私たちは、若くて生意気でノーテンキなカップルだった。
太陽はまだ頭上にあったし、いつか、その陽が傾き始めるなんてことがあるなんて思いもしなかった。
つれあいは好きなことを仕事にしていたし、私も、いつかはそうなるはずだった。
木造二階建て4軒長屋は各2DK、古くて、風が吹き込み、なまじ小さな庭があるために
蚊や虫や泥の対策が必要だった。、大雨のときは
バケツをぶちまけたような水のまん幕がひさしから流れ落ち、
地震のときは、家全体があえぐように音を立てる。
二階を歩くと床がきしみ、階段もみしみしとしなった。
一階と二階の間には明らかにネズミが住んでいた。
ネズミは4軒分の天井裏を仕切りなしに占有して、走り回っているらしい。
なにしろ、私たちは、若くて生意気でノーテンキだった。
「ネズミも生きる権利があるよ」などと、言っていた。
ある日、
一匹の猫が私たちの生活に加わった。白い大きな雄猫。
外で哭いていたので、猫好きの私が呼んだら、二時間ほど庭にいたのが、
縁側の上に、さらに座敷の中へ入ってきてしまった。
「でっかい猫だなあ」
彼は、「猫も生きる権利がある」とは言わなかった。
「まあ、そのうちに出て行くわよ」と、私は言った。
痩せてもいないし、堂々とした態度だったので、どこかの猫が遊びに来たんだろうと思った。
結局、猫はどこへも行かなかった。夜、外へ出しても、
朝、雨戸をあけると縁側にいる。
◎
ミイと呼ぶことにした。過去の名前がわからないから、仕方ない。
飼い始めて、すぐに、ミイは実物以上に「かさばる」と思うようになりました。
まず、贅沢!
猫まんまなんか食べない。「お刺身用アジ丸ごと」が大好き。
お刺身用イワシにすると、もう見向きもしない。さばもダメ。マグロのブツなら
食べてやろうという態度。。
若くて生意気でノウテンキだったけれど、けっこう倹約生活をしていた。
迷いネコのために経費を計上するなんて、想定外。
へんな癖もあった。私が、風呂にはいろうと服を脱いでいると、じーっと、値踏みするように見ている。
電話をしていると、耳をそばだてている。
化粧をしていると、
こちらの手の動きをちらちら見ながら、小ばかにしたように自分の手をなめて
顔を洗いはじめるのです。
ミイはよく教育された猫であると、わかってきた。
猫は高いところが好きなのに、絶対に食卓には上がらない。
冷蔵庫の上や調理台にも上がりません。
引き戸を開けるのは上手で、ふすま、ガラス戸どこでも開けて、出入りする
爪とぎもしない。
部屋は和室で、ふすまと木の柱だから、助かりました。
何しろ借家暮らし。若くて生意気でノーテンキでも、大家さんにはかなわない。
何が良いと言って、ネズミの足音がぴたりと止んだことです。
〇 ◎
ある日、
私は子猫を拾った。
まだ、耳もちゃんと立っていない赤ちゃん猫。
そのか細いいのちには、私たちは、ふたりとも夢中になった。
「生きる権利がある」と思った。
小さな竹籠にタオルを敷き、授乳したり、トイレの世話をしたりと、片時も目をはなさず。
家に、新来者がいるとわかったとき、
ミイはおびえた目で、こちらを一瞥すると、二階に上がってしまいました。
子猫は一週間もすると、よちよち歩きまわるようになり、私たちの足を待ち伏せしたり、
かかとにあと追いをしてきて、とても可愛い。
ミイは、明らかに
動揺していた。長い時間外にいて食事に帰ってくるだけ。そのあとは、いそいで、二階へ上がってしまう。
★
しんと、静かな夜だった。
私は、ちびを抱いて、布で顔をふいてやっていた。
彼は、本を膝に置いたまま、子猫を覗き込んでいます。
そのとき。
ミシ、ミシ、
だれかが階段を下りてくる――。
つれあいと私は、思わず顔を見合わせた。二階にだれかいたのかしら。
出かける時、めったに縁側の鍵を掛けない私たち。
若くて、生意気で、ノーテンキなカップルは、
失うものなど何もないと、言ってのけるのが楽しかった。
ミッシ、ミッシ。
背筋に悪寒が走った。
ミイが、壁の向こうからぬっとのぞいた。
その直前まで、ひとりの男であったのが、
無理に身をちぢめているふうに、
のっそりと、入ってきた。