猫のひたい

杏子の映画日記
☆基本ネタバレはしません☆

聖なる犯罪者

2021-01-20 00:43:06 | 日記
2019年のポーランド・フランス合作映画「聖なる犯罪者」を観に行った。

少年院に収監されているが実は信仰深い20歳のダニエル(バルトシュ・ビィエレ
ニア)は、前科者は聖職者になれないと知りながらも、神父になることを夢見て
いた。仮釈放が決まり、ダニエルは少年院から遠く離れた田舎の製材所に就職す
ることになった。製材所への道中、偶然立ち寄った教会で出会った若い女性マル
タ(エリーザ・リチェムブル)に「司祭だ」と冗談を言うが、新任の司祭と勘違い
されそのまま司祭の代わりを任されてしまう。司祭らしからぬ言動や行動をする
ダニエルに村人たちは戸惑うが、若者たちとも交流し親しみやすい司祭として皆
の信頼を得ていく。1年前、この村で7人もの命を奪った悲惨な事故があったこ
とを知ったダニエルは、この事故が村人たちに与えた深い傷を知る。残された家
族を癒してあげたいと模索するダニエルの元に、同じ少年院にいた男が現れ脅迫
する。

実話に基づいた映画。ダニエルは傷害致死その他の罪で少年院に入れられ、更生
のための労働やカウンセリングを受ける日々を送っていた。少年院では定期的に
ミサが行われており、熱心なカトリック教徒であるダニエルは、厳格なトマシュ
神父(ルカース・シムラット)に信頼されミサでのまとめ役を任されていた。ダニ
エルは神父になりたいと思うようになるが、前科のある彼は聖職者にはなれない。
トマシュ神父に相談するが「良い行いがしたいなら他にもたくさん道はある」と
言われる。やがてダニエルは仮釈放が決まり、遠く離れた田舎の村の製材所で働
くことになる。しかしダニエルは製材所へ行く途中で立ち寄った教会でマルタと
いう若い女性に出会い、つい「僕は司祭だ」と嘘をついてしまう。マルタは初め
は信じなかったが、ダニエルが司祭服を持っていたため(コスプレのようなもの)
そのまま信用され神父に紹介されてしまう。高齢の神父は体調が悪く、しばらく
治療に出かけることになっていたためその間の代わりを頼まれたダニエルは、嘘
だと言い出せなくなり司祭代理をすることになってしまう。
「トマシュ」と名乗ったダニエルは聖書を読み込み、スマホでミサの手順を調べ、
尊敬するトマシュ神父を真似て説教を行い、何とか無事にミサを終える。風変わ
りなミサに村人たちは戸惑うが、「若い新米の神父様だから」と受け入れる。破
天荒なダニエルのやり方は何故か村人たちの心を掴み、やがてダニエルは皆に慕
われるようになっていく。ダニエルはこの村に来てから気になっていたことがあ
った。1年前に7人の村人が亡くなる事故が起きていたのだが、献花台には何故
か6人の写真しか飾られていないのだ。マルタに事情を聞くと、この村の深い闇
が浮かび上がってきた。
こんな偽神父の事件がポーランドで起きていたなんて驚きだが、無資格の者が神
父や牧師になりすますという事例は世界のあちこちで意外とあるのだという。身
分証明書とか厳密に調べないのだろうか。この映画はかなり事実に基づいている
らしいが、事故のエピソードはフィクションであるとのこと。犯罪歴のある者は
聖職に就けない(神学校に入学できない)ということを私はこの映画で初めて知っ
た。まあ仕方のないことかもしれない。ダニエルは信仰深いが素行は悪く、仮釈
放の際にトマシュ神父にお酒や薬物はもうやらないと約束したにも関わらず、そ
の日のうちにクラブに繰り出しお酒、薬物とやりたい放題である。どこで調達し
たのかわからないが司祭服まで身につけてはしゃいでいる。こんな人が司祭にな
りたいと思っているなんて、ダニエルはどこか精神的にバランスの取れていない
人という印象だ。素行と信仰心は別物なのかな。
ダニエルは気まぐれ的についた嘘によって司祭にされてしまうが、村人たちから
慕われることに大きな喜びを感じる。彼は村人たちを騙したのだが、少なくとも
村人たちに対する誠意や慈しみの気持ちは本物だった。本当に村に貢献したいと
思っていたのだ。だがそんな日々は続くはずもなく、やがてダニエルの正体を知
る者が現れ、脅迫され窮地に陥る。ダニエル役のバルトシュ・ビィエレニアの演
技がすごい。1度見たら忘れられない印象的な目をしている。この俳優でなくて
はこの映画は成功しなかっただろうなと思った。更にこの映画の監督のヤン・コ
マサは30代、脚本のマテウシュ・パツェヴィチは20代という若いスタッフによ
って作られているのも意外だった。この作品の素晴らしさは若い感性の賜物なの
かもしれない。
ポーランドの国民の約9割がカトリック教徒だというのも初めて知った。言われ
てみれば他のポーランド映画を観てもカトリック的な雰囲気だった気はするが。
私がとても印象に残ったシーンが2つある。1つは祭壇のキリスト像を背にして、
ダニエルが司祭服を脱ぎ、タトゥーの入った上半身を皆にさらけ出すシーンだ。
これによってダニエルは自分が偽神父だと告白したことになるのだが、キリスト
像の前ということからそれはダニエルなりの告解だったのだと思う。もう1つは
ダニエルの正体を知ったマルタの母親が、彼を非難せずに「神のご加護を」と呟
くシーンである。彼女は事故の件を巡る対応でダニエルに怒りを感じていた1人
だが、ダニエルに救われた思いもあることを自覚していたのだろう。ラストシー
ンは重たいが、とてもおもしろい映画だった。




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コメント (6)
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