと、思うのです。

    まず、乳幼児期に死ぬはずだった多くの命が救われている。
    お産で亡くなるリスクも驚くほど低下している。

    難病の多くに、根治または、よい対症法ができている。
    がんさえ撲滅しそうな勢いの医療の進歩、

    住宅や乗り物での冷暖房完備、衣服や住まいの快適さ。

    やさしい救急車と、病気に対する驚くほどていねいなケア、

    これらがなければ、私も、今日まで生きてはいないと思うのです。

       

      せっかく、生まれたのだから、
      せっかく、いただいた生命なのだから
      何が何でも、死んだら終わりだから、
      人ひとりの命は、地球より重いのだから、
      老人は社会の貢献者なのだから、
      老人はあなたがたのお父さんお母さんなのだから、
      老人は知恵があるのだから、
      100歳の老人は、いま50歳である人に、あと50年の人生というビジョンを与えてくれるのだから、

    子どもたちのためにも、
    一日でも長生きしようとするのは、
    良いことです。
    でも、

    何となく笑ってしまったのです。
    いま、100歳の御年寄りの食べている食物を、目の色変えて、明日から実行しようと
    意気込む番組の態度に・・。

    だって、今よりはるかに、医療も、福祉も、環境の良さもなかった時代を生き抜いて来た方の
    生命力と運の強さを、まったく度外視してる。

        

    はっきりしているのは、100才まで、120才まで生きても、
    「人は死ぬものである」ことです。 

    まあ、そんなシリアスなことを言わないでという声がきこえてきそう?
    せっかくの夢なのだから
  
    
    夢は、ゆるゆるの笑顔の中で生まれるものなのだから、
    面倒なことは思わず、豚肉にも豆腐にも、鮭やサバにも、夢を託して、

    さあ、ゆるゆると行きましょう。




    
    

新しい気持ちで

2017年09月01日 | 聖書



     こんにちわ。やっと九月になりました
     皆様、お元気にお過ごしでしょうか。

     振り返ると、まるまる一か月の間、「ノアの小窓から」をやすんでしまいました。

     体力の限界を、これほど感じた夏はありませんでした。
     老化が確実に訪れているのを認めないわけにはいきません。

     すべての生きとし生けるものには、神さまがお定めになったプログラムがあるのですから、
     自分だけ、また、老いに対してだけ、例外を思うのは、ムシが良すぎるかもしれません。
     じっさい、子どものときは、成長する楽しさと同時に、不自然さに戸惑う時代だったし、
     若い娘のときは、気が散ることが多くて、喜びと苦しさが背中合わせだった。
     結婚して、だれかと暮らす日々は・・・。

     とにかく、あっという間に時間が過ぎて、
     いまは、ときどき、自分が地に落ちている空蝉のように感じる・・・

     でも、もちろん、深刻ではないのです。

     私たちは、
    「死んでも生きる」者であり、「生きていてわたし(キリスト)を信じる者は決して死なない」
     と、神様から約束していただいている。

     今月は、敬老の日があるので、
     老いと、この世での人生の終わりを、
     聖書で、見て行きたいと思っています。

     希望をこめて!!
     


      聖書箇所ヨハネの福音書11章25節26節




   ★ブログはもう一つ、聖書通読エッセイを出していて、それだけはなんとか書き続けています。
    よろしければ、お訪ね下さい。

     
      http://joshuacanan.seesaa.net/