ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

ジュリー・イン・キリヌキ~いろんな映像出演宣伝編

2010年11月09日 10時49分35秒 | ジュリー・・・思い出雑記あれやこれや
ジュリーの記事キリヌキ特集最終回です・・・刮目せよ!!

時系列に沿ってまずはこちらから。
「寺内貫太郎一家」にゲスト出演した時のものです。
ようこんなんとってあったな・・・。

1974年7月31日放映だったようです。

おばあさんのきん役はいわずと知れたジュリーの兄貴分・内田裕也さんの奥様であり
ジュリーにとっては姉貴分的でもある悠木千帆さん。いわずと知れた現・樹木稀林さんですね。
ジュリー大好ききんさん、本物のジュリーと偶然会って大喜びの巻きでした。

たまたま「石貫」を訪れたジュリーが、聞こえにくくなったラジオを直そうとして
作業場のみんなと一緒に躍起になるシーンを覚えていますわ。
(最終的には誰かがラジオを叩いたら直った・・・接触不良にはドツキが一番!
昔はよくやったね~・・・て、今でもやります??)



さて、では次行ってみよ~!
小さくて読みにくくてスミマセヌ。

これは1975年春、唐十郎さん率いる状況劇場劇団の公演
「唐版・滝の白糸」に出演した時の関連記事です。
伊藤雄之助さん、李礼山さん(唐さんの奥様ですな)に演出蜷川幸雄さんですか~・・・すごー!
東京公演しかなかったため、当時お子ちゃまのちゃちゃめは行けませんでした・・・4949
原作本のシナリオは買って読みましたが・・・(今も持ってる・・・はず)

この年はそれまでにないいろんな新しいことをすると言ってましたね。
確かに・・・このお芝居・ドラマ主演(「悪魔の・・・」)・結婚(1回目の!?)と、
いろいろ盛りだくさんな年でしたわ~。

小ネタ・・・
この少し後NHK-FM[気まぐれ飛行船」という番組にゲスト出演した時、
この公演の打ち上げかなんかでのどなたかの目撃談が紹介されたのですが、それは
「あの、美しい沢田さんが、冷奴の上に納豆をかけて
おまけにそれをずるっと食べた・・・信じられなかった・・・」と・・・。
ジュリー、応えていわく(すっごく淡々と静かにクールに)
「そういや僕も・・・星の王子様でしたからねえ・・・」
「これは美味しいですよ~・・・」「考えただけでもうまいでしょ・・・」
「ぜひ、試してください・・・」

皆様、ぜひやってみてください・・・ワタシ? やってまへん。
関西人は(ヒトによるやろけど)キホン納豆は苦手です。
・・・・・・・・・・・・ジュリー、関西人やん・・・。


ほい次!

今度は1976年ですな。ソロになってから2本目の主演映画です。

(今は無き映画館の名前がずらり並んでますな・・・)

うわ、秋吉久美子さん、わっか~!!
・・・・・て、そっちやなくて!!

そう、2本立てやってんね。映画パンフも表と裏からの1冊仕立てでしたよ。

1974年に初主演映画「炎の肖像」というのを撮ってますが、
こちらはリアルジュリーのコンサート風景も盛り込まれた
ジュリーの「イメージ映画」の色も濃いので
実質的・本格的な映画主演作品はこれが初めてと言ってもよいかと思います。
もっともタイガース時代の4本の映画もほぼジュリー主演でしたが・・・
でも、そちらはジュリーがジュリー自身の役をやるとか、
そうでなくても、まあ・・・最後はバンド組んで歌って大団円・・・的な
つまりはいわゆるアイドル映画でした。

で、この「パリの哀愁」はパリでのロケもふんだんに入れた
悲しいラブストーリー仕立て・・・ぶっちゃけフリンやけど・・・。
当時ジュリーはフランスでの音楽活動も始めてましたので
それもあってのフランスロケだったのでしょうな。
ジュリーファンはみんなこのころフランスかぶれしたもんです。
ちゃちゃめも御多分にもれず、おふらんす語を勉強しましたわ・・・←単純かつベタ

シナリオ掲載の豪華写真集と原作本たる小説が発行されました。
写真集のシナリオはほぼ映画のとおりですが
小説は後半かなり変わっておりまして・・・以下ネタバレ






映画ではハイジャックにあい、地上に降りてから逃げる途中
彼女が銃で撃たれジュリーに抱かれて絶命すると言う悲惨な最期でしたが
小説ではハイジャック犯はつかまり無事に開放されるけど
ふたりは離れ離れにされてしまいます。(イヤ、フリンやしね・・・)
その後彼女は夫のもとを出てばあやとともに暮らしていたけど
妊娠に気づき、それが彼(ジュリーです・役名は二郎)の子だと信じてそれを希望に生きますが
・・・ところがそれが子宮外妊娠で、とうとう大出血を起こして
おなかの子もろとも死んでしまうのです・・・。
その知らせを聞いて二郎はフランスに密入国(いろいろあって国外追放になっている)し、
彼女を偲んでセーヌ川のほとりに立ち尽くす・・・

自殺を心配されて警官に
「今時のセーヌの水は冷たいですよ」と声を掛けられるラストはたしか同じだったかと。

もともと、映画の冒頭川のほとりにたたずんでいて、
回想の形でストーリーが始まるんですよね・・・確か。
・・・違ったっけ? 記憶があいまいなんで、違ってたらゴメンナサイです。







ネタバレ終了。


小ネタ・・・
この映画中のたぶん中ごろにある空港でのシーン、
背後にプロデューサーの加瀬邦彦さんがしっかり映りこんでおられた記憶が・・・。

要チェック!

では、最後はこいつだーーー!!

この映画は大好きです~。1979年秋の公開、これは現在DVDにもなってます・・・。
アイドル映画ではなく、ファンサービス的な内容でもなく、
共演の菅原文太さんが音を上げたほどハードな内容と撮影状態の
ホンマに本格アクションのサスペンス映画です。
映画マンの本気もビシバシ伝わってくる、まさに命がけで撮影された映画です。
ただ、監督の長谷川ゴジ和彦さんいわく「宣伝を失敗した」のが仇で
作品としての評価は結構高かったのに、興行的にはイマイチの結果に・・・
・・・超ザンネンですわ・・・。


では、これも小ネタを・・・順不同
①映画はストーリー順に撮影しないことが大半ですが、
本作品の一番最初に撮ったシーンは前半の、バスジャック犯逮捕に協力したジュリー(役名・誠)が
警察で感謝状を送られるシーンだったとか。
ゴジ監督いわく「緊張してたな。城戸誠の顔やなかった、あれは沢田研二の顔。」
「文太さんも緊張してたね。文太さんの顔やった。」
②ラスト、誠が時限装置を解除していない原爆を持って町を歩いていくシーン、
ストップモーションで顔のアップで止まって、時限装置の秒針の音の後に爆発音が入りますが
試写会の段階では爆発音は入ってなかったそうです。
これは、試写を見たゴジさんの息子さんのアドバイスで
爆発音を入れたのだとか・・・ゴジさん談。
ゴジさんの息子さんは一般人だと思いますが、当時はきっとまだ小中学生くらいかと。
・・・・すごいね・・・!!
③ヒロイン役は当初桃井かおりさんの予定でしたが、
スケジュールの調整ができず、池上季実子さんになったとか。
④作中誠が黒板に書いていた原爆の作り方は完全に正確、本物。
映画のとおりに作ればマジで原爆が作れるそうです。
但しゴジさんいわく「東海村の(発電所にプルトニウムを奪いに行く)シーン、あれはウソ!!
あんな簡単に盗れるわけがない。あれは絶対にないからね!」
⑤映画の中盤に差し掛かるあたり、ジュリーがおなかに原爆のレプリカ(?)を忍ばせ
女装して、妊婦のフリをして国会議事堂に入っていくシーンがあります。
カメラは遠くから撮影していて、入り口で警備員に声を掛けられる場面があるのですが
なんとその警備員さんはホンモノで、映画の撮影であることを知らなかったとか。
しかもなんと、彼はそれが女装したジュリーだとは気づかなかったそうです。
後でスタッフさん、「実は映画の撮影でした、あれ、沢田研二ですよ~」とばらしたのかな?
いや、たぶん彼は真相を今も(!)ご存じないでしょう・・・。(てか、覚えてないわな。)

というわけで・・・
珍しい懐かしの記事、いろいろ紹介いたしました~。
他にも・・・あるかな、もうないかな??
実家ひっくり返しておる途中ですので、もしかしたらまたなんか発掘されるかも。
そのときはまた・・・アップするかも、です。

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