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ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

ジュリーのジュリーによらないジュリーの歌の曲紹介⑥

2013年10月13日 00時36分41秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
タイトルもノンブルぐだぐだのまま、続きです。
1980年代突入、改めて。
初夏発売の「BUD TUNING」は前述の通りですんで次行きます。
この年も2枚出ました。

・・・あ、いきなり余談ですがジュリーはソロになって以来40年を過ぎる今も
毎年アルバムリリースを必ずやったはります。凄い!! さすがです。

で、1980年冬に出たのが「G.S.I LOVE YOU」


このポップで、どこか60年代っぽいジャケットのアルバム
付録はジュリーのクリスマス・メッセージと
ザ・タイガースの大ヒット曲「君だけに愛を」を録音した何とソノシート!!
GS全盛期だった60年代後半と言えばソノシートですよ。
うちにも今もあります、鉄腕アトムの今でいう「ドラマCD BOOK」的ソノシート。
ぺらっぺらでね~、真っ赤な透明だったことが多かった。
そんなナツイソノシートがオマケです。その後CD化されたには復刻しませんでした。
中身は当時の日本的GSというよりは、もっと本家のGSサウンドを意識したそうです。
つまりコンセプトはGSことグループサウンズをジャンルとして今再び、的な。
タイトルはビートルズの「P.S I LOVE YOU」のもじり。

折しも、GSの殿堂・日劇が取り壊されるとのことで、
日劇ウエスタン・カーニバル足掛かりに世に出て行ったアーティストの面々で
壮大な同窓会をやろうじゃないか、と、かの内田裕也さんが企画を立てたのがおおもとにある。
かつてのロカビリー陣やGSの同窓会再結成があって、80年代初頭は
いきなり復刻そして新生GSに沸いたものでした。
ちなみに我がザ・タイガースも一時ぷち再結成でレコードリリースもしました。
(瞳みのるさんがいなかったので復活と自称はしていない)

さて、このアルバムの話に戻りますが、
作家陣には当時売り出し始めの佐野元春さん、後藤次利さん、かまやつひろしさんなどなど。
佐野さんは提供した「彼女はデリケート」を後にセルフカバーされてます。
で、同じく佐野さん提供の「SHE SAID・・・」
これは冬のある一場面を歌ってますが、実は!
夏のコンサートで歌われるときは歌詞を変えていました。
「雨に濡れたマフラーを スチームのそば掛けなよ
バスルームはすぐにでも オマエの部屋になりたがる」
と言うフレーズ、夏のコンサートツアーとかテレビで歌うときは
「汗でぐしょぬれのTシャツ クーラーのそば掛けときな
シャワールームはすぐにでも オマエの部屋になりたがる」
・・・録音がないのでこれもうろ覚えですんません。たぶんこんな感じ。
ラスト曲「G.S.I LOVE YOU」はジュリーの作曲ですが
曰く「こういう曲はなんぼでも書けるからね!」とノリノリのコメントあり。
それから、このアルバム以降はアルバムでの演奏も
全曲バックバンドが全面的につとめることになりました。
この時はオールウェイズでしたが、
井上堯之バンドはレコーディングには不参加が多かったのですよ。
テレビ出演もいないことがしょっちゅうでしたし。
必ず一緒に出ることになったのは1980年5月結成のオールウェイズ以降です。
参加ミュージシャンのクレジットに「Ken Sawara」という
なんか聞いたことありすぎるような名前が乗っていますが
なんのこっちゃない、これはジュリー本人です。
6曲目のピアノ・ソロをやってる・・という一見”スゴイ”ことが書いてますが
6曲目・・・「CAFEビァンカ」の間奏部分のピアノ・・・8小節程度ですが
指一本でも弾けます・・・・。実際ほぼそんなんだったそうで
しかも確かこれグランドピアノみたいな本式ではなく、
こどものおもちゃのピアノだったと思います。
この辺もうろ覚え情報ですんません。アルバムお持ちの方、心して聞き直してみてね。

「おまえがパラダイス」は見てもらった方が早いんで、
ぜひつべで検索してみてね。アップと削除のいたちごっこですがwww

柴山カズさんもさくれつ。これでカズさん落ちしたファン多し。
私はこれより以前に落ちてたので狂喜したわwww


この後はいよいよEXOTICS時代の到来ですね!

何か記事のコンセプト当初からとかなりずれてきてる気がするんだけどまあいいか。
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ジュリーのジュリーによらないジュリーの歌の曲紹介⑤というよりこぼれ話ていうか話が逸れてってます。

2013年10月12日 00時05分40秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
若じゅりさんのアルバム曲紹介
堂々とすっとばしてしまった1979年、ちょっとだけですが行っきま~す。

全曲阿久悠さん作詞大野克夫さん作曲アルバム3部作(と別に呼ばれてないけど)は
1977・78と発売されました。
77が「勝手にしやがれ」の入った「思いきり気障な人生」
78夏が「ダーリング」の入った「今度は華麗な宴にどうぞ」
78冬が「LOVE抱きしめたい」の入った「LOVE~愛とは不幸をおそれないこと」
・・・と、78年は2枚出てるんですね。
その「LOVE~」が79年と思い違いして次のアルバムを飛ばしておりました。
いや~、メンゴ、メンゴ、てへっ!

・・・・・・・てなわけで1979年は忘れるな、「TOKIO」だ!!

この派手派手しいジャケット持ってレジに行くのは相当恥ずかしかった。
もうちょっとおとなしくしてくれや、タケジさん。
でも、たいしたネタがありません。肩透かし。
のちにシングルカットされた「TOKIO」については前述
他には・・・まあ、作家陣が珍しかったってことぐらいかな・・・。
りりィさんとか、BOROさんとか。

BOROさんといえば、この年の暮れにジュリーのラジオ番組
たぶん「沢田研二 ラブ・コレクション」だったと思います、
(「沢田研二 夜はいい奴」だったかも)
井上バンドのギター、速水君と一緒にゲスト出演。
学生時代タイガースのファンでした、てな話をされてました。
「それっていくつぐらいの時?」とジュリーに聞かれて
「坊主頭の中学生でした。」と答え、ジュリーは
「わっちゃあ~・・・・」とため息を・・・(なんでや?!)
ちなみに速水君も「俺もそれくらいでしたね~」とか
「ジュリーなんかより俺らの方がええやろ! なあんてゆうてました!!」
と、アマチュア時代を堂々アピール。
速水君は神戸育ちなのでBOROさんジュリーともども関西弁さくれつ。
この人”も”結構お調子者です、自己紹介思いっきり噛んでたし。
(”も”とはカズさんを指してたりして。)

更に話があっちゃ行きますが
速水君、77年中は井上バンドを一時抜けてソロ活動してました。
「どんな時にも」ってソロアルバム(歌ですよ!)出して。
この人、めっちゃめちゃ歌うまいんですよ、実は。声もキレイだしね。
全曲作詞作曲でしたかな。買いましたわよ、わたくしも。
で、その時のジャケがたまたま田村正和さんそっくりに写ってまして↓ほら。

それで話題になっちゃったらしくってライブハウスに出てらしたんですが
(事実それでLPもライブも結構売れたっちゅー話でしたが)
「あのジャケット見て来た人に、実物見て『ええ~っ! この人?』とか言われて~」
と自虐ネタばらしをこのときしてました。
う~ん・・・バンド加入当初(1974年)はまあスリムだったのに
年々ぽっちゃり体型になっていってたしネェ・・・。
今現在は元タイガースの森本太郎さんとライブとかやってんだっけ? 
・・・よう知りませんが。
ところでそのアルバム、昨年CD化されたらしいです。おおっとどっこい!!
なかなか今も元気に活動やってはりますやん。

閑話休題。てか何の話でしたっけ。


さてここでレコードにならなかったミュージックテープのお話をば。
これは後々のCD化もされておりません、CMソング・コレクションであります。

日産ブルーバードをはじめマンズワイン(キッコーマン)、
松下電器(現パナソニック)テレビのアルファ、コカ・コーラなどの
CMソングの数々が収録されておりました。
さりげな~く発売されたので存在が地味ではありますが・・・。
出演したCMのお話はまた別の機会に・・・・。
本人コメントの曲紹介はあまり聞いた覚えがないのですが、
前にTOKIOの話でちょっと紹介した「I am I(俺は俺)」と言う歌、
これはブルーバードのCMソングです。
テープでは歌詞のラスト部分「そうさ I JUST I」と歌ってますが
CMでは「JUST ブルーバード I JUST I」と歌ってます。
また、松下電器のテレビ、アルファ・クリエーションの歌詞は丸々違いました。

この歌をご存知の方は・・・メロディー思い出して読んでね。うろ覚えですけど・・・

OH MY テレビジョン いつでもお前が 見知らぬ世界の 扉を開ける
自由な限り 抱きしめるだけ お前のすべてを 刻み付けたい
お前が言葉を失くした時代は みんなが安らぎ失くす時代さ
SOMETHING COMING テレビジョン
SOMETHING TONIGHT 100のストーリー
SOMETHING COMING 未来から 
不思議な光 アルファ・クリエーション


2番の歌詞も全然違ったはずですが、さすがにそこまでは覚えてないす。
当時そろそろ家庭用ビデオが普及しだして、うちにもあったけど
CMはいつ流れるかわかんないんだもん!!
当時やってたラジオ番組「沢田研二 夜はいい奴」の
スポンサーが松下さんだったので
歌だけはなんとか聞けたわけですね~。
ひっくり返せばどこかに録音がある気がする。いやあった。あったかも。
つーか、松下さんなら「水戸黄門」見ればよかったんだ!
てか、見てたわ! その話もまたの機会に。

てなわけで・・・タイトルのノンブルがもはやぐだぐだですな・・・。
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ジュリーたちのジュリーたちによるジュリーの歌の曲紹介(イミフ・・・)④

2013年10月05日 20時07分41秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
ジュリーのシングル以外の曲紹介・・・1975年の次だから1976年
・・・と行きたいところだったんですが、
この年に発売された「チャコールグレイの肖像」に関してはあまりネタがないのです。

ていうのも、この頃はあまりラジオ番組お持ちじゃなかったし
更にちゃちゃめ自身もコンサートに行かなかったからで・・・
敢えて言えば・・・
ジュリーがある事で1か月間活動休止していた間に、
自己探求的目的で曲を書き溜めていたということで、
だから全曲ジュリーが作曲のセルフプロデュースのアルバムでした。


うちの親は年行ってたせいか、芸能人のコンサートなどに行くのは
大変口うるさかったんです。
1975年はなんと親同伴でようやく行かせてもらえたくらいでして・・・
その後もあからさまに「行くんじゃない」顔をしていたので
「行きたい」と言えなかったのでし・・・。
も少し年が行って振り切るように勝手に行ってからは
「勝手にしやがれ」状態になってくれたんですが、
それでも長いことええ顔はしませんでしたなあ・・・。
夜6時半開演でしたが、そんな時刻に出かけるのは
不良の入り口あるいは危険と隣り合わせみたいに思ってたようです。
レコード買いまくるとか部屋じゅうポスター貼りたくるとか
グッズを集めまくりテレビにかじりつく、というような
今で言うアイドルヲタク行動は
家の中でやってる限りは全然うるさくなかったんですがね。

閑話休題。

というわけで1976年と1977年は割愛します~しくしく。

ま、いっこだけ・・・

「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」「サムライ」が入ってるためか
一番売れたアルバム「思いきり気障な人生」に収録の「ママ・・・」について
コンサートでこの歌うたった後で
「・・・日頃『ママ』なんて言ったことないので
歌ったあとでぞわわわわわわ~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」
と身震いを・・・・・(笑)

で、1978年・・・
「LOVE~愛とは不幸を怖れないこと」

・・・考えてみりゃすっげータイトルですね。
・・・ちょっと恥ずい・・・「愛」ときたもんだww
ジャケットもキザですね~!! かなりktkr(キタコレ)!!
これは、ジュリーじゃなければできないかもしれない。
イヤ、カッコイイんだけど・・・ここまで来たら徹底的にいっちゃえ、ですね。
あ、褒めてるんですよ。実際カッコよかったし、綺麗でしたし。うん。
でも、買うとき正直「すっごい!素敵!」というより
「ちょ・・・やりすぎじゃない?」とは思った。
それでなくてもジュリーのレコジャケは奇抜なのも結構多くて
お子様ちゃちゃはレジに行くの恥ずかったこと多かったです。
子どもがこんなん買うの?って感じだった・・・タダの自意識過剰ですけど。

・・・て、すまん、話が中々進まんし・・・。

この頃はラジオ番組復活してました、が、あまり曲紹介は詳しくなかったです。
「24時間のバラード」
「これはいいからね、すごいいい曲。いい曲は(ラジオで)かけない!!」
意味不明の曲紹介・・・。
それよりもオオネタはこのアルバムのキーボードしているお方ですよ。
知る人ぞ知る!! あの、ハネケンこと故羽田健太郎さん!!
・・・・故人多いな~・・・哀しい~・・・。
ハネケンさんは先の「チャコールグレイ」あたりから参加されてました。
それはともかく、曰くに「今回はいろんな愛の形を歌ってみました。」
それがアルバムコンセプトだったようです。
当時もそういう触れ込みでしたが・・・
正直なところ、それまでのジュリーの歌も
ほとんどが「いろんな愛の形」の歌でしたがな・・・


さて。1980年代いよいよ突入!! 
でももう30年も前ですか・・・うっわ~・・・。
1980年の「BAD TUNING」

いきなりすごいの来ちゃった、ktkrその2www
曲紹介自体はないんですが・・・・中身に特徴があります。
ライブ録音あり、スタジオ録音あり、という珍しい形態なのですね。
ライブは大阪の万博会場お祭り広場と横浜球場での収録
何故か今は亡き(?)ホテルグランド大阪(フェスティバルホールの上にあった)の
部屋の中で収録された?とかいう歌もありました。
ウィキなどには「ユニークな制作手法」などと書かれていますが・・・
多分ですが、ちゃちゃの思うに、
この年の春先にジュリーは体調を崩しまくって入院してるんですね。
だからスタジオレコーディングが完全にできなかったのですよ。
なおかつコンサートツアーの予定も外せない。リハーサルもせなならん。
それで、スタジオ録音する時間がなくなったというところが真相なのではないかと。
発売延期にもできないしね。
退院復帰後のジュリーは痛いほど痩せてました、ゲッソリ頬がこけちゃって。
それで青とか金のカラーコンタクト(今なら医師法違反もの)入れて
リリースした「恋のバッド・チューニング」を歌ってましたのが異様な迫力!!

ちなみにこのアルバムのライブ部分、横浜スタジアムライブは
か~な~り後でビデオ発売、その後2000年代に入ってから再発売もされました。
でも、かなりのレアもの・・ですかね。
あれ、DVDになってたっけ・・・持ってたような気がする・・・。
(いいかげんな元ファン・・・)


それから、ちょっと話戻りますが、
アルバム「ジュリーⅢ」「ジュリーⅤ」「ジュリーⅦ」
および「比叡山フリーコンサート」
「リサイタル ハムレット・イン・ジュリー」等のライブ録音盤は
一切、一度もCD化されておりません。
今後もたぶんされないと思います。
残念ですが・・・・・・・しゃあないでしょうな。



・・・て、曲紹介がアルバム紹介にだんだん変わってきちゃったけど、
まだまだあるよ、またまた続きます。





あ・・・


1979年忘れた・・・次回やります。あせあせ(汗)

も、ぐだぐだかい・・・!!
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ジュリーたちのジュリーたちによるジュリーの歌の曲紹介(イミフ・・・)③

2013年09月28日 21時43分52秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
1975年と言えば・・・ジュリー的にいろんなことがあった年です。
まさにジェットコースター的にアグレッシブルな年でした。
初の舞台演劇(状況劇場「唐版 滝の白糸」)、
初のテレビドラマ主演(TBS「悪魔のようなあいつ」)、
最初の結婚(元ザ・ピーナツの故伊藤エミさん)、
・・・ある失敗(今更語らず)。
もちろんリアルタイムファンもジェットコースター的一喜一憂の年でした。
年の初めに「今年は今までにないことをします。」と言ってましたが
それがどれを指して言ったのか・・・正確なところはわかりませんが
結婚とドラマのことだったのかな、と当時は思いました。

真相は置いといて、1975年に出たアルバムです。

アルバムタイトルは「いくつかの場面」なんですが、
帯には「時の過ぎゆくままに/いくつかの場面」と書かれていました。
まあ、大ヒットした歌のタイトルは冠さないとね。
このアルバムの歌詞カードはなかなか豪勢で、ジャケット大×6の大きさの一枚ものを
6つに切り離し、綴じると全12ページの歌詞ブックになるという凄さ。
一枚ごとに、モノクロですがジュリーの写真、そしてジュリー直筆の歌詞。
正直上手というかきれいな字ではない方だけど汚くもない字・・・(失礼?)
本人曰く「へたくそな字で・・・まあ、小学生程度の字です。」
あー・・・えーと・・・うーん・・・・。

さて、曲紹介行こっか。
「時過ぎ」のネタはかなり前に書いたのでここでは略します。

「燃えつきた二人」・・・曰く「まあ~、加瀬節ですなあ。」
作詞なんと松本隆さん、作曲は我らが加瀬邦彦センセー。
うん、加瀬節です。いい曲です。好きです。

「外は吹雪」
知る人ぞ知る及川亘平さん作詞・・・あ、知らないですか・・・?
作編曲は大野克夫さん。
「これはの大野さんが、久々の自信作だとおっしゃってました。
『よし、やった!』という感じだ、と。」

「遥かなるラグ・タイム」作詞は西岡恭蔵さん。
「ラグ・タイムというのはなんか19世紀の終わりごろ?
アメリカで流行ったジャンルで、その頃をこう・・・懐かしむというか
西岡さんが好きらしいんですが、僕もよく知らないんですが・・・。」

「いくつかの場面」あの!故河島英五さん作詞作曲!!
「最後の方、ちょっと音が・・・あー、ゆがんだ様になっておりますが
これは実は、むせび泣いておるんでありまして・・・。」
ジュリーにしては珍しいんですが、レコーディング中感極まって泣けたというのは。
「で、ちゃんと録り直して泣いてないのもあったんですが
プロデュースしてくれた大野さんが『やっぱり泣いている方がいい』と言ってくださって
それでそっちの方をレコードにしたわけで。」
まあねえ・・・この歌の歌詞見るとねえ・・・しみじみ来ますよ、これ。
さすが河島さんと言う感じ・・・早逝されたのが惜しいです。
この頃出演した「セブンスターショー」と言うワンマンショー形式のテレビ特番で
この歌を歌った時も泣いてます。もっとガチで。
曰く「(その前に歌った歌の演出での)雨の名残かどうかはわからない。」
・・・イヤ、ガチでしたでしょ!! 
ちなみに前につべに上がってたらしいです。
見てみたい人は根気よく探してみてください。

余談ですが、タイガース時代のジュリーはホンマ泣き虫で
「かつみ(トッポこと加橋かつみさん)が脱退したと言っては泣き
シロー(岸部シローさん)が加入して音合わせできたと言っては泣き」
「でも、解散コンサートで泣いてしまって以降、もう泣くまいと決心した」
「それ以来泣くことなんかなかったんですが、
けれども『勝手にしやがれ』でレコード大賞をいただいたときは
いろんなことが頭をよぎって、つい我慢できなかったんです。」
『いくつかの場面』の件はオミットされておりますな。

このアルバムは全体に豪勢でした。ゲストがとにかく豪華。
加藤登紀子さんやミッキー吉野さん、大瀧詠一さんの作詞や作曲、
演奏者も井上堯之バンドだけじゃないですよ、
細野晴臣さん、林立夫さん、鈴木茂さん・・・て、おいおいおい
「はっぴいえんど」のフルメンバーだよ。大瀧さんに山下達郎さんもコーラス参加だよ!
ミッキー吉野さんに浅野孝巳さん、スティーブ・フォックスさんに原田裕臣(ゆうじん)さんとくりゃ
これはゴダイゴの初期メンバーではないですか。タケカワさんは参加してないけど。
まあ、何しろこの年のコンサートツアーは井上バンドとこの四人で演奏していましたからね。
(と言ってもこの直前まで原田さんは井上バンドのメンバーでしたが)
なんか凄いよね・・・・・・・。

私、見に行きました、旧大阪フェスティバルホールに!!
感動しすぎてリアル社会復帰に一か月はかかったな(笑)
コンサート行って、金曜日はテレビ前に直行して「悪魔のようなあいつ」を見ながら
ラジオで「沢田研二愛をもとめて」を同時進行で聞いてたわ。
ゴージャスジュリー三昧な一年でした・・・

あ、アルバム一枚しか紹介できんかった・・・。

なのでまた、続きます。
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ジュリーたちのジュリーたちによるジュリーの歌の曲紹介(イミフ・・・)②

2013年09月20日 20時49分28秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
めっちゃ久しぶりやん~。


今回は、ジュリーが昔出したアルバムの中の曲紹介です。
あーんどその曲にまつわるお話等々。
例によって毎度の1970年代~85年頃の、ですね。
当時は年に最低1枚はLP(!)出てましたからね。
出るたびラジオとかコンサートでコメントつきで披露していたので、
あやふやな記憶を辿りつつ、記録のつもりで引っ張り出してみます。

その前に。

この頃のLPレコードと言うと30cm四方の厚紙を張り合わせた袋状の単一的なケースに
レコード盤と事務的な文字だけを印刷した歌詞カードが入っているだけの
あんまり愛想のないものが一般的だったようです。
よくて見開きくらいかな。それもライブ盤とかの時なら・・・ていう感じで。
でも、ジュリーのLPは見開きが多く、
そうでない時もカラー印刷の歌詞カードとか
タブロイド版の大きさの新聞(?)やミニポスターのオマケつきとか
あるいは切って折って冊子に作れる歌詞カードとか
なんかどこか遊び心のある、音楽以外に楽しめるものがついてました。
ソノシート(!!)がオマケについていたこともあったよ!
ライブ盤ともなるとたいてい開いて中綴じのグラビアが数ページ入ってて
別冊写真集がついてたこともあったなあ。
サービス精神旺盛だったんやね、さっすが。
LPレコード購入をジュリーから始めた私はこれがスタンダードだと思ってて
他の人のLPを買った時にずいぶんつまんないなあと思ってしまったことでした。
CD化された時も画一的な歌詞ブックになり、
面白くなくなっちゃってしまってホント残念です。

まずは1974年発売の「ジュエル・ジュリー」

実は! 初回プレス盤の歌詞カードは誤植だらけだったんですよ・・・
例を挙げると「書きかけのメロディー」という名曲があるんですが、
歌詞の一行目と二行目がまったく同じだった・・・あらあら・・・
ワタクシ、うっかり盤面に傷つけちゃったんで後で買いなおしたんですが
その時は直ってました。ツッコミ殺到したんだろうな~。
今あればレアもんかも。(ちなみに私ももう持ってません)
それから、隅っこにある「8」というのはソロアルバム8枚目という意味です。
それまでは「ジュリーⅦ」とかいうのがアルバムタイトルでした。
でも、カウントされたのはこの8枚目までです。
付録?としてカラーの「ジュリー新聞」なるものがついてました。
当時としては珍しいバンドメンバーの個人写真!!まであって楽しいものでした。
この時からアルバムデザインが
今もって衣装デザインもずっと手がけている早川タケジさんになったからだよね~。
あの方、一風・・てか、かーなーり!!変わったヒトですから・・・
アーティストなんですなあ、なんかと紙一重の。

さて、このアルバムはバックの井上堯之バンドのコーラスがたくさんあって
またメンバーの作曲も多くてファンには嬉しい一枚でしたが
その中にギターの速水くん作詞作曲なる「ジュリアン」ていう歌があります。
で、ここでお待ちかねジュリーの曲紹介・・・
「この歌は・・・ホモホモセブンでありまして、
あー・・・ギターの、おー・・・速水君が、えー・・・僕に、思いを、寄せて!!
書いてくれた曲でございまして・・・。」
「ホモホモセブン」と言うのは当時ヒットしていた
みなもと太郎先生作の成人向けギャグマンガのタイトルです。
別にBL系とかそーゆーんじゃなく「ゼロゼロセブン」をもじった
スパイ物のマンガです。(面白かったよ~)
で、「ジュリアン」の話ですが、
これはいなくなったジュリアンと言う人に「僕」が思いをはせる歌・・・ですが
ジュリー・・・JULIEにNをつけるとジュリアンになりますね。
更にジュリアンて男性の名前ですよね~。
・・・まあ、あんまり深く考えることないですが。
・・・イヤ、ジュリーが言ってたんだってば。

それから「四月の雪」という曲がありますが、
これは、いつかは不明なのですが、本当に四月に雪が降ったことがあって
それをヒントにジュリー本人が書いたそうです。
「ホントにね、雪が降ってたんですよ。」と嬉しそうに?話してました。
近年四月どころか五月の降雪ってのもリアルありましね・・・。

そして「ヘイ、デイヴ」。このデイヴとは元GSゴールデンカップスのデイヴ平尾さんのこってしょう。
数年前にお亡くなりになりましたが・・・昔のジュリーファンにはおなじみの方でした。
「悪魔のようなあいつ」にも準レギュラーで出てらっしゃいましたね。
・・・最終回で殺されちゃうんですけど。
リリースされなかった挿入歌なんかも歌ったりされてて。

それからそれから!
「お前は魔法使い」という名曲(神曲??)も収録されていますが
このアルバムリリースのだいぶ前からステージやテレビでしょっちゅう歌われてて
ファンの間ではレコード化(それもシングル化)を望まれた歌でした。
これだけはスタンドマイクで歌ってましたね~。
1977年の「勝手にしやがれ」以降ジュリーは一時期結構長いこと
スタンドマイクで歌ってた時期がありましたが
それを予感させる歌でありましたなあ~・・・うっわ、懐かし~!!
まだビデオは全然普及してなかったし、テレビガン見でしたよ。



1975年「THE FUGITIVE 愛の逃亡者」

イギリスでレコードリリースした際のアルバムですが
シングルタイトルをそのままアルバムタイトルに持ってきてます。
ラジオで何曲か放送しつつコメント入れてたんですが・・・
・・・あんまよく覚えてないんですコレ、すいません。
「悪夢の銀行強盗」という曲について
「日本のタイトルをつけるとき、よくこんなの思いつくな、といつも感心するんですよ。」
と言ってたのと「L.Aウーマン」という曲で
「これは僕に書いてくれたんじゃなくてもともとあった歌らしい」
と言ってたのと・・・て、これ、「キャンディ」の話だったかな・・・
あと、本式の英語の発音が難しくてレコーディング時に苦労したけれど
その際、曲を書いてプロデュースもつとめてくれたトニーさんとウェンさんが
「こいつは普段英語でしゃべってるわけじゃないんだから」とか
「オーティス・レディング(アメリカの有名なソウル歌手)だって
あんなの英語になってないじゃないか」
などとイミフなフォローをしてくれたとか・・・
・・・ま、それくらいかな、覚えてる話は。(て、けっこう覚えてた?)
ちなみにシングルの「愛の逃亡者」は原題として「THE FUGITIVE」と併記されてましたが
イギリス発売盤シングルは「FUGITIVE KIND」という題だったそうです。
でも・・・愛の逃亡者て・・・意味がわからん・・・。



というところで、まだまだあるよ、長くなるので一旦切ります。
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