次のような主のことばが私にあった。
「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、
あなたを知り、
あなたが腹からでる前から、あなたを聖別し、
あなたを国々への預言者と定めていた。」
そこで、私は言った。
「ああ、神、主よ。
ご覧のとおり、私はまだ若くて、
どう語っていいかわかりません。」
すると、主は私に仰せられた。
「まだ若い、と言うな。
わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、
わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。
彼らの顔を恐れるな。
わたしはあなたとともにいて、
あなたを救い出すからだ。
――主のみ告げ――」
(旧約聖書・エレミヤ書1章4節~8節)
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エレミヤは、「涙の預言者」と言われています。
古代イスラエル南王国が衰亡に瀕していく時代に(BC627年~BC585年頃)、
預言者として、神から召命を受けました。
まだ、20歳くらいだったエレミヤは、責任の重大さに、神の召しを断りましたが、
「まだ、若いと言うな」とのお返事でした。
当時のイスラエルは、日ごとに勢力を増す東のバビロンと南のエジプトに挟まれ、
国中が大国の顔色をうかがって、日和見的な政策で動揺し、
国の柱である神殿礼拝や律法は忘れられていました。
エレミヤは、様々な思惑に乱れる国にあって、神からの預言を語り続けます。
「このままでは、国は滅びる」というエレミヤの預言は、
王から民に至るまで疎んじられ、厭われ、
彼は、投獄の憂き目にさえあうのです。
エレミヤについて、新聖書辞典は次のように解説しています。(一部抜粋)
エレミヤは神の代言者として、真の預言者意識とは何であるかを、預言者としての
苦悩の中から、最も強く示している。神から託されたメッセージを忠実に自分の民に語れば
語るほど、それだけいっそう強くその民から迫害を受け、民には受け入れられず、
偽預言者呼ばわりされた。(中略)
しかし、エレミヤも人の子であり、預言者職の厳しさの前に自分の弱さを知らされ、
預言者として召されたことだけでなく、この世に生まれてきたことさえものろうという、
限界的な心理状態までも体験した。――(後略)