ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

KAIGO.介護 巻の十七 帰ってきたウルトラママ

2010年06月19日 22時24分05秒 | 介護な日々
2008年5月下旬頃・・・母の様子

この頃の母は傾眠状態と元気な状態を繰り返していました。
16,17日の昏睡状態のような傾眠のあと、
22日くらいまでは元気な状態が続きましたが
23、24日頃また少しボーっとしていた模様です。
その頃の通いノートによると・・・

「2008年5月24日(土)

ソファーで居眠りしていた。ボーっとしていた。
大量の排便のため、職員さんに風呂で洗って貰う。
ストローが吸えないためさじで、カロリーメイト1/2缶飲む。
今朝は介助して貰って食事、昼も同様。
微熱(37.2℃)のため、アイス枕してもらって下がる。
眠くてだるいらしいが、機嫌はまあ良い。
(沢山ウンチ出たねというと笑う)
食欲はある。」

調子が良いときはまだ箸も使えます。もちろんストローも。
それができないということは相当ぼんやりしていたと言うことです。
それが証拠に・・・

「2008年5月25日(日)

昨日よりはましで、ストローが使える。
眠そうではあるが食欲はある。黒パン(註・黒糖パンのこと)食べる。」

ということで今回はひどい傾眠には至らずに済んだようです。
なんとか普通の人のように24時間サイクルであって欲しいのですが
はたしてどうなることやら・・・。

30日には肝臓の具合を見てもらうために、またOS病院に行きました。
血液検査を受けた結果、若干数値は悪くなっているが
入院治療が必要なほどではないとの診断。
ただこのところ大量の下痢気味の排便が続いているので
下剤の服用を見合わせ、吐き気止めをもらいました。
(・・・肝臓は毒素を分解しますが、肝機能の落ちている人はそれが不十分になりがちなので
便秘は大敵なんだそうです。それで、母も普段は緩下剤を服用しているのでした。)

そして待ちに待った31日(土)、長丁場だったショートステイも終わり
お世話になったJ苑にお別れをして母はうちへ帰ってきました。

話が少し逸れますが
やっぱり「おかあさん」という人は家庭の中心なのかもですね。
大黒柱は間違いなくおとうさんだとしても。
少なくともウチの家は「おかあさん」がいないと始まらない。
父はいつも自分より母の心配をし続けていました。
私も相談事はまず母へ。何かしでかしてうかがうのも父より母の顔色。
頼りになるのも母、コワイのも母。心配なのも母。心配してくれたのも母。
なんか、母親ってそういうもんなんですかね。
家の中でもっとも存在感があるヒト。
(・・・ちゃちゃめは全然そういう役割果たしている自信ないけど。)

そして母に厳しく言われてしょげると
父はさりげなく「お母さんはきびしいからなあ~」と
笑って言ってくれたものでした。

母はとある主婦の会に入っていて、しょっちゅううちにいませんでした。
勤め先が近いため必ず先に帰っていてなかなか帰ってこない母のことを愚痴っていた父も、
それでもその会をやめろとは一度も言いませんでした。
それどころか、母のいないところで私に
「あれ(会のこと)があの人の生き甲斐やからな。なんぼゆうても全然聞かへんわ。全然ウチにいつかん。」
と、結構嬉しそうに笑って言ってたものです。

いや・・・きっと「やめればいいのに」なんて、
ただの一度も思ったことはなかったのでしょうね。

父も、うちでは「おかあさん」を真ん中に置いとくのがいいとずっと思っていたのかな・・・と私は思います。

父も帰り、そして中心たる母が帰還。

これからはショートステイにも頻繁に行ってもらうことになるけれど
我家のウルトラマンはやっぱ母ですわ。
・・・いろんな意味で・・・・。

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