ノアの小窓から

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プレゼント

2014年03月01日 | 日記


 
 読者から、「子供たちへのおみやげは、いつ上げたの」とご質問がありました

 出発前に、このブログで、教会の人たちから預かった子供へのお土産の写真をアップしていました。

 私は、MCC(町田クリスチャンセンター)の信徒から、子どもたちへの文房具やおもちゃをたくさんお預かりしました。



                       


 S牧師とS牧師の教会の信徒であるUさんは、大量の衣料品を持ってきました。

 日本の衣料品はしっかり縫製されていて、古着であっても好評なのです。
 日本の文具は、言うまでもなく、さとうは、「世界一」かなと思っています。
 性能だけでなく、デザインや使いやすさ、かわいらしさや洗練など、必要に応じて様々なものがそろっていますし、長持ちします。

 もっとも、今回のものは、小さな子供向きで、100均で買えるようなものもけっこうありました。



                


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 ただ、これらを個々の子どもたちに、私たちが手渡しで配るということはありませんでした。
 同じものが公平に行き渡るか、それぞれの必要がどのようなものか、私たちは知らないわけです。
 それで、それぞれの教会用に分け、その教会の牧師に分けていただくことになったのです。
 
 
 フィリピンは、子だくさんの文化です。いたるところに子供がいます。当然ながら、みんな可愛いのです。ピトの教会を訪問した時、山の中でみんな粗末なものを着ていたので、私とUさんは子供にプレゼントを上げたくなったのですが、S先生の答えは「ノー」でした。

 「隠された釣り針の餌のように、プレゼントを使ってはならない。」
 これは、S先生が40年前に、「はだしで歩き、腰巻で過ごしているような」山の人に伝道しているときからのポリシーです。(今は、さすがに、はだしの人、腰巻の人はいないようです)
 モノは適正に扱わないと、人間関係をゆがめます。
 分配の仕方によっては、嫉妬やうらみを起こします。
 転売して儲けるなど間違った使われ方もありえます。
 モノにつられて信仰をもつのは、もっと危険です。
 
 
 なんといっても、山の人たちは、ある意味で、私たちより確かに自分の足で生きている人たちです。決して援助を必要とする「難民」ではありません。

  
 行く先々で出される食べきれないほどの「ごちそう」が、みなさんの心意気を表していました。
 

 
 
                     


 訪問する側は訪問先に敬意を表し、迎えてくださる側はあたたかいもてなしで受け入れて下さる、この訪問旅行には、そのような基本が、ありました。








  




          


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