ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

ZOOM体験

2020年06月05日 | 歴史

 4月から教会の礼拝会がZOOMになった。  知事さんたちがオンライン会議をしたり、学校がオンライン授業をしているのは、どうやらこのシスいたのですしテムらしいと、おっかなびっくりで参加したのです。 
 当日の朝、このURLにつないでくださいと、メールをもらっても半信半疑。URLをクリックしてつないでみたのは、ただ「好奇心と信徒としての義務感」。なんといっても、教会での日曜礼拝は、私のカレンダーに刷り込まれているのです。
 ふつう、日曜の朝は教会堂に行き、賛美(歌)を歌い、教会の報告を聞き、みんなと握手をし、牧師の説教を聞く。終わるなり、そそくさと帰宅を急ぐときあり、仲間とランチに出かけるときあり、スーパーで買い出しすることもあり、etc・・・。  

 初回は、音声に途切れがあったり、カメラワークがいまいちだったり、あまり厳粛な雰囲気が伝わってこないなあと、「おっかなびっくり」評論家をやったりしていました。実際につないだ人も、礼拝堂礼拝に比べて半分以下。高齢の人たちは、スマホをもっていてもなかなか、クリックのハードルが高そうです。 
 でも、二回目以降は、まずまずの礼拝会でした。奇妙なのは、牧師とスタッフたちは礼拝堂にいるのに、自分は家にいるという事実です。PCの前で、Coffee をわきに、たった今までネットを見たりしていたのです。
  急いで髪にくしを入れ、そそくさとメイクなんかしてみるけれど、あまり変わり映えもしなくて、やがて、「なんと楽々なこと!」と気が付いたのです。参加者は、出席者の名は出るけれど、顔は出さなくていい! 

   ★★★★  

 二週間ほど前から、ZOOM祈祷会も、もつことになりました。  祈祷会という言葉は、ちょっと教会用語ですね。とはいえ、「顔合わせ祈り会」と言い換えても、わからないかもしれません。 クリスチャンはいつも祈っているのですが、その祈りをみんなで集まって行う会です。

 聖書には、「二人でも三人でも、わたしの名で集まって祈るところには、わたしもそこにいる」という神のお約束が書かれています。一人でいても、神様はいつもともにいて下さるのですが、何しろ「愛の神様」ですから、人との交わり、信徒同士のまじわりをご覧になって、お喜びになるのです。

 というわけで、祈祷会なのです。「オンラインで、交わりといえるのか」という向きもあるかもしれませんが、コロナに降参するわけにはいかないのです。
 これは、いわゆるオンライン会議方式です。出席者全員の顔が画面に出て、発言は双方向で、発言するたびに、発言者の顔には枠がかかる。なかなかエキサイティングです。

 結論、ZOOMの会合はなかなか良いものでした。
 私にとっては歴史の一ページといえるほどの体験でした。
 実は、どこかの国にスパイされているのだというような説もあるのですが、秘密にしなければならないようなことは何もない向きには、上々ですね。

 ZOOMの契約はだれでも簡単にできそう(主催者有料)ですから、趣味の会や、お茶会もできそうですね。

 まずは、コロナの終息を祈りつつ・・
 


 
 







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