goo blog サービス終了のお知らせ 

ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

ジュリーの・・・・・曲紹介⑨

2014年06月01日 14時23分48秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
タイトルはもはやどうでもよくて・・・・

とにかくそういうことで、次は
「JULIE SONG CALENDER」でございます。

↑これはのちにCD化された時のジャケですが。

もともとこれはアルバムではなくラジオ番組の企画でありまして

そもそも、ジュリーの歌にはクリスマスソングというのがなかった。
それで、1981年のクリスマス時、特別書き下ろし作として
ラジオの持ち番組
「日産ミッドナイトステーション 沢田研二 夜はいい奴」
で発表したのが始まりです。
翌年1982年の4月から毎月番組内でその月の歌というのを発表して
12ヶ月分出来た段階でミュージックテープとして発売されました。
購入特典として1983年4月から翌年4月までの美麗卓上カレンダー付き。

豪勢でしたなあ~!

他の特徴としましては、詞は
「作詞家を本業としない美女にお願いする」
そしてジュリーが曲をつけてエキゾのケンさんORアキラくんがアレンジする、と。
もちろん演奏はEXOTICSですよ~。
アレンジに関しては終盤カズさんも参戦しています。

ちなみに収録された曲順は月順ではありません。なして??
アルバム構成として考えたらそっちのがよかったのか、
それとも当初の収録がテープなのでA面B面の時間調整のためもあったのか・・・???

まあ、それはおいといて曲紹介、エピソードを順を追って
・・・・わかる範囲でテケトーに・・・。

記念すべき?第1作、1982年4月の歌は
「ボンボワヤージュ」作詞 湯川れい子さん・・・
て・・・・この人作詞家ちがうん?
湯川さんと言えばもう大御所ですが、
タイガース時代からジュリーへの評価がバカ高かった方ですね。

5月「す・て・き・に勘違い」作詞多岐川裕美さん。
話すと長くなるんですが・・・かいつまんで説明しよう。
当時ジュリーが主演していたドラマ「いつか黄昏の街で」で
共演していたのが多岐川さん。
冒頭、二人の出会いのシーンていうのが・・・
・・・ぶっちゃけジュリーをストーカーと勘違いした彼女が
信号待ちで振り返るなり「失礼ですよ! 後つけるなんて!」と怒る。
それに対してジュリーは追い越しながら「自意識過剰じゃないの?」とツッコむ。
・・・多岐川さんはそのシーンをモチーフに詞を書かれたそうです。

6月「目抜き通りの6月」作詞竹内まりやさん。
当時山下達郎さんと結婚されて音楽活動は休止されてましたが
詞を書くくらいならいいですよ、と引き受けてくださったとか。
「目抜き通り」とは日本ではなく
たとえばイタリアとか、そういう西洋の都市のイメージだそうな。

7月「SCANDAL!!」作詞微美杏里さん。
てか、これは藤真利子さんのペンネーム。
この方もジュリーのファンでいらっしたようで
でも、曰くに「ジュリーはスキャンダラスな感じが似合う」とかなんとか。
そして曰くに「ジュリーとなら不倫してみたい」とおっしゃったとかなんとか。
・・・・あんま深くは考えないように。

8月「Sweet Surrender」作詞原由子さん。
サレンダー、とは降参の意味。
カードゲームとかで手札を裏返して自分の右手を置く、アレです。
ジュリー曰くの原さん曰く
「あのね、私は曲を書く時歌詞だけをつくることができないの。
だから、曲もいっしょにつけたの。」
つまり、ジュリーの曲とはまるで違うメロディーが存在したわけです。
が、ジュリー続けていわく
「残念ながらその曲が日の目を見ることはきっとないでしょう。」
・・・・はい、いまだにありません。きっと今後もないでしょう。
セルフカバーもなさっていらっしゃらないようですし~。
(・・・なかったよね?!←イマイチ自信はない。)

9月「YOU’RE THE ONLY GIRL!」作詞アン・ルイスさん。
三浦百恵こと引退した山口百恵さんが作詞、ジュリーが作曲して
アン・ルイスさんが歌ってヒットした「ラ・セゾン」はだいたい同時期のリリースです。
同じ渡辺プロでアンちゃんがジュリーのファンだったとかいう説もあり
ジュリーの持ちテレビ番組「沢田研二ショー」にも出演されてましたが
昨年秋に正式に芸能界から引退されたそうですね。桑名さんも亡くならはったしね・・・。

と、半分来たところで続きはまた今度。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュリーの、ジュリーによらないジュリーの歌の曲紹介⑨

2014年04月12日 22時57分31秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
♪忘れかけてた そうさ愛しいジュリーの曲紹介~
(も、タイトルわからん・・・・)

すんごい久しぶりです。
マジ、忘れてました・・・・・・・・・・・。

1982年まで行ったので・・・いつしかアルバム紹介になっていたこのカテ記事、
続いてのアルバムは1982年冬リリースの「ミスキャスト」です。

1982年の夏、ジュリーはある大記録を達成していました。
それは当時、日本人でのシングル売り上げ枚数日本一という記録です。
それまでは山口百恵さんが記録保持者だったそうですが、
この年の夏にジュリーが更新したのですな。
それもソロになってからのぶんだけで、でした。確か約3300万枚だったかな・・・・
ザ・タイガース時代を含めるともっと多いわけでして・・・
イヤ、ジュリーってやっぱスゴイんですよ。スゴイ人です。
今はその記録、誰が持ってるのか知りません。AKBあたりですかね?
今と昔とではソースや売り方がまったく違うので単純比較はできませんが。
そして同時期にアルバム売上日本一だったのが井上陽水さんでした。

で、この二人をカチ合わせたのがアルバム「ミスキャスト」だったのです。

全10曲井上陽水さんの作詞・作曲という、ね。
ナベプロもこの企画はめちゃめちゃ押していました。
テレビでも、スタジオライブ番組や、陽水さんと二人でのスぺ番組んだり、
歌番組の中でのミニコーナーでアルバム曲を2~3曲演奏するなど
結構アピールしていましたね。
EXOTICSのメンバーもみなスーツ姿でビシっと決めて、
さすがビジュアル系のハシリ、なかなかに美すぃステージでしたわん。

と言ったところで・・・

実はあんまり個々の曲についてのネタはないんですよ~。
まあ、あるのは「背中まで45分」はジュリーが
「売れなくてもいいからシングルリリースしたい」と強力に推したから、
というくらいです。

アルバムでは6分10秒もありまして、とてもシングルとしてテレビで歌える尺ではありません。
我らがケンさんがシングル用にアレンジし直しても5分45秒です。
ジュリーはずうううっとそのアルバムの方の「6分10秒」という数字を覚えていて、
シングルバージョンの方もその長さだと思い込んで
あちこちで「6分10秒テレビで歌わせてはもらえない」などと冗談交じりに言ってました。

そうそう、あとコンサートのMCで
「発売前は、評論家の方々にはいい曲ですね、と言われてたんですよ、
でも、評論家の方はレコード買わない(笑)
で、テレビでも初めは、いいじゃないですか、6分10秒、フルで歌ってくださいと言われてたのに
ひとたび売れないということがわかるとたちまち45分が35分になり25分になり
出会ってすぐに背中に手が行くという、どんだけ手が早いんだというようになりまして。」
などと、歌が端折られていく様をネタに話していました。

ケンさんが歌に詠んで曰く「背中まで、45分じゃ 長すぎる」爆笑。

「これには解釈が二通りあって、表の意味が、これ、シングルにするにはちょっと長いだろう。
そして裏の意味では、背中まで45分もかかってたんじゃしょうがないじゃないか、という・・・」
とは、ケンさんご本人の弁。・・・ナニ言ってんの、この人。

「背中」の前にリリースした「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」については前述です。
夜ヒット(「夜のヒットスタジオ」)の画像がございましたわ。

ちなみに・・・おおっと後ろにカズさんが映り込んでたよ!
チラッと見えるベースはケンさんだね。


てなわけで、やっぱあんまりネタなかったわ、すみません。
「ミスキャスト」については曲紹介よりも
コンサートツアーでのセトリ(セットリスト、プログラムのこととでも思ってください。)紹介の方が
面白ネタてんこ盛りです。すごく面白かったのよ・・・・当時大阪フェスで4回見たなあ~、カネもないのにwww
そういうお話はまたの機会にでも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュリーのジュリーによらないジュリーの歌の曲紹介⑧

2014年01月07日 13時16分46秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
少し間があいてしまいました。
ジュリーの・・・アルバム紹介になってしまってますけどまあいいか、の続きです。
ちゃちゃ的に一番好きなアルバムで、かつジュリーファンとして一番楽しかった時期のものです。
アルバムタイトルは「A WOUNDERFUL TIME」

未だにジュリーの数々の曲の中で一番好きな歌がこの
タイトルになっている「A WONDERFUL TIME」であります。
ライブで歌われるときはものすごいエコー掛けてましたがそれがまたサイコーでした。

シングルリリースもされた「おまえにチェックイン」も収録。

これについては前述しましたが再度おさらいしましょう。
ド派手なインディアン調のコスチュームをEXOTICSメンバーともども身にまとい、
顔にはサッカーのサポーターのようなペイント(国旗はない)
ギター、ベースとジュリーが横一列に並んでの演奏は
EXOファンにとってはウレシイ演出でした。

作曲の大沢誉志幸さんは、ソロデビュー直前で
この曲が「他のプロの人に提供した初めての楽曲」だったそうです。
ちなみに作詞の柳川英巳さんは大沢さんと以前組んでいたバンド、クラウディ・スカイのメンバー。
(クラスカはこの数年前にアルバム1枚リリースしてその後解散)
レコーディングでは「陣中見舞いに来た」大沢さん、「何故かその場にいた」佐野元春さん
アレンジの伊藤銀次さん、そしてジュリーの豪華メンバー4人でイントロ等のコーラスを担当。
テレビ等ではリリースした当初の頃、この羽の頭飾りをつけて出演。

これは1971年のザ・タイガース解散コンサートで
ジュリーがかぶっていたものそのものです。・・・が
「夏に向かって暑いし、重たいししたのですぐやめた」。

「STOP WEDDING BELL」はファンの間で人気の高い歌です。
この歌の歌詞の2番、「車走らせ お前のもとに急ぐ~」と言うフレーズの後、
この頃のジュリーはアドリブでよく「ブル~バ~ドで~」と一言追加してました。
他にもサビで「話を聞いて!」「お願いだから!」「誰か止めて!!」
を繰り返したりと、いろいろ遊んでましたね。
余計なツッコミですが、この歌の内容って、
「一通の手紙」がついたけどそれは
「忘れかけてた そうさ愛しいお前から」ですが、
「何と」「突然ジューンブライド」の知らせでビックリ!!
「早く会わなければ取り戻せない」
「お前を誰よりも愛しているのさ」
「オレの話を聞いてよ」で、
「ストップ! ウェディング ベル!!」
・・・・・・・・・・・・。
彼女のこと「忘れかけてた」くせに、ナニゆうてんの・・・あんた、アホちゃうか?
そんなんやから他の男に女取られるんやで。今頃なんやねん、潔う諦めなはれ。

・・・・なんちって(笑)。

それから「おまえにチェックイン」のB面(今でいうC/Wカップリング)にもなった「ZOKKON(ゾッコン)」、
翌年ジャニーズのシブがき隊が「ZOKKON 命」(ゾッコン・ラブ)という歌をリリースしていますが
パクリじゃないですよ・・・・、こういうのはあやかり、という。
当時ジャニーズの若い皆さんはジャニー社長の命により
よくジュリーのライブを見てお勉強していたそうです。という話だ。イヤほんまでっせ。

「素肌に星を散りばめて」はレコードとライブでエンディングのメロディーが若干違う。
私はレコード派です。・・・て、それだけですが・・・。

いやあ・・・しかしこれらジュリー流サマーソング、、
70年代後半の重々しく荘厳な?「愛の歌」と全然違ってて
ポップでロックで元気で陽気でさわやかに楽しくやってるこのアルバムが、
いまだに私のイチオシですわ~・・・・。

学生寮のコンパで生ギターで「おまえにチェックイン」を歌った時、寮生のみんなが
「ホミタイ~(ホールド・ミー・タイト)、ホミタイ~」と歌うところを大声でわざと
「あほみたい~、あほみたい~」と唱和してくれたのが今も耳に残ります、チキショーwww
一番楽しかった頃ですなあ~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュリーのジュリーによらないジュリーの歌の曲紹介⑦

2013年11月06日 21時26分40秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
というわけで・・・(と、ジュリーもラジオでよく言った。どんなわけかは不明??)
1981年のジュリーのアルバム紹介続きます。

ジュリーづいてる今日この頃??

1981年といえばいよいよEXOTICSですね~。
くどいけどエキゾティクスですよ、
ほらそこ! エキゾチックスなどとは読まないこと!!
春、映画「魔界転生」の撮影が有り、
その直後新メンバーとともにロンドンへ行きまして録音・発売したのが
アルバム「ス・ト・リ・ッ・パ・-」でございます。わざわざナカグロ(”・”のこと)入れる。

まずシングル盤「渚のラブレター」がリリースされましたが、

この時はまだバンド名が決まっていなくって「渚のラブレターバンド」と
クレジットされておりましたことは前述のとおりです。が、もっぺん書く。
マックスファクターのCMで使われたため、
資生堂がスポンサーのCX「夜のヒットスタジオ」で歌えず、
やむなくB面の「バイバイ・ジェラシー」を演奏、
バンド名も「バイバイ・ジェラシーバンド」とクレジットされるという
けっこうええかげんなwwwことがありました。
アルバム「ス・ト・リ・ッ・パ・-」には
シングルの「渚」も「ジェラシー」も収録されていますが
ロンドンでの録音の際、数曲の間奏のギターソロを
現地の有名なギタリストにやってもらっています。
が、とある消息筋によると「あまりお上手でなかったので
ソロパートだけやってもらったらしい」とのことで・・・
イヤ、ほんまかどうかわかんないんですが、そういう説がありました。
それが関係あるのかないのかはわからないのですが
シングルバージョンの「ジェラシー」のギターソロパートは
我らが!柴山カズさんが演奏していてメロディーも全く違っています。
また「渚」の冒頭には波の打ち寄せるSE(効果音)が入ってまして
テレビで歌う時もちゃんとこのSEを流していたんですが、
アルバムバージョンにはありません。
というわけで・・・ビミョーな違いを求めて、ファンは両方買うのであった。

その後、人気があったというので「ス・ト・リ・ッ・パ・-」がシングルカット。

キーボードパートがないためにテレビではキーボード担当の彰くんもギターを弾いてましたが
めっちゃ楽しそうでしたねwww
アルバムが先行発売でしたので、この歌は新しくはなかったんですが
プロデューサーの加瀬邦彦さんの強力なオシがあってシングルに。
他にも書下ろしの新曲候補あったそうですが、お蔵入りですな・・・。

前作「G.S.I LOVE YOU」がグループサウンズであったのに対し
このアルバムはそれより前に大流行したロカビリーをテーマにしています。
だからか? カズさんがリーゼントっぽいのは!?
ロンドンではその頃「ストレイ・キャッツ」というロカビリーバンドが大ヒットしていました。
ロカビリー時代をリアルタイムでは知らないような若い3人組のバンドでしたが
本格的なロカビリーを見事に再現してました。
そのストレイ・キャッツが実際レコーディングしていたスタジオで
ジュリーも録音したわけで。ここらジュリーらしいこだわりですねえ。

そのコンセプトの集大成としてのシングルはやはり「ス・ト・リ・ッ・パ・-」であると
そこらへんで加瀬さんが押しに押したという話です。ちなみに作曲はジュリー本人。
作詞は三浦徳子さんでございました。
あの、ギターの「ぐわぁ~んんん」というゆがんだ音はトレモロというのですが
それはギター本体に取り付けたトレモロ・アームというのを使います。
そういや、井上堯之さんや速水くんはあまりそういう小技は使いませんでしたが
カズさんはトレモロ・アームもボトルネック奏法も
果てはジミー・ヘンドリックスの真似をして
ギターを背中にまわして弾く・歯で弾くなどの技?もやってましたな。
(ジミヘンの真似はジュリーのバックではしませんでしたが)

というわけで(だからどんなわけだ?)
・・・またアルバム1枚だけ紹介で終わったわ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

CM・イン・ジュリー

2013年11月01日 21時59分03秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
ジュリーのジュリーによらないジュリーの歌の曲紹介⑦
・・・・といきたいところでしたが。

先にこれ行っちゃいましょう、ジュリーが出演したCMあれこれ。
タイガース時代は明治チョコレートのCMとかに出てましたが
「みんな、そんなにデラが好きかい?」
「は~い!」

♪黄色いチョッコレ~ト~
・・・て、明治デラックスのことですね。
チョコレイトっは めっいっじ♪
いたいけな びしゃうねんだった あの頃はwww
というとこらへんで、タイガース時代は割愛します。
(実は正直ほとんど知らない。)


さて。
ジュリーのソロになって以降の初CMソングはこれではなかったかと思います。1974年ごろ。

富士フィルムですね~、フジカラーですよ、カラー写真のフィルムのCM。
隔世の感アリアリですね。フジ派か、サクラ派か、コダック派か、なんて。
このCMソングはよしだたくろうさん作詞作曲。ジュリー歌、でも本人は出てません。
実はこれの前にオンエアされていたフジカラーのCMソングは「ハブ・ア・ナイス・デイ」という歌。
♪色っぽいということは エエことなんよ~
なんてな歌詞でしたが・・・
よしださんの作曲・歌で、聞く所によるとよしださんが強引にねじ込んだとか何とかで・・・
そのせいでか、次の「いま、このときめきを」はすんなりOKでたとか何とか・・・
♪ハブ・ア・ナイス・デイ フジカラ~
覚えてる、思い出したという人はもうおっさんかおばはん。
(お前もや!って? ゴモットモ・・・)
ちなみに非売品のこのシングルレコード・・・・持ってます。
ヤフオクにたまに出てますよ、意外と安く(ちょっと悲しい)。

この次は同じく富士関連、時のヒット商品であるポケットカメラ、
要はポケットサイズの小ぶりのカメラ、その名もポケット・フジカ。

「君も、ポケットフジカ。」
これは本人出演で歌も歌っています。

左上は山口百恵さんですね! 何故にアメラグ?

♪ある日突然 思いがけないなにかがあるさ~
伊藤アキラさん作詞、井上忠夫(大輔)さん作曲・・・豪華やね!
110(ワンテン)フィルムといってちょっと小さい専用のフィルムを使うカメラで
このジュリーの持ってるのは手ブレがひどいためすぐに改良されて
今のデジカメみたいな、フィルムカメラをまんまコンパクトにした形にすぐかわりました。
そしてインスタントカメラの登場であっちゅうまに姿消したな~。
いたいけなジュリーファンのしょうじょは万券握り締めて写真屋に走ったことであった。
お母さん、あのポケット・フジカどうしたでせうか・・・・。

マジ、どうしたっけ・・・・。


そして幻の出演CM、ググッても絵が出てきません。1976年あたりかな。
OTTO(オットー・サンヨー電機のブランド)オーディオコンポのCM。
「音の河を渡るとき 聞こえてくる音がある」
・・・・なんかちゃうな・・・・絶対ちゃうな・・・。
ご存知の方、ツッコミよろしく!!
諸般の事情ですぐ打ち切られたため、ほとんどオンエアされませんでした。
私も見たことありません。グラビアかポスターを目にしたのみ。

1978年から79年ごろにかけてはマンズワインのCMに次々出演。
マンズワインはキッコーマン、お醤油だけじゃないんだね。
CMソングとしては「二人なら翔べるのに」
今は普通に使われる”翔”という字がはやり出した頃です。
これはCMバージョンの短い歌しか作られていません。
あんまり聞いた覚えが無いのが「愛は炎」・・・記憶にない・・・
そしてこれはけっこうおなじみ、シングルリリース曲「サムライ」B面にもなった
「あなたに今夜はワインをふりかけ」
テレビで歌ったことはほぼないにも拘らず人によってはA面だと思ってた人、
「サムライ」よりこっちをA面にすべきだと主張する人多数。
うちにポスターありましたけど・・・はて、なんで持ってたんだろう。
(パクッたのでは断じてない。)

余談ですが「サムライ」はアルバム収録曲と
シングルカットされたシングルバージョンとでは違っています。
アルバムの方はアタマサビ部分がありません。

マンズワインとほぼ同時期にオンエアされたけれど
なぜか私がいっこもみたことないのが
「コカ・コーラ’79 サマー キャンペーン」のCM。
歌は「RED SUMMER」うん、まんまやね。

そして順序が逆になっちゃった、78年当時は不二家から発売の「キット・カット」
(今はネスレ・ジャパンから発売中。今も変わらず大人気、んまいし。)

直前までこのCM、ベイ・シティ・ローラーズ(!!)が出演してたんですよ。
コンサートでジュリーがここだけの話?で冗談半分に話してました、
「やっぱり外人を使うとね~、イマイチ受けない、どうも売れにくいと。
『あれ誰や?』という人も年配には多いんじゃないかと、
だから僕とこにまわってきたんやないかと思うんですよ(笑)」
イヤ、ファンばかりのところでゆうたジョークですよ~!! 
「ベイ・シテイ好きやったわ~」な皆さん、お気を悪くされませんように。
外人云々いうたって、マーク・レスターの出演CMは大ヒットしてたもんね。
(マーク・レスター、覚えてますか?? おっさんおばはんの皆々様!
森永チョコ、ハイクラウン(!!)のCMですよ。あれもまいう~でしたね。)
それにしてもそのジュリーバージョンのCMもやっぱ見たことないっす・・・。何故だ。


そしてジュリーCM代表格といえば日産ブルーバード。

「ブルーバード、お前の時代だ」なんつって。
1979年から83年ごろにかけてですかね。
1979年公開の主演映画「太陽を盗んだ男」で運転の必要があり
自動車免許教習所という「学校というところに数年ぶりに行きました。」
「いやあ、授業を受けるというのがものすご久しぶりやったんで緊張しましたね。楽しかったですよ。」
実はタイガース時代にも教習所に通ったことがあったので
運転そのものは出来たんだそうです。本免許をとる前に忙しすぎてそれきりになってたんだとか。
でも、今回の映画は公道通りますし、吹き替えばかり使ってもいられない。
というわけでめでたくついでに?経費で??ちゃんと運転免許を取ったジュリーは
嬉しくてオフの時はドライブしまくっていたそうな。
というわけで、オファーが来た時は喜んで受けたという。
ところが、この話にはジュリーらしい?オチがあります。
「岩崎宏美さんがスバルのCM(レオーネ)に出てはりましたよね。
彼女、あれでCMの車をもらったそうなんですよ。
だから僕も車もらえるかとすごい期待してたの。せやのにくれなかった(笑)
仕方がないから自分がコマーシャルしてるブルーバード買いました(笑)」
まさに、自身がCMしている真っ赤なブルーバードSSSターボ、買ったそうです。
このころのスナップ写真や映像で、赤いブルーバードを乗りまわすジュリーがいました。
(ロケ地――なぜか大阪城近辺。)
CMソングは順に「俺は俺(I am I)」前回詳報アリ
「素敵な気分になってくれ」これも有名なコピーライター・中畑貴志さん作詞。
♪こっいっすっる女は~ せっかっいのためにあ~る~
「I DO LOVE YOU」
♪突き抜けてゆく~ 突き抜けてゆく~ あ~あ~
・・・・・なんちて。
カセットテープ発売の「CMソングコレクション」にはこの3曲収録なんですが、
実はオンエアされたけど未収録の曲もございますの。
カセットの発売(82年10月)より後で作られたと思われますので
収録されてなくて当然なんですが。
1983年年末の東京・大阪でのコンサートくらいでしかフルでは歌ってないし。
「スーパー・ジェネレーション」というタイトルで
♪スーパー・ジェネレーション たいくつしてる暇はない
・・・てな歌詞です。
ちなみにその頃はCMのブルーバードのカラーが赤から白になりました。
「白になったからね! 買い換えましょうね!」
ジュリー、無茶振り・・・・。

時期はちょっとだけ戻って82年ごろ、ナショナルテレビ・α(アルファ)デジタル。
ナショナルのテレビと言えばパナカラーですよ、懐かしい愛称ですねえ~。
CMソング「アルファ クリエイション」については前述のとおりです。
デジタルといいつつ放送は当然アナログでしたが。
じゃあなんでデジタルと言ったのか?
・・・この頃からなんですよ、ビデオデッキが普及して間無しの頃、
超初期型パーソナル・コンピュータ(MSXパソコンと言いました)が登場して
それらと接続できるRGB端子を搭載したテレビ、それがαデジタルでした。
この記事を書くついでにざっとお勉強しましたが
ニューメディアとかキャプテンシステムとか、なんか懐かしい単語に再会しましたわ。
それはともかく、アルファの進化型?でビデオ一体化テレビのCMにも出ています。
その名も「テレビデオ」・・・・命名者糸井重里さん。
・・・はい、文句ないです・・・。
糸井「できた! テレビとビデオが一体化した商品の名前が!」
ジュリー「(関西弁で)よかったあ~! テレビデオじゃ、イージーですもんねえ」
糸井「ドキ・・・。」


二人「テ~レビ~デオ~」


おおっと、久々に長丁場になっちゃいましたな。
でわ、この辺で~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする