ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

崇徳院とオネシモ

2016年02月22日 | 聖書




      先週金曜日の夜、神保町の「ハイランズ・バー」で行われた、「落語」「聖書劇」「宴会芸」のおさらいです。

      宴会芸は、面白いけれど見ていただくしかないのです。
      落語の「崇徳院」は、平安時代末期・悲劇の天皇で知られる崇徳院の和歌

           
           瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の
                     われても末に 逢はむとぞ思ふ


      に、ひっかけた楽しいお話で、古典落語としても有名です。
      私は、久しぶりに聞いて、
      他愛ないお話だけれどよくできているなあと感心しました。

      もちろん、二つ目の新進噺家・三遊亭遊助さんの「芸の力」によるところが大きいのですが。

      行きずりに出会った若い男女がひと目ぼれしてしまう。

      別れ際、とっさに、この歌の下の句を書いて、若旦那に渡す令嬢、それから、
      それをもらった若旦那と、令嬢の二人とも、同時に重症の恋わずらい。
      それを知った周りの人たちが、歌の下の句を頼りに相手を探して回るなんて、
      ほんとに優雅な話です。

      下の句を叫んで回る長屋の熊さんが、全く歌の意味もわからない無学で素朴な人であるのも、
      面白い!


           


       「ピレモンへの手紙」は、新約聖書のパウロの書簡の最後にある短い手紙です。

       ローマ帝国の囚人となっていたパウロのもとに、誠実なキリストの信仰者ピレモンの奴隷オネシモが
       やってきます。じつは、主人ピレモンの家の金を盗んで逃亡してきたのです。
       オネシモも、ピレモン同様パウロの伝道で救われた人でした。

       パウロはオネシモを説得して、主人のもとへ帰します。盗んだ金を弁済し、
       主人ピレモンへの手紙を持たせて、オネシモを赦して、受け入れるように頼むのです。

       クリスチャンは、この世での身分は奴隷と自由人であっても、同じ主にある兄弟です。
       パウロは、オネシモにも自覚を促し同時にピレモンに、主にあって赦して受け入れるよう書いています。

       ほんとうに、「美しい話です」

       1ページ半ほどの短い手紙ですから、聖書をお持ちの方は是非、お読みになってみてください。



           






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。