ノアの小窓から

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イザヤ

2015年05月20日 | 聖書


            



                  すべての人は草、
                  その栄光は、みな野の花のようだ。
                  主(しゅ=聖書の神)の息吹がその上に吹くと、
                  草は枯れ、花はしぼむ。
                  まことに、民は草だ。
                  草は枯れ、花はしぼむ。
                  だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。
                                 (旧約聖書・イザヤ書40章6節7節)



            イザヤ書は旧約聖書の23番目に置かれた書物です。
            イザヤは、古代イスラエル王国の中でももっとも活躍した大預言者でした。
            貴族の出身で、何代もの王に仕え、力ある預言者として活躍しました。

            預言者とは、「神の言葉を預かる人」のことです。
            古代イスラエル王国では、政治組織の中で定められた「祭司」に対して、
            必要に応じて、神が預言者を召されました。
            誰が預言者になるのかという基準はなく、身分の上下、年齢、男女の別なく
            ある日、神さまから預言を口に授けられた者は、預言をしなければなりません。
            
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            預言は未来のことだけでなく、王や国の進路について、戦略や戦術について、
            権力者の不正について、ときに次の王の名を明らかにもしました。
            いまでいう顧問、評論家、アナリスト、
            時には、アジテイターのような役割を担っていました。

            神から言葉を預かったら、権力者や民に都合の悪いことも言い、行うので、
            預言をすることは、時に、いのちがけでした。

            当然のことながら、偽(にせ)預言者もいて、ホンモノの預言者を苦しめました。


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            イザヤの預言集は、イザヤ書66章として残されています。
            この数は、奇しくも新旧約聖書66巻の数と一致し、
            イザヤが、ただならぬ預言者であったひとつの証明となっています。

             イザヤの預言の神髄は、
            「救い主預言」と言われるものです。
             イザヤ書全編を通じて、
             やがて、来られる救い主(キリスト)が
             みずから犠牲となって私たちの罪をあがない、
             私たちを永遠の安息と平和のなかに入れて下さることが
             語られます。

             人類の「救い」は、神の悲願であり、神のお約束です。
             ですから、
             そのおことばは、「永遠に立つ」と宣言されているのです。