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ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

あの頃のジュリー・・・セトリあれこれ➁

2015年01月09日 23時10分37秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
ジュリーのセトリあれこれ・・・まずは幻と化した感ありのアルバムから行きまひょか。
「JULIE Ⅲ」
1972年12月24日 今は無き日生劇場での
初のソロコンサートライブアルバムです。(発売は翌年3月)
ジャケの写真なあ~・・・・
ネットでは拾えませなんだ。
持ってるっちゃあ持ってるんですが今手近にないもんでご容赦。



で、まずはセトリをアップしてみませう。

1 何かが始まる (キャロル・キング)
2 ハロー・グッドバイ (ビートルズ)
3 ゲット・バック (ビートルズ)
4 風にそよぐ葦
5 美しい予感
6 愛に死す
7 許されない愛
8 嘆きの人生
9 船出の朝
10 電話の唄
11 マミー・ブルー (ポップ・トップス)
12 ジェントル・サラー
13 鳥になった男
タイガースメドレー
14 スマイル・フォー・ミー
15 嘆き
16 素晴らしい旅行
17 シーサイドバウンド
18 ラブ・ラブ・ラブ
19 君だけに愛を
20 花の首飾り
21 銀河のロマンス
22 落葉の物語
23 僕のマリー
24 青い鳥
25 都会
26 モナリザの微笑み
27 君をのせて
28 傷だらけのアイドル
29 テル・エヴリワン
30 ヘイ・ジュテーム (アダモ)
31 祈る

1~3、11、12、28~30が洋楽カバー、()内はオリジナル歌手です。
4はジュリーのために書かれたみたいですが通常のアルバムには未収録
10はタイガース時代にジュリーが作った歌、13は出典不明
それから5~9は時のアルバム「JULIE Ⅱ」のダイジェスト
14~26はその名の通りタイガースメドレーで個々の歌はフルではありません。
・・・あら、こうしてみるとカバーは3分の2もなかったか。この時は。

このコンサート以降タイガースの歌はまず歌わなくなりました。
別に決別とかそう言うんじゃないでしょうが
とりあえずここで一区切りして、
これからはソロ歌手としての自分を見て欲しい、てなところでしょうか。
ダイジェストでお送りしましたところのJULIE Ⅱについてはこっちを見てね。
前~にアップした創作小説のあとがきです×××

この時の衣装はエルビス・プレスリーをちょっと思わせる
だ~っと長いふりふりが下がる白い衣装だったみたい。
まだ早川タケジさんではなかったのね。
演奏は井上堯之・・・バンドではなくグループとクレジットされ(当時は4人)
ブラスセッションの5人組・ゼネラルポップスに
コーラスではシンガーズスリーのお三方が参加。

このアルバムは当時はやりだしていた4チャンネル対応とゆーやつで
簡単に言えばサラウンドですな
スピーカーを左右後方に2個設置して
4つのスピーカーそれぞれから違う音を出すことでより臨場感を味わえる
画期的なシステムうんたらかんたら書かれてましたが
結局マニアックでコアなヒトビトにしか広まらなかった感あります。
その後のライブアルバムはフッツーのアルバムでしたから。
でも確かに臨場感はありましたよ・・・うちフッツーの2チャンネルでしたけど
2ちゃんねるじゃなくて・・・ゲシュタルト崩壊・・・あれ、チャンネルってなんだっけ

とにかく、このアルバムの時のジュリーはまだまだタイガースの声でしたなあ。
初めてのソロコンサート、やっぱちょっと緊張してたようなようなが初々しかったかもです。
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あの頃のジュリー・・・セトリあれこれ①

2015年01月05日 23時15分23秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
懐かし思い出のジュリーのウンチクあれこれ。
ちょっとお久しぶりですが、しばしセトリのお話を続けてみよっかと思います。

セトリ・・・セットリスト、早い話がコンサートライブのプログラムのことですよ。

今でこそどんなミュージシャンもライブは全曲オリジナルがベースで
たまにカバーとかセルフカバーとかが数曲はいるのが大方のセトリですが
昔は自身の歌はあまり歌わないものでした。

ジュリーにしても、例えばタイガース時代も選曲の大半が洋楽で
自分たちのオリジナル曲は数曲。その時のアルバムの曲もあまりやりませんでした。
タイガースと言えばローリングストーンズのカバーが多かった。
ちなみにザ・スパイダースはビートルズのカバーが多かったそうです。

ソロになってからのジュリーも
当時のライブアルバムやミュージックテープをお持ちの方ならお分かりでしょうが
洋楽のカバーが3分の2位を占めていましたね。
原語で歌う場合もあれば日本語の歌詞をつけた(訳とは若干違うような・・・)もありでしたが
1970年代前半のジュリーと言えばストーンズ、ビートルズのカバーなどの他
「ヘイ! ジュテーム」と「アイ・ビリーブ・イン・ミュージック」がど定番でした。

70年代後半はロッド・スチュアートの歌が世界的に大流行でしたからロッドの歌が多かった。
しかも日本語の歌詞をつけて!
日本語の「アイム・セクシー」とかね・・・今風に言うとちょっとビミョーでした。
ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」という大ヒット曲も日本語でカバーしてましたなあ~。

毛色の変わったところでは「ロック・オペラ ハムレット」と言うのをやってて
これはライブアルバムとして発売されましたが
N響という豪華絢爛オーケストラバックにロックミュージカル・・・ですわね、
これはもともと既成のものがあるようなんですが
後のアクト・シリーズのプロトタイプともいえるライブをやったこともありました。

とにかく1970年代はほとんどカバー形式で、
時のアルバムからの選曲は毎度たいてい3~4曲しかなかったように思います。

ソロでのポリドール時代(1971~1984年)にライブアルバムになったものについては
ウィキでも記述が削除されているようですね。
CD化の検討もされたものの結局発売中止になってるみたいで・・・。
中古アルバムについてもヤフオクにもAmazonにもないんやね。
徹底的にないみたい。

まあ・・・出ない出さない理由についてはだいたい推測できるけれど
下衆の勘繰りなので私もオープンで書くのはやめときます。
ただ言えるのは・・・今後もまず発売されることはないと思いますよ、イヤ絶対。
・・・没後50年たったらわからんけど(基本的に著作権なくなるから)。

ですので、ジュリー側の意向を組んでその頃の中身はサラッと書くにとどめます。
・・・でもセトリくらいは書いてもええかな。曲目だけなら。発禁があるわけやないし。

てなわけでその辺はまた次回。
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ジュリーの曲紹介ラスト~⑫

2014年07月13日 15時48分43秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
ひとまず今回で曲紹介と言うかアルバム紹介と言うかオワリです。
ラストは1984年、30年前!? 「ノンポリシー」


と・・・ところが・・・あんまりネタがない・・・。
この頃はラジオの持ち番組もあまりなく、また、
この年の夏、このアルバム中心のコンサートツアーが終わってすぐに
ジュリーは約1年間の休業期間に入ってしまったため
おしゃべりネタもほとんどなかったというわけで。

充電期間と称した休業期間中は表にはでなかったけど
ナベプロからの独立もからんで相当すったもんだしたみたいで、
一時は加瀬さんや兄貴分の内田裕也さんらとも気まずくなってたみたいで・・・
ファンとしても相当気をもんだもんです。
・・・まあ、古い話やけど。

まあ、それはそれとしまして。

「ノンポリシー」のアルバムのネタはないけど
収録されているシングル曲「渡り鳥はぐれ鳥」はひとウンチク?ございます。

1970年代終わり頃、ジュリーのコンサートツアーには
ブラスセッションのゲストミュージシャンが参加していました。
そのバンドはナベプロ所属、「ホーン・スペクトラム」という名前で
後に他のメンバーを加えて「スペクトラム」として主にフュージョン系のバンドとして活躍。

リーダーはトランペッターの新田一郎さんでした。
その新田さんが84年になってスペクトラムとは別にソロヴォーカルとして
アルバムを出すと聞いて陣中見舞いに行ったジュリー、
そこで聞いた新田さん作曲のこの「渡り鳥はぐれ鳥」がめっちゃ気に入り
ぜひ自分のシングル曲として歌いたいと要請した・・・というウワサ。

発表当時はそのタイトルから「え? ジュリーが演歌?」と結構話題になりました。
また、ステージ上を派手に走り回るオーバーアクションで注目を集め・・・ようとしたんですが
残念ながら営業的にはこれもイマイチで・・・。
というか、ジュリーの後で新田さんが当初の予定通りアルバムをリリースし、
その中で歌われていた「渡り鳥はぐれ鳥」を新田さんもシングルリリース。

その時、ジュリーが歌った歌のオリジナルがこれだと聞いた世間の人々が
「へえ、新田一郎という人がオリジナルか。聞いてみよう。」と思ったのかどうか
新田さんバージョンの方がより話題になりよりヒットしてしまったという皮肉な結果に・・・。

ジュリーとしてはその1~2年前くらいから
リリース曲がベストテン入りしないことにかなりの危機感を持っていて、
この時も相当気合を入れていたんですが、なかなかうまく行かず深刻に考えていたようです。
だから休業したわけなんですが
EXOTICSのファンであったちゃちゃめとしては
何の前触れもなく説明もなくいきなりEXOがいなくなり、
休業明けに戻って来たジュリーのバックにはドラムのユカリさん以外誰もいなくなっていたのに
かなり寂しい思いをいたものです・・・突然みんなが行方不明になったような気がして。

・・・ま、古い話ですわ。

なんだかんだでカズさんは今もジュリーと一緒にいますしね。
ジュリーと一緒にプレイしているミュージシャンとして、ダントツの長さになってます。


というわけで・・・・

ジュリーの曲紹介、ていうか途中からアルバム紹介になってましたが
最後に、ドサマギですっとばしてしまったシングル曲の紹介を。

「OH! ギャル」・・・です。
あの~・・・・実はこの歌、ジュリー曰く
「大っ嫌いやったからめちゃくちゃやったんてん。」
・・・だったんですね。
新曲会議の時に時の渡辺晋社長さんがこれを押しに押したのに、加瀬さんが
「社長・・・沢田に”ギャル”はないんじゃないですか?」
と猛反対したそうなんですが、時代は「ギャル」という新語に沸いていた時代。
さすがの加瀬さんも抗しきれず挙句の果てに成田空港からジュリーにホットラインで
「お前、社長がこれ歌えって言ってきても絶対反対しろよ、オレは今からロスに逃げる!!
いいか、絶対断れよ!!」
と無茶振りしてトンズラこいたそうです。(加瀬さん本人談)
だけどジュリーも抗しきれなかった。
だから当人曰く「コンサートでは絶対に歌ったれへんかった。」
せめてもの反抗だったそうな。
そしてテレビ初公開だったド派手メーキャップ。
それまでもコンサートではメイクして出てましたけど
この歌では「めちゃくちゃやったろう」と思ったので敢えてド派手メイクでステージオン。
もちろん賛否両論で大論争になったけど、
これが今現代につながるビジュアル系の起源と思えば
「大っ嫌い」な歌も功ありとなって、少々フクザツな気分にもなりますね。
何しろ・・・大っ嫌いが災いして、生放送で歌った時に思いっきし歌い間違うという
ハコテン並みの大チョンボ(?)をやってしまいましたから・・・。

てか阿久悠さん、なんでこんな歌(シツレイ!)ジュリーに書いたのよ・・・・・・・・・・。
沢田に”ギャル”はないでしょう・・・・・・・・・・・。


とて・・・ふっる~い話です。もう時効よ、時効。
だったら蒸し返すなって?? ・・・スンマッセン・・・。


ま、そんなこんなで・・・曲紹介はこれにてお了い。

ですが・・・またネタ思い出したら単発でやりま~す。
おつきあいありがとうございました~。
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ジュリーの曲紹介まだまだあるよ⑪

2014年07月12日 21時55分00秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
1983年冬、「女たちよ」アルバム紹介・・・

の前に。

以前書いたネタで1982年「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」について追記あり、です。
書いたと思ってたんだけど書いてなかったので。

最近はつべのチェックがかなりシビアで、
昔の映像も中々見ることができなくなっているでしょうから
(てか、著作権上当然なんですが・・・)
TBSの「ザ・ベストテン」という番組でしゃべっておられたネタを紹介しときます。

この歌のイントロや間奏、エンディングで女声の歌声が入るのですが
それ、何て歌っているの? というお話。
意外と知られていないみたいなんですが、
1973年頃までのジュリーのコンサートには
井上堯之バンドの他にゼネラルポップスというブラスバンドと
シンガーズ・スリーという女声コーラスグループの方が参加されていました。
そのシンガーズ・スリーのメンバーのお一人に伊集加代子さんという方がいました。
今は伊集加代さんと名乗っておられますが、
ウィキを見てもジュリーのバックコーラスをしていらしたことは何故か書かれていませんね。
でも、この方、やっていらっしたんですよ。
で、このユ・ウ・ウ・ツの女声もこの方なのです。
その歌詞とは・・・
I DON’T NEED YOUR LOVE AT、LOVE AT、LOVE AT
I DON’T NEED YOUR LOVE AT、LOVE AT ALL
・・・中学英語です、ノット・アット・オールの構文でっせ。
僕にはあなたの愛は絶対に必要じゃない。
覚えて練習して歌ってみようね。


てなところで、「女たちよ」紹介です。



いきなし色っぽジャケですが・・・
それもそのはず、このアルバムコンセプトは「源氏物語」ですん。

今はDVD化もされましたが、1980年TBSのドラマ「源氏物語」で当然光源氏役を演じたジュリー、
ケンさんなんかにも「源氏どの」なんて呼ばれたりしてました。

ちなみにDVDジャケはこれ・・・・。なんか、正直やめて欲しい・・・。と、思った。
もうちょっと普通にやって欲しかった・・・買ったけど。

その源氏どのがいろんな女性を相手に、今風に愛を語ったという設定でした。
しかも、それを当時最先端だったコンピュータミュージックでやるという・・・。
一応演奏はEXOTICSがやったのですが、
それまでのアルバムと違って、歌と演奏を同時にナマで録るのではなく、
(ていうか、本来は演奏を先に録音してから歌だけ別録りするのが普通なんですが)
演奏をプログラミングして打ち込んで、それから歌だけ録音してたので
ジュリー曰く「ずいぶん寂しい思いでレコーディングしてましたね。」な状態。

作詞は全曲詩人の高橋睦郎(むつお)さん。
ウィキには、高橋さんが当時光源氏をできるのはジュリーしかいないと惚れこんで作ったとありますが
私の記憶しているところではジュリー側からこの企画を持ち込んだところ
初め「詩と歌詞は違う」と言う観点から、高橋さんは難色を示した・・・と思います。
コンセプトを丁寧に説明し、敢えて歌詞ではなく詩で表現したいと伝えて承諾をいただいた・・と
私は、記憶しておるのですが・・・さて、どっちが正しいのかしら。私の記憶違い・・・かな。
いずれにせよ、歌詞と詩は違う。
だからこのアルバムの歌は大変”詩的”です。

1000年以上前に書かれた超古典を当時最先端の音楽に載せたと言う画期的な作品ながら
営業的にはイマイチだったらしく、売れ行きは芳しくなかったそうです。
確かに少々マニアックな感は否めませんが、私は大好きでした。
ただ、コンサートでは一曲も歌われませんでした。
コンピュータミュージックをナマでやるのはまだ少し難しかったのかな?
カラオケでコンサートなんてジュリー的にもありえないし。
当時のシングル曲もコンセプトに合わないので収録されていませんし。
もちろんシングルカットされた曲もありません。
だからファンでない一般の人は余計買わなかったのかも・・・。

ちなみにコンピュータプログラムを担当したのはYMOもやってらした松原秀樹さん。
この方は大沢誉志幸さんのアルバムも手掛けておられます。

これですね。1984年(30年も前かい!!)「CONFUSION」
代表曲「その気×××(mistake)」や「そして僕は途方に暮れる」が入ってる。
大沢さんのコンサートにも一時参加しておられましたし。
てか、ジュリーの仕事がきっかけで大沢さんのもされたのかな?

大沢さんのラジオの持ち番組「サウンズ・ウィズ・コーク」にゲスト出演した時、
ジュリーは「女たちよ」のことを「随分暗かった」と言ってました。
今は知らんけど、その頃のジュリーは「売れた物=良いモノ」という考えでしたから
売れ行きイマイチだったものはちょっと自己評価が厳しかったね。

てなところで・・・今回はここまで。

と!!



おおっと・・・・以前ジュリーの出演したCMの巻をやりましたが
ひとつ大きなのをすっこんと忘れてたのでここで補完しておきます。
それは、超有名キャッチのあの商品!!

「クリープを入れないコーヒーなんて。」
ああ・・・・・・・・買いに行ったわ、クリープ・・・・。
牛乳から作られているのはクリープだけ。
他の類似商品はみな植物性油脂由来だったのねん。
そしてこの缶バッチ。

画像検索で見つけて思い出したけど、私も持ってるわ、2種類、今も。
・・・・・レアもん?! ヤフオク出したら高う売れる?????
出さんけど。

この写真・・・てか、CM映像もそうでしたが、ジュリーがクリープの瓶に飛びついてるの。
実はこれ、本当に飛びついてたんですよ。
てか、正確には瓶を持って飛んでたんですけど。
スタッフの何人かがかりでジュリーを抱え上げてね、
せーの!! でぶんっと「ジュリーを投げていた」のだそうです。
もちろん胴体着陸地点にはマットを敷いてあるんですが。
OK出るまで何度も投げられたんだとか。
ジュリー本人は別に痛いこともなく、ケッコ気持ちよく投げられてたそうですが
投げてたスタッフさん達はすっごい大変だったそうです。
いやあ、CMって今もそうらしいけど、作るのすごく大変なんスね。
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ジュリーの・・・・・曲紹介⑩

2014年07月06日 17時11分04秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや

JULIE SONG CALENDERの続き、後半です。

10月「ウイークエンド・サンバ」作詞 落合恵子さん。
落合さんと言えば・・・作家さんではありますが
こんなジュリーの記事を読むような方なら「レモンちゃん」と言ってもお分かりでしょう。
もともと作家志望ではいらっしたそうですが
昔はDJとしてスゴイ人気のある方でしたね。
「レモンちゃん」はその当時のニックネーム。
私も一時ファンで、今も経営されている絵本等の専門店「クレヨンハウス」は
東京店(青山)大阪店(江坂)ともに見に行きました・・・。
・・・て、おっと、この歌のエピソードじゃなかった。
エピソードは・・・すみません、なかったりする・・・。

11月「ラスト・スパーク」作詞は青島美幸さん。
ご存知、元東京都知事・故青島幸男さんのお嬢様です。
ああ・・・・これもネタが他にないよ~、スミマセン。
なお、この歌で我らが柴山和彦・カズさんがアレンジを初担当。

12月「CHI SEI(君は誰)」作詞アレサンドラ・ムッソリーニさん。
かの歴史上の大人物・イタリアのベニート・ムッソリーニの孫娘であり
かの世界的大女優ソフィア・ローレンの姪でもある、
そして芸術家でありモデルであり政治家であり医師でもあるという
とんでもなく多彩なこの方が作詞とは・・・スゴイ。
しかるに・・・実はこの企画中、誰に作詞を依頼するかという話の時、
ワールドワイドな人に伝手がないかと探したところ、
なんと最初はかのオノ・ヨーコさんにオファーが行ったとか。
何でも当時のジュリーのマネージャーの誰か(定かではない)の
親戚だか何だかがオノさんの何とかかんとかにあたるとかなんとか
まわりまわってつながりがあるとかどうとかで当たっていると言う中間報告が
ジュリーのライブ時にもたらされていたのですが
そちらは結局見送られたようですね。
でも、行き着いた先がここだったとは・・・これはこれでスゴイ。
もちろん歌はイタリア語です。

年明けて1月「Free Free Nigth」作詞 名取裕子さん。
この歌も我らがカズさんがアレンジを担当。
その時の裏話?が同ラジオ番組にEXOがゲスト出演した際語られました。
歌詞の一部をジュリーが紹介したところから・・・(若干言い回しは違ったかもですが)
ケンさん「・・・うーん、裕子っぽいな!」
ジュリー「裕子っぽい!www  で、タイトルは(中略)『Free Free Nigth』」
ケンさん?「あれ? おめでたい男じゃなかったの? おめでたい男って聞いてたけど。」
ジュリー「あ、コンセプトはね。」一同笑い
カズさん「それでね、『CHI SEI』は、ケンさんに頼んで・・・
『おめでたい男』は・・・オレにって、言ってんのよwww」
ジュリー「誰が? プロデューサーが?」
カズさん「そう!」
ジュリー「木崎くん(当時渡辺プロ所属のプロデューサー、木崎賢治さん)が?」
カズさん他「そう!!」
ジュリー「あっそう・・・。」
ケンさん「これはもう・・・ミスキャストじゃないって。」一同爆笑
カズさん「ま・・・当たっていると言えば当たっているけど。」
ジュリー「じゃあ、・・・え、てことは・・・おめでたい部分を中心に」
カズさん「そうですねwww」
ジュリー「柴山和彦さんがアレンジしてくれたと。」
カズさん「はいwww」
・・・・・・・・・。
カズさんは・・・うん、おめでたき男哉、とな。

2月「裏切り者と朝食を」作詞 里中満智子さん。
里中さんと言えば少女漫画界の大重鎮のおひとり、パイオニアでありカリスマでもある。
大阪は豊中の出身で物静かだけどベッタベタにコテコテの大阪弁でお話になる・・・。
てか・・・ネタないです。すみません。
「朝食を」とくれば「ティファニーで」・・でも関係ない。
それから西城秀樹さんの「ブーツを脱いで朝食を」・・・やっぱ関係ない。
ないけど西城さんのこの歌は作詞が阿久悠さんで作曲が大野克夫さんなんですよ。
だからナニ?ですが。

ラスト3月「一人ぼっちのパーティー」作詞 研ナオコさん。
ネタ・・・ない。
ただ、ずっと偶数月ケンさん、奇数月前半アキラくん後半カズさんでアレンジ来てたのに
最後3月イレギュラーでケンさんだったので、カズさんファンは肩透かしを食らった。

そしてオマケ収録、アルバムでは最後だけどこの企画のきっかけとなった歌
ジュリーに、それまでありそうでなかったクリスマスソング
「BURNING SEXY SILENT NIGTH」で締めくくりです。
作詞・作曲沢田研二、アレンジはアキラくん。

この企画のあったラジオ番組
「日産ミッドナイトステーション 沢田研二 夜はいい奴」は
そのラストの3月に同時に終了してしまいました。
記事に書いたネタは同番組でジュリーが話していたものと
同時期のコンサートのMCがでどころです。
収録したミュージックテープは終了間際に限定発売されまして
今はCD化されておりますんで結構簡単に入手できます。
DWでも買えます。
でも、付属のカレンダーはおそらく今更手に入らないでしょう。
つか、1983年3月からのカレンダーですから使えないけどね!
同じ暦の年に無理矢理使いますか。数年先だけど。(だから手に入らないってば)



んなわけで・・・また、続きます。

次はアルバム「女たちよ」のお話でも。
地味だけど好き。けど評価低いんだよね・・・いいと思うけどな~。
イマイチ売れなかったみたいで。
いいものは理解されにくいんだよ、ていうことにしとく。
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