ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

伝道者の書27 けっきょくのところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。(伝道者の書12章8節~14節)

2020年06月02日 | 聖書
 空の空。伝道者は言う。すべては空。(伝道者の書12章8節)

 死を思えば、この世の楽しみも労苦もすべてが空しくなります。伝道者の書は、この言葉で始まっているのです。ここで、伝道者は初めの思いに戻っています。

  空の空、伝道者は言う。
  空の空、すべては空。
  日の下で、どんなに労苦しても、
  それが人に何の益になろう。(伝道者の書1章2節3節)

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 伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探求し、多くの箴言をまとめた。(9節)
 伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。(10節)
 知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。(11節)

 突き棒とは、羊を突いて前に進ませる棒である。(新実用聖書注解)
 羊飼いが突き棒で羊を正しい方向に導いている姿が見えてきます。羊飼いは当然、ここでは、神を意味するのです。
 書物は、ただ、ランダムに言葉を並べたものではないのは誰もが知っています。およそ、書物は、編集されて出来上がるものです。編集をするのは、読者が正しくまた、容易にその書物の中に入って行くためです。

 わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。(12節)

 「わが子よ」と言う呼びかけは、当時教師が弟子に向かって言う言葉だったそうです。(同注解書)
 ここで、伝道者は、彼から学びたいと集まっている者たちに言うのです。「知識を求めてもきりがない」「学びも過ぎると疲れるだけである」と。

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 今日では、「熱中」が勧められています。「前向きに努力すること」が良い人生を作るというのです。ただ結果を出すためにがむしゃらに働くことではなく、「かしこい」ことも求められています。多くの情報を取り、多くの人と知り合い、そこから益になることを見出すことが人生を充実させることだと勧められています。

 ふた昔前まで、本棚に本を蓄えるのは、誇らしい「ひと仕事」でした。紙の本はかさばるし、汚れるし埃も溜まるし、寝る場所を塞ぎます。つまるところ、本のある光景が、多くの人のあこがれだった時代があったのです。「人はパンだけで生きるのではない」との思いは、だれでも心に抱いているからでしょう。
 知識や情報は、本、新聞、ラジオ、テレビ、あるいは直接、現場に行くか、専門家にあって教えてもらうしかなかったのです。それが、いとも簡単に、キーを叩くだけで手に入る時代です。玉石混合ですが、捜せば見つかるのです。

 それでなお、伝道者の言葉の意味が重くなっています。どんなに求めても知識には終わりがなく、疲れるだけだと。

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 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである(13節)
 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(14節)

 知識を積めば可能になるのは、人生のほんのわずかな部分に過ぎません。
 どんなに学んでも、死を免れることはできません。災難は「忘れたころにやって来る」し、自分の明日もわかりません。わが子の姿形も選ぶことはできません。自分の両親も国籍も選んだものではありません。夫や妻や仕事は選べますが、自分の予想と実際はまるで異なります。
 何もかも不確実な中で、死だけが確かだと思う時、すべてを手にしているだけに、ソロモンは空しさを見るしかなかったのです。

 ソロモンは、「神の救いの歴史」の途上に登場する一人の王でした。彼が生きている日には、神の救いの業のすべてを知ることはなかったのです。
 さいわい、神が、日の下のもの、「すべてを采配しておられる方で」あると知っていました。
 結局、隠れたことが多いのです。
 神がすべてを采配しておられると認めることができたソロモンは、空しさの中で、断言できるのです。

 「神を恐れよ。神の命令を守れ」




         

 聖書通読エッセイCoffee Break、2000回通過の感謝!
 2010年8月に、創世記の最初から読み始めた聖書通読エッセイは、今朝の投稿(2016年5月17日時点)で、2000回になりました。
 ちょうど切りよく、伝道者の書が終わるところです。

 やむを得ず書けない日がありましたが、ほとんど休むことなく続けてくることが出来たのは、まさに神さまのあわれみでした。大きな病気もせず、どうしても手を取られるような出来事もなく、乏しい知識と届かない理解力の小さな者でしたが、聖書の森を渉猟する喜びに満たされた日々でした。
 つたない文章を読み続けて下さった読者の方々にお礼を申し上げます。貴重なご教示ご示唆を下さり、励まして下さった牧師、同じ信仰の兄弟姉妹に何度も助けられました。
 ありがとうございます。

 ちょうど、この日のみことばが、「神を恐れよ」であることも、とても意味深く思えます。

 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである(伝道者の書12章13節)
 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(14節)

 今後とも、訪問いただけると嬉しいです。お叱りやご教示もよろしくお願い申し上げます。

                                         さとうまさこ