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ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

続・こんなドラマにゲストで出ましたの巻

2010年10月01日 22時44分06秒 | ジュリー・・・思い出雑記あれやこれや
前回の続き、ジュリーがゲスト出演したテレビドラマのお話です。

まずは、ショーケンこと萩原健一さん主演「くるくるくるり」

1973年11月から半年間、日本テレビ系列で放映されたホームドラマです。
ショーケン扮するトラック運転手・辰夫が恋人・光子(島田陽子さん)と結婚するために
光子の父・車屋(なんと人力車)の仙吉(伴淳三郎さん)に頼んだところが、
あとを継いで人力車夫になるのが嫁にやる条件だといわれます。
そこで、一念発起して車夫になる決心をして辰夫は光子の家に住み込み、
修行を続けながら日々を暮らす・・・という人情ホームコメディなのですが・・

ジュリーは友情出演として第1話と・・・
私の記憶では2話にも出てたような気がするんですが、
3話ではウワサだけされて、以降全く出てきません・・・だったと思います。
役どころは辰夫の親友で、クールで斜に構えたDJ役。役名は確か「ジュン」
出番のシーンは喫茶店か何かだったと思います。

とある喫茶店で辰夫とジュンと他2~3人(たぶん)の友人グループが、
辰夫のプロポーズについてどうするべきか協議中。
というのも、光子の親父は頑固もので、
車夫を継ぐ男以外には嫁にはやらんと日ごろからのたまっていたから。
鳩首会議をよそに、ジュンはずうっとなにやら分厚い本を繰っていましたが、
いきなり店の電話を引っ張ってくると、どこかに電話をかけ始めます。そして
「もしもし、僕は館野辰夫というものですが、
今から光子さんをイタダキにご挨拶に伺いますのでどうぞよろしく。」
とかなんとか勝手に喋って勝手に切ってしまいます。
繰っていたのは電話帳だったのね・・・)

びっくりする友人、そして辰夫本人。
ジュンは涼しい顔で「どうせ申し込みに行くんだろ?悩んだって一緒だよ。」
みたいな事を言って、辰夫の背中を強引に押します・・・。

まあ、なんか、そんな感じでした。

あと、友人の女の子が心配して「大丈夫かな?!」というのに、
「大丈夫だって・・・」とひとごとのように・・・あ、ひとごとか・・・
言ってくわえていたタバコを路上に捨てて(コラコラコラ!!)去って行く・・・

なんか、そんな場面もあったように思いますわ。

あれ? やっぱ第1話だけかな?登場は

その後の回で「ジュンは仕事の関係でニューヨーク(だったかな?)へ行った」
とかいう説明があって、以降は名前も出てこなかったと思います。

蛇足ですが、辰夫はその後仙吉の下で日々車夫としてガンバって
認められて光子さんを嫁さんにします。
光子さん、病気で失明の危機なんかもあったり、
辰夫が輸血に協力して欲しいという要請にたまたま2回続けて出合って
続けて献血して貧血で目をまわしたり・・・と、
変なとこだけ覚えてますわ・・・www



続いて・・・これはドラマか?

「となりの真理ちゃん」・・・と前回書きましたが、
「とび出せ!真理ちゃん」でした・・・。
訂正してお詫びいたします・・・。
(尚、「となりの真理ちゃん」にもゲスト出演はしております)

情報に乏しく、正確なことがわからないんですが・・・
番組自体は1973年の10月から半年間、TBS系列で放映された
天地真理さんをホステスとしたバラエティー番組で、
世界の名作をベースにヒロインを真理ちゃんが、
相手役や準主演をゲストが勤めるという一応ドラマ仕立ての番組でした

で、また正確にはわからないんですが・・・
第5回の「真理のラブレター」にジュリーが出たのではないかと・・・。
この時のお話が「あしながおじさん」をモチーフにしていたと思うのです。

これの後の後の番組「はばたけ!真理ちゃん」(1974年10月から半年放映)でも
「あしながおじさん」をやっているようですが、
それは4回にわたってミュージカル仕立ての内容だった上、
私の記憶ではこの時期ではなかったと思います・・・。
ので、やはり「とび出せ!真理ちゃん」だったかと。


そのストーリーは・・・

貧しくて学校に通えないでいたジュディ(真理ちゃん)のところへ
ある日突然学費を出してあげるから学校へ通いなさいという使いの人が来ます。
(チョビ髭にめがねをかけたジュリーです・・・二役ですな)
その代償としてジュディは学費を出してくれる「あしながおじさん」に
手紙を毎日書きなさいといわれます。
承諾して学校へ行き始めたジュディ。
さっそく友達が出来、更にカッコイイ男の子(?)にも挨拶をされます。
・・・ジュリーですね~!!
友達いわく、「このクラスの優等生で名前はジャービス。ね、素敵でしょ?!」

ジュディはあるとき、ジャービスに「あしながおじさん」の話をし、
一度あってみたいと言います。ジャービスもあえるといいね、と言ってくれます・・・。

で・・・すみません、間は忘れました~

とにかくある日、ジャービスが登校しないのを心配していると、
友達が「大変、ジャービスが病気みたいなの」と飛び込んできます。
ジュディは急いで彼のお見舞いに行きます。
ジャービスは思ったよりも大丈夫そうで、ジュディはほっとして
ジャービスに「あしながおじさん」からの手紙の返事を見せます。
ベッドで仰向けになったまま、その手紙を声を出して読むジャービス・・・。
ジュディははっとします・・。
「なぜ?なぜあなたはその手紙が読めるの?」
「え・・・?」
「もしかしたら・・・あなたが『あしながおじさん」じゃ・・・」
「ちがう! 僕は『あしながおじさん」じゃない・・・」
「だって、そうでなきゃ、こんなに暗いところで手紙が読めるはずがないわ!
やっぱりあなたが『あしながおじさん』なんでしょ?そうでしょう?
自分が書いた手紙だから、何がかいてあるのかわかったのよ・・・。だから・・・。」
「・・・ごめん、どうしても言えなかった・・・。」
「そう・・・ありがとう!あなたのおかげで私、学校に通えたわ」
・・・・

・・・・とかなんとか・・・・

やっぱりディティールは違ってると思いますが。

それにしてもすごいですな・・・バレかたが!!
「こんなに暗いところで読めるわけがない」とは・・・www


原作の方は・・・・↓ネタバレ(というのかしら?)






風邪を引いた「あしながおじさん」のお見舞いに行ったジュディが、
その部屋にいたジャービス本人に
「僕が『あしながおじさん』だということに気づかなかったの?」
といわれて初めて気づくんですが・・・。




でも、そののんきな展開にはほのぼのっとしてしまいます。
ちなみに友達の役は番組レギュラーだった鶴間エリさんと記憶しております

え? 40年近く前にいっぺんしか見てへんのによう覚えとるなあ~って?
イヤイヤイヤ! いっぺんしか見られへんからこそ食い入るように見ていたのと、
ファンになって日が浅く、なんでも印象深く感じて覚えられたのと
それから・・・・若かったんですねええ~!!!
その分大事なことはさっぱり覚えてなかったりする・・・

イヤ実はこれも、ジュリーが出た!イイ役やってた!
・・・もうジュリーが何をやってもわくわくして大喜びしていた時期です、
しっかり「ノート」に「絵入り」で記録した覚えがあります。(現存せず)
描いたら覚えるんですよ、自分の描いた絵に悦に入って、脳裏に焼き付くんです。

その絵とは・・・
ベッド上で手紙を読むところと、
「あしながおじさん」といわれて懸命に否定するところでしたわ~。
なんか、臥せっている姿がたまらんかったみたいですな~・・・ははは


というわけで、ドラマゲスト出演話はこれにて、お了い。
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こんなドラマにゲストで出ましたの巻

2010年09月30日 14時03分09秒 | ジュリー・・・思い出雑記あれやこれや
ジュリーが初めて出演したドラマとはなんでしょう?

答えは「刑事くん」です。
ナツイ!! という方も多いのでは・・・。
見てましたわ~!!!!楽しみにしてたし!!

しかし・・・なんかすごいタイトルですね、今更ですが。

「刑事くん」というのは・・・
(・・・詳しいことは↑クリックしてね。)
1970年頃大人気を博した俳優・桜木健一さんの代表作です。
桜木さんといえば他にも「柔道一直線」という
あまりにも有名なドラマの主役も演じておられましたが、
それは置いといて、とにかくこの「刑事くん」の
1972年4月10日に放映された第32話、
そのサブタイトルもなんと「許されない愛」のゲスト出演時が
ジュリー・ドラマ初出演なのでした。

ちょっと調べてみましたら、
この回、脚本はあの市川森一さんではないですか!
ウルトラシリーズでも有名な、ご本人曰く「喋れる脚本家」の・・・。

ぢつはウルトラセブン大好きちゃちゃめ、かなり親近感・・・。

で、この回のお話です・・・ネタバレ必至!

DVD化もされておりますゆえ、ご覧になった方もいらっしゃいますでしょう。
ちゃちゃめは遥かな昔にテレビで見まして(再放送だったはず・・・)
なんとそれ以来一度も見ていません・・・ビデオもないし~・・・。
だから、かなりのうろ覚えでありますが、さらっと内容をお話します・・・
(て、実は録音はしてて、聞き倒したんですな・・・今はもうないんですが)

主人公・桜木さん演じる三神刑事の弟がよく聞いている、ラジオの深夜放送に
「1年前、私はママを殺しました」という少女からの投書が来ます。
皆はラジオ番組宛のたわいない作り話だといいますが、
三神刑事はなんだか気になって放送局を訪ねました。
三神刑事の相手をしたのがジュリー演じる番組のディレクターです。(ADかも?)
そんな投書はゴマンと来る、いちいち本気にしていたらきりがないと話しますが、
三神刑事は一応は・・・と少女の住所氏名を書きとめて帰ります。
署に戻って調べてみると、なんと少女の母親は本当に1年前毒を飲んで死んでいたのです。
本当に少女が殺したのか、ただ相手はまだ高校生なので
慎重に尾行していると、帰宅途中の少女を誰かが呼び止めました。
それは・・・あの番組の(便宜上)ADでした。
彼は少女をどこかへ連れ去っていきました・・・・。

で、スミマセン、ちょっととばしまして・・・

ADの後を追った三神刑事は、彼が港の船着場の小さな船に乗り込んでいくのを見ました。
ややあって、彼は船から下りてきて、三神刑事に気づきます。
黙ってジャックナイフを取り出し、彼は三神と対峙しますが・・・
やがて黙ったまま諦めたようにナイフを海へ投げ捨てます。
三神刑事が静かに真相を問いただすと、彼は
「1年前、彼女の母親は浮気をして、父親を殺そうと考え、紅茶に毒を混ぜた。
彼女はそれをたまたま見ていて、母親が目を離した隙に
二つの紅茶を入れ替えた・・・。
なんのことはない、母親は自分の入れた毒で自分が死んだんだ。
彼女は今船の中で眠っている、疲れたんだろう・・・。」
「彼女、連れていくよ?」
そういって少女を連れ出そうとする三神刑事に彼は半ば独り言のように
「守ってあげたかったな・・・。」
とつぶやきます。

すんません~・・・デテールは違ってると思います。
おおむねそんな話だった・・・です。

ちょっと印象的だったのが劇中およびBGMとして使われた二つの歌です。

一つ目はラジオで少女の投書をDJが読んだとき・・・
「『可哀想なママのために、フラワーズのサトリをお願いします。』」と
リクエスト曲が読み上げられ、実際ちょっとだけかかるのですが・・・
この「フラワーズ」の「サトリ」・・・!!
・・・かなりマニアックな話になってしまいますんでサワリだけ申しますが、
要はジュリーの兄貴分である内田裕也さんのバンドです。
その後ジョー山中さんらの「フラワートラベリンバンド」となって
世界進出なんかももくろまれていたようです。
アルバム「サトリ」はこのフラワートラベリンバンドが出していて
現在はCDで入手も可能なんですが、
フラワーズバージョンはレア物なんでは、と思います。
いずれにせよ「そうきたか!」と思わせる選曲でした・・・
少なくとも私はそう思った。

で、二つ目が、ジュリーのADと三神くんが無言で対峙する港でのシーン、
バックに流れた曲が「許されない愛」・・・ではなくて!!!!!
なんと、ジュリーがソロになった頃まだ平行してちょっとだけ活動していた
PYGの「淋しさをわかりかけた時」だったのでした。

い~ま~な~らはな~せる きず~つ~い~た 過去~・・・

と、ジュリーのボーカルがバックに静かに流れてきます・・・。


↑お分かりいただけますでしょうか?
このシングルのB面に収録された歌です。ちょっと小さい字で書かれてます。

いったい誰が選曲したんでしょうか?
かなり”粋!!!” だと思います~。

関係ないですが、東映さんだったのね・・・製作。


さて、ジュリーが他にゲストで出ていたドラマというと・・
順不同(主演・レギュラー出演は除く)

ショーケンこと萩原健一さん主演「くるくるくるり」・・友人のDJ役
往年の名ドラマ「太陽にほえろ!」・・殺人犯役でショーケンに射殺される
(なんとこれも市川作品!! 他にも多数執筆。)
名ドラマ・・のリメイク「新七人の刑事」・・インチキ探偵の弟分役(兄貴役は裕也さん)
これはドラマか?天地真理さんの「となりの真理ちゃん」・・あしながおじさん役
久世作品「寺内貫太郎一家」・・通りすがりの墓参りの青年で実は本人役
TBSサスペンス「陽のあたる場所」・・犯人・・・みたいな役、
(これはゲストというより・・・単発作品の主演というべきですがな)

他にも「時間ですよ」や「ムーの一族」などにも出ているようですが
スンマッセーンン、ちょっとわからない・・・(見てないので)

結構出てますね~。
「くるくるくるり」なんてあまり知られてないんじゃないかな~??

てことで、次回はそのへんの、ごくごくちょろっと出ただけ、
又は「となりの真理ちゃん」のあしながおじさんの如く
「なにそれ??!」的なお話が出来ればいいなと思いつつ・・・

今回はこのへんで・・・です。
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「ジュリーズばんざ~い」

2010年09月15日 08時46分41秒 | ジュリー・・・思い出雑記あれやこれや
”ジュリーズ”とは何ぞや???

はい、とっととばらします。
ジュリーこと沢田研二さんが持っていた草野球チームの名称です。

ジュリーの野球好きは有名です。
ひいきのプロ球団はもちろん阪神タイガース。
ジュリーの在籍したGSザ・タイガースの名前は
阪神タイガースから拝借したものであることも超有名な話です。

子供のころからの野球好きで、長島茂さんの大ファンだった・・・ときいて、
初めはちゃちゃめ、ジュリーはてっきりジャイアンツファンかと思って
がっかりしたことがありましたが・・・いやいや全然、長島さんは長島さんとして
球団としては筋金入りの阪神ファンだと知って安心しました~。
もちろんちゃちゃめも阪神一筋でございます(最近はあまり熱心じゃないんですが・・)。

ジュリーが子供のころは、少年たちはたいがい野球をしたものでした。
「おーい、イソノ!野球やろーぜ~!」
「よお、ナカジマ!やるやる!」の世界でございますね。
「コラァのび太、野球やるぞ!早くこねえとぶん殴るぞ!」
「あ~、待ってよ、ジャイアン!」でございますわ。

研二少年も小学生のころから野球にあけくれ、
中学校では4番・主将・ピッチャー・・・ではなくファーストレギュラーでした。
将来の夢はもちろん「プロ野球選手」であったそうです。
でも、前にも書きましたが、野球の名門・平安高校へは事情でいけず、
進学した高校は当時の京大進学率NO.1という全然違うタイプの名門校。
残念ながら野球部は強くなく、野球界への道を絶たれてがっくりしたそうでした・・・。

でも、そのおかげで音楽の道に進み大成されたわけですが・・・。

しかし野球への情熱は失わず、ソロになってから
念願の野球チームを結成し、草野球を始めることになったのでした。

メンバーはジュリーを中心に時のバンドメンバーやスタッフたち。
もちろんユニフォームも揃え、球場を借りて対抗試合もこなすという本格ぶり。
自分のラジオ番組で中継の録音を放送したこともありました。
本業で忙しい中、結構年間何試合かこなしていたそうです。
郷ひろみさん率いる「ヒロミーズ」との対戦をテレビで中継されたことも。
これはテレビ局側の企画だったのでしょうが・・・(確か負けた気が)・・・。

ちゃちゃめが持っていたラジオ放送の録音は2試合分ございました。
1回は1978年ごろ、井上堯之バンド時代と
もう1回は1982年8月のEXOTICSです。
但しエキゾの方は試合の実況ではなく、試合当日の夜の放送に(つまり生放送)
エキゾを招いての、試合内容の紹介とそれに関するこぼれ話でしたが・・・。


1978年前後、ジュリーが持っていたラジオ番組に
「沢田研二 ラブコレクション」というのがありました。
そのとある回の際、草野球中継をしたことがあります。(もち録音でしたが)
中継をTBS(たぶん)の本職のプロ野球実況放送アナウンサーが勤め、
解説はやっぱりこの人、加瀬邦彦さんの登場。
でも、加瀬さんって野球はあまり詳しくないみたいで、
ジュリーズの選手が”三振振り逃げ”という珍しいことをしたのを見て
「あれはなんというワザですか?!」と興奮状態に・・・。
アナウンサーがそれを説明して聞かせるという、
「実況と解説が逆やないの?」という場面もありました。

草野球ならではなのが、今ヒットを打ったばかりの「沢田監督」を呼んで
その場でインタビュー。
その試合は結局ジュリーズが勝ったのですが、
最後ヒットを打った井上バンド・ドラムの鈴木二郎選手をたたえて
「スズキーーーー!!!」と大声を出して大騒ぎする模様も丸聞こえ・・・。
なんともお茶目な、これぞ草野球でとっても楽しそうでした。


エキゾ時代の試合は何故か福岡にコンサートツアーで行ったときに
コンサートの合間にやった福岡全日空ホテルチームとの対戦でした。
このチームとは1年前にもやっていて、どうも行くたびに対戦していたようです。
(ちなみに1年前は”惜敗”だったそうで・・・。)
その、グラウンドに向かうバスの中で、
リーダーのケンさんがメンバー皆に今日の抱負などを聞いて回っていましたが
そこでもっとも調子のいい事を言って、活躍してみせると豪語していたのが
何を隠そうセカンド・柴山カズさんでありました。
「今日の試合に備えて、僕は体調を整えました。」
「ヒット、あるいはツーベース、あるいはスリーベース、
もしかしたらサイクル安打、丸いかもしんない。」(若干意味不明)

しかし実際活躍したのは5打数5安打のケンさん、そしてエース・ジュリーと、
打点つきのヒット1本のキーボード・アキラくん。(1本でも活躍!!)
われらがカズさんは自称”口だけ”。代表して三振もしていたという・・・。
「俺とやっさん(ギター)の、帰りのバスの中で暗かったこと・・・
・・・・・。
「カズの場合は(抱負を語りすぎて)結局全部裏目に出ちゃった」
「抱負と全然違うじゃない!どうなんだよ、お前・・」とは
ケンさんの怒りの声・・・。

でも、そのあと、今日の感想を聞かれたときは
「野球の方では地味でしたけど、
これからの夜の生活は、よりいっそう派手な活動をしたいと思います!」
と誓っておられました・・・。
ケンさんが「これからもガンバロウ」的なことを言ったのに
「もう子ども二人いるからだめだ。」と突っ込んだのもカズさんです。
・・・ナニ!!ゆうとんねん、この人は・・・

更にジュリーが「明日はステージだから今日は早く寝ようぜ~」と言ったのへ
皆が「そうだぜ、寝ようぜ」と答えたら、
カズさんはすかさず「そんなの嘘だぜ!」(一同爆笑)
「柴山、お前また行くのか?」というジュリーの意味深なツッコミに
「俺は行くぞ~!!」と大声で吼えていました・・・。
・・・ナニゆうとんねん?!! この人は・・・??!!

とにかく試合はスタッフK氏のサヨナラ逆転スリーランによる
ジュリーズの勝利でおわったので
おしゃべりのラストはカズさんの「ジュリーズばんざ~い」で締めくくられております。


それ以降はどうにも本業が立て込んで、なかなか野球が出来なくなったようで、
そのうちやめざるを得なくなったみたいですが、
ジュリーの野球好きはずうっと続いていらっしゃいます。


ちょっとタイトルからは離れますが・・・野球ついでに。

野球観戦にもたまに行かれているようで、
たしか神宮球場だったかと思うのですが、チケットがうまく取れなくて、
相手チーム側の席になったことがあったそうなのです。
周りがすべて相手チーム――神宮ならヤクルトですね、ファンに囲まれて、
時のマネジャーさんと二人・・・
どなたかはっきり覚えてないんですが、森本マネジャーさんかな?
あの方兵庫県出身だから、きっと阪神ファンだったのではと思うのですが、
とにかく二人で、周囲のキビシイ視線にも負けずに阪神の応援をしまくったとか・・・
それで、その試合阪神がかっちゃったのだから、
周囲の視線はよりキツかったはずではと思います・・・。
それでも夢中で応援できるほどの、
ホンマ筋金入りの阪神ファンでいらっしゃいますわ。

また、ある時のインタビュー記事のプロフィール欄に、
「好きな野球選手」の項でジュリーは「加藤博一」さんと記入していました。
うしろに(阪神タイガース)と併記して。
この加藤さんとは、後に横浜大洋ホエールズ(当時)に移籍して俊足でならし
「スーパーカートリオ」の一角を担った、あの加藤博一さんのことです。

阪神時代は、1980年に盗塁王にあと一歩及ばずの活躍もされましたが
レギュラーとまでは行かず、どちらかというとややマイナーな存在でした。

で、その加藤さんを何故この項に書いたのか・・・というと?

実は加藤さんとジュリーは飲み友達だったんですね~。
どこでどう知り合ったのかはわからないのですが、
そういう親しい仲だったそうです。
あとで加藤さんも有名になり、どこかで語っておられたのですが、
「ジュリーは俺の飲み友達なんだぜ~」というと、
「うそつけ!」と、全然みんな信じてくれなかったそうで
たいへん憤慨したとかいうお話・・・

引退後は解説者であるとともにタレントとしても活躍され
すっごく明るくひょうきんで楽しい方でしたのに、
ガンで早世されましたね・・・(享年57才)。
とても残念です。


それから、草野球の試合の時、リストバンドを自慢して見せて
「これ、掛布(元阪神の名選手)にもらったリストバンドだよ~」とか
「掛布は僕の舎弟だよ」などとホラを吹いていたことも!?
イヤ、掛布さんからもらったのは本当なんでしょうが、
そういう子どもじみた自慢をするところ、まるで少年でございますね~。
マッタクかわいいとこありますわ~。


ま、今回はこんなところで失礼いたしやす。
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EXOTICS

2010年08月29日 14時43分55秒 | ジュリー・・・思い出雑記あれやこれや
EXOTICS・・・・!!!!!!!!!

やっぱ書かなきゃだめっすよね~!!!!
ジュリーファンOGとしちゃあ~~~~~!!!

はい、何度も拙ブログに登場いたしております
ジュリーこと沢田研二さんの”伝説の”(笑?)バックバンドでございます。

ジュリーのバックバンドはその前に
井上堯之バンドという超ビッグな、これこそ伝説の神バンドがありますが
そのお話はまたの機会に譲りまして・・・。

井上バンドは1980年明けに解散、
その後はオールウェイズというバンドがだいたい丸1年間だけ活動し、
翌年の1981年春から1984年秋までの3年間
・・・今にして思えばたった3年なんですが、
EXOTICSが超ド派手に活動いたしておりました。
実力派でありながら、ビジュアル系バンドのハシリとも評されております。

そのEXOTICSのお話です。

・・・何故大物ぞろいの井上バンドを差し置くかって?
そりゃあ・・・ちゃちゃめがエキゾ大好きだったからですよ!!


では、ジュリーのなつかし話、今回はタイトル独立させちゃったけど
EXOTICS・・・伝授!!(D様今回も使います~。)


EXOTICSはエキゾティクスと読みます。
ちょいちょいエキゾティックスとかエキゾチックスとか
読み間違いされるのですが・・・お間違えなきよう。
長いので略してエキゾと呼びますが、
何故かリーダーのケンさんだけは「ティクス」と呼んでました。
(自称あまのじゃくだから・・・??)

命名者はジュリー。

結成後すぐにはバンド名が決まらず、しばらくは時のジュリーのリリース曲
「渚のラブレター」を冠して”渚のラブレターバンド”と名乗っていました。
ただし往年の名番組「夜のヒットスタジオ」でのみ
B面の曲タイトルを冠して”バイバイジェラシーバンド”と名乗っています。
これは「渚のラブレター」が化粧品会社のマックスファクターのイメージソングで、
「夜ヒット」は提供スポンサーにライバルの資生堂があったため。
ですので「夜ヒット」では「バイバイジェラシー」という歌を歌っております。

で、名前の由来ですが、
これはジュリーがいろいろ考えていて、
ふと手にした国語辞典、それも少し古い昭和40年代の版を見ていて
・・・確か「監修金田一京助先生でございますね~。」
エキゾチックという言葉に目がとまり・・・
「エキゾチック・・・。
昭和40年代の辞書に載ってるということは
じいさんばあさんが聞いても、そう抵抗のない言葉なんやないかいな?」
と思い、
「エキゾチック・・・エキゾチックス・・・エキゾティックス
エキゾティクス・・・。これ、ええんやないかい?」
と思って命名にいたったのだそうな。(ジュリー本人・談)



では、メンバー紹介・・・(「」内はいろんな人からのコメントです。)

(画像は1981年夏のコンサートツアー・パンフレットから。
左から西平彰、上原豊、柴山和彦、沢田研二、安田尚哉、吉田建)

リーダー・ベース 吉田 建(よしだ けん)さん
呼び名はケン、ケンさん。「お父さん」「波平さん(サザエさんの)」とも。

1949年生まれ さそり座A型 千葉県成田市出身・・・でも、本人は
「カッコつけるために」東京出身(育ちは東京なので)とのたまっているそうで。
(↑後注・・・成田市ではないそうです。申し訳ありません~。
 海音さま、ご指摘ありがとうございました。)
早稲田大学在学中からエレキ・ベースをはじめ、
それまではコントラバスを主に演奏していたそうです。
浅川マキさんやつのだ☆ひろさんらのバックなどを勤めた後
泉谷しげるさんのバンド・BANANAでもリーダー。
それと平行して1980年ジュリーのバックオールウェイズに参加。
そのままEXOTICSに続けて参加。
特技は宴会部長。当時の名物マネジャー・早稲田の先輩森本さんと結託し?
早稲田仕込の宴会ゲームやクイズ大会など
常に自分は皆にやらせる方向でコーディネイトするのが得意技。
口癖は「バカヤロー」で、本人の弁によると「愛の言葉」。
「スポークスマン」の自称もあるとおりすごい”しゃべり”で「歩く小言」という評も。
でも、意外と「人見知りする方(ジュリー)」で、
テレビの生本番などでインタビューされると確かに恥ずかしそうです。
エキゾ後はBANANAは続けつつ、山下久美子さんや加藤登紀子さんの演奏に参加。
プロデューサー・作曲家としての活動も数多く、
"三宅裕司のいかすバンド天国(イカテン)"という新人バンド発掘番組の
審査員も勤めました。
これは関西ではオンエアされなかったので見たことはないんですが、
新人バンドを見渡して「腰抜けですね」と辛口発言するなど
なかなかに存在感ある審査員だったと聞いております・・・
(ここでも「バカヤロー」という愛の言葉を連発していたとか何とか。)
1989年からまたジュリーのバックバンド”JAZZ MASTER”に
リーダーとして復帰したのですが、
音楽性や方向性に意見の相違があったらしく残念ながら93年にリタイヤ。
その後もプロデューサーまた作・編曲家として活躍されています。
ドラマにも出演したことがあるそうで・・・。
最近はなんか堂本兄弟やスガシカオさんらとセッションをしたとかいう話が
ケンさんご本人のブログに載ってました。
いやあ~・・・しゃべりとノリはちっともかわってませんな、この方。


ギター 柴山 和彦(しばやま かずひこ)さん
呼び名はカズ、カズさん。

1952年生まれ 乙女座A型 生まれも育ちも今住んでいるのも横須賀市。
カズさんについては早々に拙ブログで大々的に紹介いたしておりますので
詳細はそちらでよろしく~。
エキゾ後のバックバンドCo-CoLo(ココロ)には不参加で、
実兄の好正さん、ケンさんとともにBANANAは続け、
他には大沢誉志幸さんや鈴木さえ子さん、松尾清憲さんなどのバックを勤めて
4年ほどジュリーから離れていましたが
1988年Kris-Kribgle(クリスクリングル)という名のバンドで
ジュリーのバック復帰、
続けて89年からケンさんとともにJAZZ MASTER(95年まで)にも参加し、
以後もずうっとジュリーのバックを勤めています。今はバンマスだそうです。
ジュリーのそばにいて欲しいミュージシャンぶっちぎり第1位・・・
・・・とかいうのをどちら様かのブログか何かで拝見しました。
カズさんを直接知る方々のコメントで人物像を補足しますと・・・
「調子のいい」「なかなかひょうきんで」「楽しい人」「口だけで生きてる(自称)」
「カズさんはカズさんで、それ以上でもそれ以下でもありません」
「酔うとよく寝る」けど「彼の(酒の)強さは他に例を見ない。寝ながら飲んでる」
「(仕事上のことで)できないとは絶対言わない」「すごい努力家」
「頑張りマンですね」「きりっとした感じ」
で、ミュージシャンには珍しく(?)一度もタバコを吸ったことがない健康な人です。


ギター安田 尚哉(やすだ なおや)さん
呼び名はやっさん。

1953年生まれ 蟹座 O型 出身は芦屋とも神戸とも言われていますが・・・
西宮の夙川(しゅくがわ)にいたのは間違いないです。いずれにしろ兵庫県やね。
この人についてはすみません、ワタクシよく知らないんです。
どこからいらしたのかよくわかりません。
また、エキゾも1984年の2月ごろに抜けちゃってて
その後上々颱風(しゃんしゃんたいふう)で
ベーシストをやっていたのはわかっているのですが
それからどうしたかは・・・。
なんか、現在はLight Headzというバンドのリーダーらしいです。
上々でベースに転向したのは・・・実は転向ではなく
上々はギターレスバンドなんで、じゃあベース弾きますとなったそうです。
人物像としては、ややおっとり型の印象があります。
メンバーいわく「スリークッションのやっさん」だそうで。
これはビリヤードの技だそうですが、
各メンバーの間をうまく取り持つといったそんな感じだとか。
に、しても「みんなの間をうまく渡って、世渡りがうまいという?(ジュリー)」には
みんなして「そういうことはない(笑)」


ドラムス上原 豊(うえはら ゆたか)さん。
名前を”裕”と書かれることがしょっちゅうありますが、”豊”が正しいのでは・・・?
呼び名はユカリ、ユカリさん。
これは、幼少のみぎり、髪をへその辺りまで伸ばしていて女の子みたいだったので
当時明治マーブルチョコのCMに子役で出ていらした
女優の上原ゆかりさんからとってそう呼ばれたのが
大人になってもそのまま呼ばれているのだそうです。

1953年生まれ 射手座 O型 出身は京都でしたかな・・・。
ユカリさんは”村八分”という、その筋では伝説といわれる
少々過激なロックバンドに参加。
その後は山下達郎さんのバンド・シュガーベイブにいましたが、
ケンさんと一緒にバイバイセッションバンドにいたことも。
他にもありとあらゆるいろんな人のレコーディングに参加されていまして、
幅広くどこでもその名を見かけます。
ちなみにエキゾ後は、次のバンド・Co-CoLo(ココロ)にも
初めのころちょっとだけ参加されていました。
この人は「いつでもどこでも僕は楽しい(ジュリー)」という前向きでユルいお方。
やっさんよりさらにおっとりした感じで、
ドラマーですからすごい筋骨隆々マッチョマンなんですが
ものすごいネコ派でネコの気持ちがわかる人。
「散歩につれていくと野生がよみがえるらしい」とのたまい、
「噛まれても好き」と言ってジュリーをうならせました。
(残念ながらジュリーはどちらかというと動物嫌いらしいです。
別に怖くはないそうですが。)
近況はよくわかりません。甲斐バンドのフォローをしていらっしゃったけど
期間限定再結成の時もやってて・・・
あ、最近もやってるんですね、甲斐バンド。
じゃあ、そこにいるの・・・かも?
調べたけどよくわかりませんでした・・・。


キーボード・ピアノ西平 彰(にしひら あきら)さん
呼び名はアキラ。・・・さんなし? はい、”末っ子”ですので・・・
ファンからもアキラくんと呼ばれていました。

1958年生まれ 水瓶座AB型 東京都杉並区出身ですとか。
早稲田のライバル(?!)慶応義塾大学卒業後ジュリーのバックに新卒で就職!!
慶応ということは加瀬邦彦さんの後輩ですな。
ケンさん、カズさんとともに1980年のオールウェイズから参加。
ひとりでぐっっっっっっっと平均年齢を下げてくれまして
もちろん女性ファンからも1番人気。
若くて可愛くて「生まれたばかりのバンビちゃんみたい~」と言われてて
ケンさんが腐り倒して「ケッ、ナニ言ってやがんだバカヤロー(愛の言葉)!」(笑)
ピアノは5歳から習ってたけどご本人曰く
「中学くらいになると面白くなくなっちゃって」軽音に転向。
でも、さすが小さいころから正式な音楽教育を受けたおかげで
その音楽センスと実力はピカイチ。
1982年にジュリーが出したシングル”6番目のユ・ウ・ウ・ツ”は彼の作曲です。
それがプロに楽曲提供した初作品でこのほかにもアルバムに多くを提供。
エキゾ後は氷室京介さんのバックなど務め、
一時カズさんと一緒に松尾清憲さんという歌手のバンドもやっていました。
最近はケンさんと同じくプロデューサーあるいは作曲家として活躍しています。
無口でおとなしいけど、言うことははっきり言うところが
当時で言う”現代っ子”でありました。



井上バンドはコンサートでは必ずバックを勤めていましたが、
レコーディングにはあまり参加しておらず、
テレビも必ず出るわけではなかったし、
出ても番組専属のオーケストラと合同演奏することがほとんど。
また、井上バンド単独の活動もあり、
たとえば人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」などの音楽の演奏や
短期間でしたがロック歌手麻生レミさんをボーカルに招いて
”井上堯之ウォーターバンド”としても活動していました。
さらに井上さんや大野克夫さんはソロアルバムを出していたりと、
ジュリーのバックだけがお仕事ではなかったのですね。

それで、次のバンド・オールウェイズは完全に専属バンドで
必ずライブもレコーディングも参加するようになりました。
多少他のミュージシャンにヘルプとして入ってもらうことがあったものの
オーケストラと合同という形はなくなりました。
いつも一緒・・・だからオールウェイズ(いつも)かな???

それを更に徹底させたのがエキゾだったのではないかと思います。
ジュリーとバンドの更なる一体化ですね。
オールウェイズの終盤は衣装もジュリーと
トータルコーディネートされるようになりました。
だから急遽パワーアップさせたバンドを作ろうとなったのではないかと
ワタクシ邪推しております。
・・・それでバンド名が間にあわなかった、と。

エキゾになってからは音楽的にもビジュアル的にも一体化して
それだけにエキゾ自体のファンも多かった。
音楽的にもよりタイトな音を目指し、
歌謡曲っぽかったジュリーの音楽も
歌謡曲・・・の一面はあるけれどもっと特異な
ジュリー独特のロックサウンドが確立されて行ったと思います。
ジュリー自身も
「僕のやっている音楽は・・・邪道というか、穴場というか?
他にやってる人がちょっといないような、
どういうジャンルにも入りにくいようなところをやってるので
その辺が僕らしいというか、そんな感じですね。
邪道って・・・好きですよ。」
というようなことをよくおっしゃっていました。

と、いったところで・・・
なんかまだ語りつくしていないんですけど
かなり長くなったのでひとまずこの辺で・・・。
また、続く・・・かもしれませぬ。
コメント (8)
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ジュリー・イン・ラジオドラマ

2010年08月22日 15時14分15秒 | ジュリー・・・思い出雑記あれやこれや
沢田研二さんのお話・・・今回はラジオドラマについて。またまた長うございますよ。

ジュリーはかつてケッコーたくさんのラジオレギュラー番組を持っていました。
前にご紹介した「愛をもとめて」もそうですが、
私がいつも聞いていたものだけで
「沢田研二 ラブコレクション(通称ラブコレ)」
「沢田研二・梶原茂 東海道ルート53次」
「日産サウンドフリーウェー」
「日産ミッドナイト・ステーション 沢田研二 夜は気ままに」
「沢田研二劇場 夜はいい奴」
「ジュリープラスアルファ 夜はライバル」
・・・こんなもんかな、
10分番組から一時間番組まで、いろんな番組を持ちつつ
音楽系の番組にゲスト出演も多数こなしておられました。

いちいち紹介しますとキリがありませんので、
今回はラジオドラマのいくつか・・・
少々レアなネタを含めて紹介したいと思います。


まず、レギュラー番組であった
「沢田研二劇場 夜はいい奴」から。

これは番組自体がラジオドラマを放送する目的で作られたもの。
1981年10月10日から翌年4月3日まで毎週土曜日
ニッポン放送系列で放送された・・・というのはわかってますが
はて、関西では何放送やったかな・・・朝日か毎日か・・・

ともかく、だいたい4週、ひと月で一話になるように
ラジオドラマ用のシナリオではなく人気作家の短編小説を
ラジオドラマ化して、毎回多才なゲストとともに放送していました。
資料らしい資料もサイトも見当たらないけど、
ゼンブではないけど、ちゃんと録音が残っておりますのですよ~!!
それを元にご紹介いたします~。

取り上げられた作品は・・・(録音・・・と記憶が残っている限りで、です。順不同)
赤川次郎「盗みは人のためならず」
筒井康隆「国境線は遠かった」
小松左京「昔の女」
小林信彦「唐獅子株式会社」
・・・・あと、覚えてませんすいません・・・。

ラジオドラマ聴いてからちゃちゃめ、これらの原作本はゼンブ読みましたよ~!
面白かった!!

それぞれちょっと紹介しますと・・・

赤川次郎「盗みは人のためならず」
ゲストは当時人気テレビバラエティー番組だった
「欽ちゃんの良い子悪い子普通の子」から中原理恵さん&山口良一さん。
ナレーションはかの有名な声優・広川太一郎さん。
映画007シリーズ(三代目でしたかな)のロジャー・ムーア役が特に有名です。
内容は、赤川ファンの方ならよ~くご存知かと思います、
夫が泥棒で妻が刑事というコメディーシリーズ小説のひとつです。
ジュリーが夫で中原さんが妻、山口さんはドジな部下の刑事役。

筒井康隆「国境線は遠かった」
ゲストは三原順子さんと谷啓さん。
それからなんとジュリーのバックバンド・
EXOTICS(エキゾティクス)のメンバー全員!
これはファンサービスですね、ガヤというかエキストラをみんなで好演。
そしてなんとなんと、ナレーションはあのルパン三世山田康雄さん!!!
作品はSFショートショート界の鬼才・筒井先生得意のノンストップコメディーで、
(今私が勝手につけた)
アラブの王様がいたるところにできた空間のねじれを利用して
あちこちの外国に治外法権領域を広げ、荒唐無稽の国境争いをするという
現代風刺の名作です。

小松左京「昔の女」
ゲストは竹下景子さん、声優の榊原良子さん
そしてジャッキーチェンの吹き替えで有名な石丸博也さん。
これまたSF小説界の重鎮・小松先生のショートショートですな。
たまたま出会った男女が、お互い初対面のはずなのに何故か知っていて・・・
しかも恋人として一夜を過ごし・・・
SFというよりちょっとオカルト系のお話です。
ラジオドラマのラブシーンというのはテレビより辛い(?)モノがありましたね(笑)
映像がないだけに余計気恥ずかしい・・・竹下さん、さすがです。

小林信彦「唐獅子株式会社」
ゲストは世良公則さん、横山やすしさん!!!(まだお元気でした)
それから藤岡琢也さん、みんなでベタベタ関西弁をまくしたてました。
(世良さんは広島なので関西弁ではないけど・・・広島ヤクザ全開??)
ヤクザが株式会社組織を立ち上げて真面目にヤクザ業を営むユーモア小説です。
ドラマ中には出てきませんでしたが、この小説中に出てくる
マザーグースの「誰が駒鳥(クックロビン)を殺したの?」を関西弁に訳した
「誰が駒鳥 いてもうた」は秀逸です。
「誰が駒鳥 いてもうた/わいやと雀が うちあけた
うっとこにある 弓と矢で/わいが いてもた あのガキを」
・・・だったかな? も、サイコーです。

他に2話ほどあったはずなんですが・・・ちょっと思い出せない~!
そのうち1回は番組のオリジナル作品で、
今の奥様・田中裕子さんと三浦友和さんがゲストだったと思うのですが。
あ~あ、トシでんなあ・・・
(ん? トシをとると昔のことの方が思い出せるてか??)

番組の後半はゲストタイムをとって、ゲストの皆さんとの
楽しいおしゃべりコーナーをやっていました。


で、ファンの皆様が詳しく聞きたいのは
やはりエキゾがゲストの回ではないかと・・・!

はい、面白かったですよ~。
まず初登場はギターのカズさんのウエイター役、セリフは「ご注文は?」

おしゃべりコーナーでカズさんの言った
「シナリオがあったので緊張しなかったね」の感想には
リーダーのケンさんがものすごうさんくさそーに
「してたじゃないよ~!!」と鋭く突っ込んでいました。

かくいうケンさんは王様(谷啓さん)の手下のアラビア人役が主で
終始「アラ~!!!」しか言いません。
仮面ライダーや戦隊物の悪の組織が放つ下っ端戦闘員みたいなもんです。
でもさすが宴会部長のケンさん、
セリフは「アラー」しかなくっても、状況に応じてイントネーションを替え、
「アラ?」「アラ!」「ア、ア、ア、アラ~~~~~~!!」と
随分楽しそうでありました。
他のメンバーも多くは戦闘用アラビア人や野次馬役。
「あそこだ、あそこにいる」「なんだ、あれは?」等々
ホンマ、野次馬の通行人的セリフですが、とっても楽しくやっておられました。

エキゾメンバーのラジオドラマといえば・・・

別の番組になりますが
「ジュリープラスアルファー 夜はライバル」で
エキゾをゲストに迎えてオムニバスラジオドラマというのをやったことがあります。
1982年10月から翌年4月2日まで放送された番組で
・・・内容は忘れましたが・・・
とにかく、そのとある回でラジオドラマをやりました。
が、これは完全にオリジナルドラマ。
ジュリーが1982年の12月に出したアルバム
「ミス・キャスト」収録曲のイメージに沿って作ったオムニバスドラマです。
30分番組でメンバー5人の一人ずつをメインキャストにした、
一話3~4分の5本立てという、中身の濃ゆい内容です。

この回の最高傑作はやはりケンさん演じたオ○マのロージーさんでしょう。(笑)
最後の挨拶コーナーでジュリーが「みんなうまいやん」と言ったのに対して
同じノリで「いや、ダメよ、全然難しいわ・・・」とけだるく答えるケンさん。
さすがといっていいのかどうか・・・。
なんやねん、この人は・・・好きやけど!)


さてさて、それからレアものの紹介~。

これって、今検索かけてもほとんどひっかからないし
ご存知の方が結構少ないみたいなんですよ。
ジュリーもこの仕事に関しては、
少なくとも私は、どこかで語るのをきいたことがありません。

1981年8月の5週にわたってFM東京系で放送された
「日産サウンドスペシャル イメージ’81 音楽は物語を走破する」
という番組がありまして、
これも小説を原作とするラジオドラマを放送していたようですが、
その第4夜と5夜、2週にわたって前後編で放送された
「コインロッカー・ベイビーズ」というラジオドラマがありました。

原作は「限りなく透明に近いブルー」でデビューした村上龍さん。
そしてこの番組では自ら演出と音楽監督を手がけていらっしゃいました。
オリジナル音楽とイメージ曲に乗せてナレーションなしの
キャストの対話とモノローグを中心にストーリーがつづられていきます。

出演は、ジュリーのほか、古谷一郎さん、伊藤幸子さん、立石凉子さん、
森本レオさん、中谷昇さん、三谷昇さん、勝部演之さん。
森本さん以下はサブキャラなんですが、結構豪華ですね~。

テーマ曲やBGMの作編曲は笹路正徳(ささじまさのり)さん。
演奏は笹路正徳グループ、
笹路さんのほか土方隆之さん、渡辺モリオさん、山木秀夫さんという、
その筋では定評のあるミュージシャンの皆さんです。

内容は、一時現実に頻繁に起こった、赤ちゃんのコインロッカーへの遺棄事件、
そこから始まります。
コインロッカーに捨てられ保護された二人の赤ん坊が成長して
施設を出てそれぞれに数奇な人生を歩み始める物語で、
その一方の、歌手になった少年・ハシ役がジュリーです。
村上さんらしいちょっとシュールな展開で、物語もさることながら演出もシュール、
音楽を巧みにフューチャリングした不思議な雰囲気のドラマでした。


さらにもう一作、NHK-FMで単発的に放送された、
これはもともとラジオドラマの脚本だったようですが
海外ドラマでハロルド・ピンターという人の作品「家族の声」というのに
ジュリーが出演しています。
放送は1982年3月15日、NHK海外ラジオドラマ特集という番組の
第1回だったようで、
共演者は奈良岡朋子さん、永井智雄さん。
海外ドラマだけあってより不思議な雰囲気のあるお芝居でした。

ラジオドラマというのは想像しながら聴くものだからか、
夜が似合いますね。それも深夜・・・かな?
独特の世界に入り込んでしまうような気がします。
あの”美しい”ジュリーのことですから(笑・・・っていいのか??)
ついついビジュアル面に気が行ってしまうけれど
声だけの、しかも歌ではない出演もなかなかのものでした。
・・・声だけの演技をなりわいとする声優さんには及びませんが、
たとえば、ちょっとどこか普通でない人格の、
コインロッカー・ベイビーズのハシ役などは
ジュリーにしかできないんじゃない?!・・・なんて思ったり??(一応ほめてます)


ほかに、私は残念ながら聞き逃していたのですが、NHK-FMで、
歌謡ドラマ「時に過ぎゆくままに~北の墓標」(1978年8月)
特集サウンド・シアター「帰ってきた男」(1990年1月)
などへの出演もあったようです。
(たぶんラジオドラマだと思います・・・)


近年こういった仕事をされているかどうかはわからないのですが、
でも、さすがジュリー、いろんなことやってはったんですねえ~。カンシン!

では・・・今回はこのへんで。
コメント (4)
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