ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

イッツ ”賞”タイム! ジュリーと”賞”あれこれ~一等賞物語

2020年03月22日 10時54分05秒 | ジュリー・・・思い出雑記あれやこれや
1977年にFNS歌謡音楽祭以外の大賞を総ナメにして以来
1983年頃まで公演のステージ上でジュリーが口癖のように言っていた言葉は
「一等賞、特等賞目指して頑張る」。

それ以前から、前に記事にも書いたことがありますが当時は歌番組全盛期。
特に1970年代から80年代にかけてはほぼリアルタイム(録画放送もあったので)でジュリーに逢える、
夢のような環境が・・・当時は当たり前でしたけどね。
あやふやな記憶ですが・・・放映時期に多少の差はありますがだいたい・・・間違ってたらごめんなさい
月曜日・・・歌の紅白ベストテン→のちトップテン、夜のヒットスタジオ
火曜日・・・火曜歌謡ビッグマッチ
水曜日・・・ベスト30歌謡曲
木曜日・・・ザ・ベストテン
金曜日・・・ゴールデン歌謡速報
土曜日・・・えーっと・・・8時だヨ!全員集合・・・は歌番組というよりはバラエティーか
日曜日・・・ビッグショー、レッツゴーヤング
あと、放送曜日がしょっちゅう変更されたミュージックフェアや
平日昼の帯番組シャボン玉プレゼントなど・・・他多数、枚挙にいとまない。

こうしてみると意外とランキング番組って数あったのね。
集計方法は各局独自のロジックがあったと思いますが
ほかにも番組ではないけど今も不動の信頼性トップを誇るオリコン(オリジナルコンフィデンス)チャート、
当時もどれを差し置いてもオリコン1位が一番のステータスシンボルでありました。
それを含めて、各局各番組で「一位になること」がジュリーの公言する「第一目標」であったわけです。
ただ、ジュリーは絶対に「一位」とは言わず、必ず「一等賞」と言ってましたが。なんでだ?

あまたのランキング番組の中でももっとも信用が置けると言うか
これで一位になることが名実ともにトップの証、指標とされたのがご存知、TBS放送の「ザ・ベストテン」です。
個人的にはあまり好きな番組ではなかったのですが・・・
――理由はまあ、しょーむないことなですが
この番組はバックバンドをほとんど映さなかった、
だからEXOTICSファンの私的にはキライだっただけよ
あ、でも一回EXOのメンバー一人一人を紹介したな。まあ、だから許そう・・・かな――
とにかくジュリーはこの番組の一位を取るのにいたくご執心でした。

で、1970年代後半は出す曲すべて何とか一位に・・・すくなくともベストテン入りには辿りついていたのよ。
「勝手しやがれ」を皮切りに「憎みきれないろくでなし」「サムライ」「ダーリング」
そして「ヤマトより愛をこめて」、
この歌はリリース時に劇場版「さらば宇宙戦艦ヤマト」の挿入歌なので歌番組で歌わないとされてたのですが
ザ・ベストテンは「ランクインした歌は絶対歌っていただく」コンセプトがあったため
例外としてこの時だけテレビ放送の中で歌いました。確か8位だったかな。
つまりこの週に限ってジュリーは「ダーリング」と合わせて2曲歌った・・・たぶん。
いや、続く「LOVE(抱きしめたい)」と2曲だったかな・・・忘れまひた、噛みまひた
次が本物のお酒吹いて物議を醸しGパンのファスナーを半分近く下ろしたため物議を醸した「カサブランカ・ダンディー」
・・・醸してばっかか(PTAから怒られたらしくすぐやめました)

そして歌いたくないと忌み嫌っていたけど仕方なかった?「OH!ギャル」
・・・加瀬さん渡辺社長に向かって曰く「沢田にギャルはないでしょう・・・」
この時、一位から落ちた。落ちたのよ、確か・・・
「ロンリーウルフ」カッコイイ歌だと思ったのですが前曲のあおりでしょうか、これも落ちた。

一位に返り咲いたのは次の「TOKIO」! これは久々のクリーンヒット、いやホームランでしたね。
バックバンドが変わりました、ジュリーはビジュアル系のハシリになっていました、
「恋のバッドチューニング」「酒場でDABADA」とまずまず順調、
ところが・・・カズさんファン熱狂の「おまえがパラダイス」は伸び悩み。なんでえ~~??
続く「渚のラブレター」・・・バンド、更に変わりました、我らがEXOTICS
「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」「麗人」「お前にチェックイン」「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」と
一位にはならなかったけどそこそこいい線行きましたよ、結構売れてたんですよ。
この頃は日本の歌手の中でシングル総売り上げ1位の座をキープしていました。
イヤ、凄かったんだって。世に一発屋は数あれど出す曲出す曲みなベストテン入り、
売り上げ枚数も毎回トップクラスなんてジュリーくらいのもの、
しかもこれ、ソロになってからの分だけで一位、タイガース時代も含めたら物凄い数字だったんですから。
イヤ、マジで。
でも、ジュリー本人はベストテンの一位に中々なれないことに危機感を募らせる。
「ここんとこ一等賞になっていない」と事あるごとに口にしていましたもの。
でもでも、まだまだ挽回のチャンスはある、あと一息で一位に届きそう・・・

異変が起きたのはこの後でした。
「背中まで45分」
ギョーカイ内の前説では大好評、大評判だったんですって。評論家も絶賛していたらしい。
けど、いざ蓋を開けてみたら・・・全然売れなかった。
前曲までのあおりというか余波というか、ベストテンの下位にちょろっと2週ほどは入ったけど
その後ソッコー落ちてしまいました。
ジュリー曰く「前評判はすごく良かったけど、評論家はレコード買わない」
まあ・・・そうだよね。
歌番組でも最初は長い曲です
(5分45秒・・・ジュリーは思い違いしていてずっとアルバムバージョンの6分10秒だと思っていた)
放送の尺について「6分10秒ありますが」「大丈夫、フルコーラス歌ってください」が
曰く「ひとたび売れないとわかると45分が35分、25分・・・最後は会ってすぐ脱がせるという
どんだけ気が早いねん!」となり・・・打ち切りマンガか・・・
事実上この後の曲はベストテン番組から遠ざかってしまいました。
ましてや一等賞は手の届かない時空の彼方へ。
個人的には好きだな~と思う曲はあったんですけどね、「晴れのちBLUE BOY」とか
ああ、でも一般受けはしにくかっただろうなあ~
公演では「最近一等賞いってないけど、慣れたらあかんからね! こういうのに慣れたらあかんよ!」と
しょっちゅう己を奮い立たせてはいましたが
結局そういうランキングや、そこから繋がる賞レースからは結果的に撤退してしまいました。

そうした経緯を経て、ジュリー自身の価値観を見直すことになっていったのでは、と思います。
一等賞取ることだけが歌手の、また人生の目的ではないんだ、的な。

そして私見ですが、もしかしたらジュリー自身は初めから
「賞に固執することは本意ではない」とどこかで思っていたのかもしれないな、とも思います。
商業ベースに乗っかると、結局「売れてなんぼ」「売れないと発言権すらない」ことになりますし
ただ自己満足でいいのならアマチュアやインディーでいいのですから。
けれども、物申すにも自分を貫くにも、まず実績を作らない事には何もできないのだ、と
自分の中では少なからず違和感を抱えてはいたけれど
とにかく当時はトップ目指してひた走ることに全力たらんと思ったのかも知れません。

ある時・・・1980年代の前半のいつかだったと思いますが
「もう十分財産(食って行けるだけのヒット曲を指す)を持っているのだから
そんなに頑張らなくてもいいじゃないか、ゆっくり好きなことをすれば」とか
「変わって欲しくない、老け込む姿を見たくない」
中には美しい今の姿を永遠にして欲しいから「沢田さん、死んでください」とまで
言われたそうですが(死んでください、は今の時代的な重い意味ではないです)
でも本人は「たとえ売れなくなっても一生続ける、死ぬまで頑張り通す」と明言していました。
その意志は今も変わっていないと思います。ていうか、それがジュリーでしょう。

人生の一等賞がとれたかどうか、最後に評価するのは自分自身だ、と
あの人は実は早くから考えていたのではないでしょうか。
イヤイヤイヤ、今も健在で、まだまだ・・・80まではやります!と仰せですから
イヤイヤイヤイヤ、体力の続く限り100でもやってくださいよ。
ステージで歌を枕に死にたいんでしょ? それもきっと変わってないですよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イッツ 賞タイム! ジュリーと”賞”あれこれ。

2020年03月21日 21時02分03秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
若じゅりさんの物語、今回は「賞」のお話です。

歌謡曲、歌番組全盛期だった昭和40年代から平成初期にかけて
最古参で今も健在(かなあ・・・)の「日本レコード大賞」に続けて
あまたの賞番組が乱立した時期がありました。
もう今はほとんど衰退したようで、レコ大だけはなんとか踏ん張っているようですが
その辺のお話は置いといて・・・・

ジュリーはデビュー後数年は賞とは縁のない立ち位置にいました。
というのも、日本の音楽界は1960年代に始まったエレキブームを
当時は「不良の音楽」とレッテルを貼り認めてこなかった経緯があったからです。
エレキが過激な物で青少年に悪影響を与えると蔑んだのですな。今では冗談みたいな話ですが。
多くのグループサウンズのバンドが皆悪者扱いされていたわけで。
長髪=不良と言うわけのわからん公式もできていて。
エレキバンドでも短髪でスーツを着ていたブルーコメッツだけは例外扱いでした。
短髪でスーツは紳士であって不良ではないということだったようで
ブルーコメッツだけは賞番組にもNHKにも出られたのですが
・・・ヘンな時代でしたね、長髪エレキはNHKに出られずどんなに売れても賞をもらえない。

御多分にもれずジュリーのザ・タイガースもあれだけ絶大な支持を得て大ヒット曲を世に送り出し
一大ブームのトップを走り続けていたというのにNHKとレコ大にはシカトされていました。

でも、エレキバンドの文化は生き残り、今じゃ当たり前のスタイルになりましたが
先駆者であるグループサウンズの時代はあっという間に過ぎ去って
僅か3~4年、長くて6~7年程度でほぼほぼすべてのバンドが解散。
ザ・タイガースも1966年11月から1971年1月までの僅か4年そこそこですい星のごとく消えて行ったわけで。
その間ミリオンセラーも生んだものの、結局NHKと賞レースには縁がありませんでした。

それが、ブームが去った頃漸くにして長髪=不良のレッテルは剥がれ
ソロになったジュリーにもフッツーに今更のようにNHKからオファーがあり賞レースにも絡んで・・・。

その最初がソロシングル2曲目(正確には3曲目ですがタイガース時代の1曲はノーカンということで)の
「許されない愛」のヒットにありました。1972年のことです。

思いがけず?レコード大賞の歌唱賞受賞者5人の一人に選ばれ、紅白歌合戦出場も果たした。
ジュリー曰く「寝耳に水、寝た子を起こされたよう」。
だけど認められたことは素直に嬉しいと思ったそうですし
だからこれからも賞をもらえるように頑張ろうと思えたそうです。
よくやった、頑張ったと世間が評価してくれることは、賞を取ることだと考えたのでした。
目に見える形での評価はレコードの売り上げ以外ではそれでしか測れない、と当時は考えていたようです。
・・・今は知らんけど。

その翌年、1973年にはご存知、大ヒット曲、代表曲のひとつ「危険なふたり」で
レコード大賞の大衆賞、そしてその年第4回であった新設の賞番組「日本歌謡大賞」で念願の大賞を受賞。

大賞とった明けの月刊明星にどアップのグラビアと共に
「沢田研二、最良の日」のキャッチが載っていたのを覚えていますよ。
確か有線放送大賞もとったのではなかったかいな??

それ以来は両大賞のほぼ常連になりました。
レコ大の大賞以外の各賞の名目は若干変化があり、
一時は大賞のノミネートというアカデミー賞もどきの形式もありましたが
おおむね歌唱賞をほぼ例年連続受賞、
歌謡大賞では放送音楽賞をゲットし続け・・・。

とはいえ、黒歴史みたいな時期も一時はありまして
1974年は「追憶」でそれぞれの賞を取りましたが

1975年は折角のビッグヒットであった「時の過ぎゆくままに」がレコ大から落ち、
歌謡大賞でかろうじてひっかかった・・・のは、ちょっと事件を起こしてしまったからでしょう。

オフレコみたいな話ですが、その時の大賞受賞者は布施明さんで「シクラメンのかほり」。
当時布施さんは同じ渡辺プロダクション(今のワタナベエンターテインメント)に所属。
裏ではプロダクション側からジュリーに、今年は諦めろ、まだ君には将来の可能性がある、
この次はきっと取らせてやるから今回は我慢しなさいと因果を含められたとかなんとか・・・
ほんまかどうかはわかりませんがそんな話を随分後で小耳にはさみましたよ・・・?
1976年、なんだかんだで謹慎(自分から謹慎するとナベプロに申し出たらしい)して
賞レースからも一切の辞退を申し出たためこの年は受賞なし
そして自分からの立ち直り?というべきか、巻き返し、出直しで
1977年、見事に己に雪辱を晴らしたジュリー史上最大のヒット曲「勝手にしやがれ」で
その頃乱立していたあらゆる大賞を・・・いっこ除いて総ナメ、ほぼ独占受賞!

・・・除いたいっこというのはFNS歌謡音楽祭のグランプリです。ホンマ、これだけです、逃したの。
その後長いこと、ホンマに長いこと恨みつらみをゆうてはりましたからねww
あの時は雨が降ってたとかそれがジンクスに思えるとかトラウマになってる的なこととか・・・おいおい。
この時は歌謡大賞も「史上初(もっとも歌謡大賞はその時でまだ8回目でしたが)」の2個目獲得!
司会の高島忠夫さんが「初めてだ、初の2回目ですよ、ジュリー」とかなんとかのたもうで
ジュリーも「うちにトロフィーあります、これで2個になりました」とかテンパった声で応えてて・・・そらテンパるわな。

1978年は今度は「初のレコ大2連覇」と宣言してすごく精力的に仕事をこなして行きました。
ずっと連覇、連覇と言い続けていたのですが残念ながらトライしていたのは「LOVE (抱きしめたい)」

各賞をいっぱいとることはとったけど大賞は逃し、レコ大も残念ながら取れず。
皮肉なのか何なのか、前年いっこだけとれなかったFNSのグランプリは獲得したけれど
それこそ雪辱を果たしたというよりはイヤミのようでもあり・・・イヤイヤイヤ、とれて良かったと言うべき??
同曲はレコ大で最優秀歌唱賞を取りましたが、その時のジュリーの口惜しそうな顔と言ったら。
なんせ、最優秀歌唱賞をとったらそのあとの大賞受賞はまずないからね。
司会の黒柳徹子さんが「去年と比べて(トロフィーの)重さはどうですか?」などと
意味不明の質問をしたり・・・フォローのつもりでおっしゃったのでしょうが
「大賞は曲に贈られるけど最優秀歌唱賞は歌手に贈られる」と慰め?みたいな話があったり・・・
周囲は明らかに不機嫌を隠さないジュリーを取りなすのにてんやわんや。
大賞より価値がある、などという声もあって、それに対してジュリーは年明けの公演の際に
「重さはどうですかて、軽いに決まっとるやろ、何を聞いてるんですかね?」とか
「大賞よりスゴイ? だったら大賞の後で発表せいや!」とかぼやきを連発・・・。
まあ・・・それだけ入れ込んでたと言うか、ホンマに賞にはこだわり続けていたことでありました。

長くなったので一旦切ります。続きはまた今度・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いくつになってもデジモンアドベンチャー②

2020年03月19日 20時46分51秒 | コミック・アニメ
デジモンアドベンチャーといえば有名なラヴェル作曲のクラシック曲「ボレロ」。
1999年春上映の劇場版第1作「デジモンアドベンチャー」で延々BGMとして流れた曲です。
テレビアニメ本編でも中盤の頃にほんの少しですが使われ、
2000年に上映された第2作「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」の冒頭でも流れました。



なんで「ボレロ」なのか?

2本の劇場版の監督を務めた細田守監督によるとこの選曲は細田監督自身のアイデア。

ここでちょっと簡単にデジモン解説(アニメでの設定です)。

デジモンワールドまたはデジタルワールドと呼ばれる世界は
人間の住む世界と重なって別の次元に存在するいわばパラレルワールド。、
本来は決して交わることはないのですが
デジタルワールドを支えていたある神秘的な力のバランスが崩れて
二つの世界が一部で繋がってしまいました。
元々重なり合う世界なのでデジタルワールドに異変が起きると人間界も壊れてしまう。
デジタルワールドの歪みを正し二つの世界を救うために
デジモンとともに戦う運命を持ったのが8人の「選ばれし子どもたち」。
彼らは一人に一匹のパートナーデジモンとコンビを組み
自身の成長とともにデジモンも成長させて二つの世界を救う冒険を繰り広げる。
それがデジモンアドベンチャーの物語。

デジモンも先行のモンスター育成ゲーム「ポケットモンスター」と同じく
デジタルモンスターが進化という名称の成長をします。
ポケモンが一度進化すると元へは戻らないのと違って
デジモンは一度進化してもエネルギー切れで元に戻るし
基本2段階程度までのポケモンと違って3段階も4段階も進化したり
あるいはアーマー進化など別系統の進化、他のデジモンとの合体進化などいろいろな進化の種類がある、
更には最終的に死を迎えることになっても「はじまりのまち」に還って
デジタマという卵に戻って再び赤ちゃんから再スタートすることも。
設定上では必ずしもすべて生まれ変われるわけではないようで
特に「選ばれし子どもたち」のパートナーデジモン以外は
前の生の記憶を持って生まれ変わることはまれとされているようです。
逆に言えば「選ばれし子どもたち」のパートナーであったデジモンは
記憶を持ったまま改めてデジタマから生き直すことができるみたい。

というところで話は戻ってなんで「ボレロ」なのか??

デジモンは進化する。
進化に従って大きくなり強くなっていく。
「ボレロ」という曲は、実は同じメロディーのフレーズを繰り返していて
最初は楽器一台が静かにメロディーを奏でているだけなのですが
2周目、3周目と繰り返すに従って演奏する楽器が増え音に厚みが出て
最終的には非常に重厚な音楽と「進化」していく曲なのです。
だから、細田監督曰く、デジモンには「ボレロ」しかないだろう、と。
てなことを仰っていました、いにしえ。

また、主人公の八神太一は仲間と妹思いの明るい元気な少年で
妹のヒカリは少し変わっていると言うか、妖精の心を持っていると言うか
幼い頃からデジモンや異形のモノを怖れず受け入れられる不思議な力を持っています。
だから突然現れたデジモンを最初から友達のように思い、
「普通」の少年である太一は逆にデジモンを警戒した。
けれど、映画の終盤でそれまでどちらかといえばヒカリが”強い子”的に描かれていたのに
今度は太一がヒカリの思いを理解して彼女がやりたくてできないことを
代わってやってあげる、兄の強さ(主人公らしさ??)を取り戻す。
この兄妹の「逆転」がまたこの映画では必要不可欠のシーンなのだそうです。

このお話は「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」DVDの特典映像の
スペシャルインタビューの中でされています。
DVD見返して初めて知った・・・(見たけど忘れた可能性大)
あかんねんけどさがせばYouTubeで容易に見つかります。。。


テレビアニメ版 無印「デジモンアドベンチャー」第1話が無料公開中なので貼ってみた。
違法アップロードじゃないですよ~。

【公式】デジモンアドベンチャー 第1話「漂流? 冒険の島!」


主題歌を歌っていた和田光司さん、主人公・太一役の藤田淑子さん
そしてヒロイン・空(そら)役の水谷優子さん・・・
それからデジモンヴァージョンの「ボレロ」を作った音楽担当の有澤孝紀さん
(この方は「美少女戦士セーラームーンシリーズも手掛けておられました)
みな、近年若くして亡くなられてしまい惜しい限りです。

んで、まだ続きます・・・今度は無印の続編「デジモンアドベンチャー02」の話でも。

ちなみに、細田守監督は・・・最近では「未来のミライ」など手掛けておられます。

これもどこかデジモンアドベンチャーの名残を感じる作品だなあ・・・と思いました。
兄妹ものだしな。これも逆転があるというべきか。
まあ、個人の感想です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いくつになってもデジモンアドベンチャー

2020年03月18日 22時11分55秒 | コミック・アニメ


ある夜、急に思い立って翌日のチケットをウェブで買って観に行きました。
既に観た人の感想にはOPの「butterーfly」で泣いた、と書かれていたけど
OPどころか、冒頭の「ボレロ」でいきなり泣いた。
後でレビューコメント見直したら結構な人が「ボレロ」で泣いてた。
・・・わかります、泣きます、これは・・・。

なんででしょう。

この映画でデジモン初見の人にはこれで泣く理由はサッパリわからないでしょう。
普通に見れば感動のシーンでも何でもない。
マンションの夜の風景のBGMにラヴェルの名曲「ボレロ」が流れて
音楽に合わせて窓の明かりが点滅する。
そしていきなりの大型デジモン、パロットモンとグレイモンのバトルシーン・・・

・・・イヤ、泣くわ!
20年前上映された一番最初の短編映画「デジモンアドベンチャー」を
当時かほぼその時期に見た人なら。

ていうか、そういう人しか観に来てないでしょう、ぶっちゃけ。
観客にはコドモは一人もいませんでした、たまたま・・・かも知らんが。

今回の劇場版「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION ー絆ー」

懐かしいとか、もちろんそれもあるけど
なんていうかコレ・・・20年前の自分を、
自分だけの”歴史”のヒトコマをそれぞれの人が揺さぶられる思い。

短編映画上映と同時に始まったテレビアニメ
いわゆる”無印”「デジモンアドベンチャー」は
子どもたちと一緒に観ていました、ほぼリアルタイムで。
そして子どもたちと激ハマリしました。


元々はゲームなのですが・・・今もあるけど
ゲームキャラを元にアニメはオリジナルストーリーで作られたもの。
デジモンに先んじて発売されアニメ化もされて
今なお爆発的、圧倒的人気を誇る「ポケットモンスター」、
あれを「卒業した」子どもたちを当時は対象としていたのだそうです。

これまたぶっちゃけデジモンは無印が最強でしょう。

テレビアニメ終了後には劇場版2作目が上映されました。
今も高評価と根強い人気を誇る
「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」
・・・当時買いましたよDVD、見直しました、数年ぶりに。
登場するパソコンはたぶんWindows98くらいかな、
ISDN、まだアナログ回線の時代。



でも中身は今でも充分面白いです!
ヤマトのセリフ、「島根にパソコンなんかあるわけない」は差別表現ではありませんw
まだパソコンは全然一般的ではなかった。
20年経って、コンピュータ関連、IT文明は著しく目覚ましい発展を遂げたけど、
ヒトというものはさほど変わらないのかな、とも思えます。

というわけで、デジモンアドベンチャーのお話、ちょっと続きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

果てしなく放置していました

2020年03月15日 21時29分50秒 | 徒然雑記&連絡帳
前回の投稿から4カ月以上。
年末年始も放置してしまった。

いろいろ・・・ありましたとも。
良いこともあり悪いこともあり。

前回書いたモラトリアム人間もそろそろ
追い詰められてきた感が・・・

年末はジュリーの昔話でも書こうかとは思いましたが
賞レースの話とか紅白歌合戦の話とか。

身内の話ではつい先日長女・ヒメコがやっと結婚しました!いえい!

でも、式直前に旦那にがんが見つかって
旦那は式に出席できなかった・・・とか・・・
披露宴は無理としても結婚式ぐらい出られればと思ったのですが
モーニングのレンタルも頼んでたのですが

なんということでしょう、
わけのわからん理屈で旦那はまだ先方様のご両親と会ってないのですよ
私は普通にお目にかかって食事していろいろ楽しくお話しましたが
旦那は「初対面でいきなり食事会なんてするもんちゃうやろ、
お茶くらいならともかく、だったら式当日に初めましてでええ」
などと意味不明のことをのたまって両親の顔合わせに欠席した挙句
式そのものに欠席する羽目になり結局いまだにお会いしていない状況
・・・こんな親いますかね・・・・・・・絶句。
わかってはいるのですがね、この人発達障害ですから
無理からん部分もあるってことは。
しかし私は長女と長男の発達障害だけで精一杯よ
旦那までよう面倒見んわ、ショージキ。

それはそれとして。

でも、ヒメコの結婚式は素直にめでたい!楽しかったし。
なんかうちも先方様も親子でいっぱいトチりまくって
笑えてよかったです。よかったのか??

アニオタ状況は相変わらず。
Dアニメを見まくっていますが
最近何故か櫻井孝宏さんモノをたくさん見ました。
数年前に当ブログで「声優さんってスゴイ」という記事を書いて
好きな声優さんの名前を列挙しましたが
その時と好きな声優さんはガラッと変わりしました。
今イチオシは神谷浩史さんですが二番目は櫻井孝宏さん!
そして三番目が決められない状態。
・・・前も三番目が決められなかったな。

リアルタイム放映中の配信アニメも見てますが
今、デジモンアドベンチャーに20年振りのドハマリ。
1999年リアルタイム見ていましたが
20周年ということで劇場版と新作が・・・。
なのでDアニメで昔の作品を見直して
劇場版も観に行きました・・・しょっぱなのボレロでもう泣いた。

そんなこんなで
ではまたぼちぼち、この4カ月の間に書こうとして書いてない記事を
書いて行こうか、と思ってます・・・マル。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一生全力モラトリアム~おそ松さん②

2019年11月05日 12時20分30秒 | コミック・アニメ
アニメ・おそ松さん。


の続きというわけでは実はなくて。

タイトルの「一生全力モラトリアム」は一期オープニングの
「はなまるぴっぴはよいこだけ」と言う歌の一節です。

モラトリアムとは簡単に言えば猶予期間のこと。

何となく言葉は聞いたことがありましたがはっきりと意味を知ったのは
海堂尊先生のエッセーを読んだ時でした。
文庫本「ジェネラルルージュの伝説」に収録されている海堂先生の
自伝的エッセーの冒頭部分に記述があるのですが
要約すると、小説を10冊書けたら初めて作家を名乗ろうと、
それまでは「物書き」と自称しようと考えていた、と。
そしてその「物書き」時代を作家としてのモラトリアム時代と認識したと。
そこで初めてちゃんと意味を調べてモラトリアムという言葉を理解しました。

前口上はここまで。

「おそ松さん」は全員がニートの設定。
ニートとは「働く気がなく実際働いていない人」のこと。
引きこもっているかどうかは別として、とにかく働かないヒトビト。
世間的に、一般的には非難されるポジションでしょう。
でも実際ニートと言われるヒトビトが単純に甘ったれているとは限りません。
家庭の事情があって現実的に働くことができないのでニートにならざるを得ない人、
若い頃に才能を生かして一生分稼いだので働くことをやめた人(これはある種天才)、
そして障害があって働く気力を持つことができない人・・・
いろいろな事情があっていわゆるニートになってしまった人々も現実にはたくさんいるのです。
それを「甘ったれている」とか「依存している」「パラサイトである」と
全部ひとくくりにして非難する風潮には同意しかねます。と、個人的意見。

・・・が、この「おそ松さん」はマジで「早く就職しろ!」と言われる類の人々。
世間に背を向けいつまでもパラサイトしていたい怠け者たち。
でも、実際彼らは本心では「いつかはちゃんと就職して自立しなくちゃな」と
・・・まあ、ほんのちょっとではありますが思ってもいるのです。
そういう意味では完全なニートではありません。
つまりは、就職しなくちゃな、でももう少し待って、のモラトリアム人間。
それがオープニングの「一生全力モラトリアム」なわけです。


うーん・・・全力・・・なのかしらねえ。

でも確かに、彼らは正社員にはなれなくても、時々アルバイトで一生懸命働いて
誰かの為に結構な額のお金を稼ぐ時もあったし、
トド松はわりとフツーにバイトしてたりするし、
半分はポーズだけどチョロ松は就職情報誌を愛読してたりするし、
・・・イヤ、就活のフリをしているだけかも知れませんけど。



さて、いきなり現実の話。

ヒトはみんな結局「一生全力モラトリアム」なのかも知れません。
イヤでも問題は向こうからやってくる。
わかりやすい例を挙げると入学しかり受験しかり卒業しかり
それからおそ松さんたちのように就活しかり
誰かと恋愛すれば結婚するかどうか考えたり準備したりしなくちゃならないし
子どもが出来たら育てないといけないしより稼がなくちゃならないし
家を買うならローンや人生設定を考えなくてはならないし
子どもの成長にしたがって子どもの進路や自立を考えたり親の介護に直面したり
自分自身も年をとれば老後や終活を考えたり・・・

現実に乗っかかってくる問題はいつかは直面して解決しなければならない。
そのどれにも唯一絶対解はなく、だからどうしていいか最適解を求めて毎度悩みまくりますよね。
そして直面するまでにあれこれ考えて悩み倒しても
とうとう直面した時は全然違う行動をとって予想外のところに着地したりする。



結局直面するまで解決の糸口は見つからず結論もでません。結局思い通りにならない方が多いし。
その日が目の前に来るまでじたばたしつつついつい先延ばしに・・・
夏休みの宿題はさっさと済ませた方がいいのは頭ではわかっていても
ついつい先延ばしにして、結局8月末に追い詰められる。カツオくんか。

早く片付けるか、その時に備えてメドをつけておくべきだということはわかってはいるけれど
もしかしたら何もしなくても勝手に解決されることもあるかも知れないなんてキセキ?を待って
ついつい先延ばしにしてしまうのも人情でしょう。

一生全力モラトリアム。重い荷物を背負ってもがくしかない。

まあ、たまには・・・一杯やってちょっと荷物を下ろしましょう。


おそ松さんでも見て。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一生全力モラトリアム~おそ松さん①

2019年11月04日 10時18分56秒 | コミック・アニメ
投稿自体ほぼ3か月ぶりで、ずっと放置状態が続いておりました。
その辺の御託?は一切無視して
久しぶりのアニメのお話です。

もうすべての放映自体とっくに終わってますんで
多少のネタバレはご容赦ください。

おそ松さん・・・原作「おそ松くん」と言えば
リアルタイム知らなくても皆さんご存知の
故赤塚不二夫大先生の残した大傑作。
原作漫画はもとより、1966年モノクロ時代にアニメ化され
あの、一世を風靡した「シェー!」でおなじみの名作です。
主人公でないサブキャラのギャグなのに
日本じゃ知らない人はいない、
今の子どもたちでさえ知っていると言う「シェー」発祥作品。
そのイヤミにしろチビ太にしろダヨ~ン、デカパンなど
面白過ぎるキャラクターが目白押しの名作中の名作ギャグアニメ。

まあ、これは当時の画風と動きを再現して作った今の「おそ松さん」第二期第一話の冒頭ですが。

元々の「おそ松くん」は主人公の六つ子たちにはあまり個性がなく
顔も性格もほとんど同じ、声優さんも確か4~5人で6人分を適当に演じていたとか。
5人いたならもう一人つければいいのにね・・・大人の事情か?? サブキャラとの兼役もあったし。

その後1988年にもリメイクされて、この時は素直に原作の設定のまま
焼き直した感じで、従ってやはり顔も性格もほぼ同じ? 声優さんは6人ついたけれど全員女性でした。
まあ、子どもですからね、元々おそ松たちは・・・。こちらでも兼役あり。


それが50年の歳月を経て
成長して(ないけど)大人になった(とは思えないけど)姿でリメイクしたのが
本作「おそ松さん」でした。まあ、リメイクと言うよりパロディーですね、正確には。
もう赤塚先生も亡くなられて結構日も経ってたんですが
ご存命であられたらお怒りになったか・・・イヤイヤ、喜んでくださったのではないでしょうか?


ご存知の方にはお分かりの通り、50年目にして初めて
六つ子に個性がつけられました。声優さんも一人一人につきました。
それも豪華人気声優ばかりですよ! 全員男性で、もちろん兼役は一切なし!
服装も全く同じ学生服から、まあ一応学生ではなくなったので揃いのパーカーで色違い、
顔つきも少し特徴があって性格も結構違い、同い年だけど普通の兄弟のように軽い上下関係もつきました。

細かい話は公式サイトやウィキペディアでご確認ください、なんですが、
ざっくり紹介しますと・・・

長男 おそ松 CV:櫻井孝宏さん カラーは赤
暢気だけど長男らしいところを見せるときがあり、弟思いでリーダーシップらしきものも垣間見える。

次男 カラ松 CV:中村悠一さん カラーは青
何かとカッコをつけたがるがだいたいカラ回りし常に失敗し、しかも同情されない可哀想なヤツ。

三男 チョロ松 CV:神谷浩史さん カラーはグリーン
この中では一番常識人のツッコミ役で損するタイプ。でもボケ始めると際限がない。アイドルヲタク。

四男 一松 CV:福山潤さん カラーは紫
孤独と闇を抱えて自閉症気味。本当はシャイな寂しがり屋だが、みんなは理解していて結構優しくする。

五男 十四松 CV:小野大輔さん カラーは黄色
ひとことで言うとバカ。体力と運動神経だけは抜群で常にハイテンション。唯一彼女らしき者を持ったことがある。

六男 トド松 CV:入野自由(みゆ)さん カラーはピンク
ひとことで言うとあざとい。リア充目指して小器用、一番他人とのつきあいがうまく常識人に見えるが実は結構腹黒い。

そんな感じですか~。主観だけど。
全員にほぼ共通しているのはニートで頭の中は小学生の時からたいして変わっていないこと。
トド松だけはちょっとシャレオツなスタバっぽい店でバイトしていることもありますが。
まあ、厳密には時々みんなバイトらしきものをやることもありますが、基本ニートです。

好評につき第二期も放送されましたが、ハッキリ言って二期はちょっとだるめ。
一期で全力疾走して二期は多少ネタが尽きた感ありました。まあでも面白かったけど。


何しろ製作スタッフがあの「銀魂」の中盤以降の藤田陽一さん、宮脇千鶴さん・・・ですからね。
そりゃ、パロディー満載ギャグ満載、面白くなりますわ。

シリーズ構成の松原秀(しゅう)さんは、実はアニメの構成は本作が初めてだったそうです。
以下、松原さんの打ち明け話によりますと
当初、監督からシリーズ構成の依頼があった時、それぞれのキャラも考えてくれと言われたそうです。
つまり、6人の個性をつけようと、それを考えてくれと。
その時、すでにキャスティングは決まっていたそうなのですが
いかんせん、松原さんはアニメ初体験なのでその声優さんたちのキャラもよくわからない。
だって、ありますよね、このキャラはこの声優さんが合うだろうみたいな声優イメージ。
けれども、松原さんは、例えば櫻井さんなら生真面目でストイックで、どこか軟弱なキャラ(クラウド?)とか
そういう他で演じているキャラがどうもしっかりつかめていない。

そこで、それぞれの声優さんの演じた他作品を・・・見なかった!!・・・見なかったんですって。

何をしたかと言うと、それぞれの声優さんがやってるラジオ番組やイベントの映像、
即ち演じていない(ある意味演じていると言えなくもないけれど)素に近い姿を見て
おそ松兄弟それぞれのキャラクターを考えてったそうなのです。

確かに・・・少なくとも神谷さんはチョロ松だわ・・・。ツッコミ過ぎて最後は完全にボケる。

この話は神谷さんと小野大輔さんのラジオ番組「ディアガール・ストーリー」で
松原さんのゲスト回で打ち明け話として語られましたが
その際の小野さんの反応は「ええっ?! オレ十四松? オレって十四松なの?!」
・・・そうそう、「小野君は十四松だよ」神谷さんの返し・・・。
だって「斉木楠雄のφ難」の最バカキャラ・燃堂力を素でやれるんですよ。
後日他の放送回で神谷さん曰く
「燃堂は役作りいらないもんね。そくやれます。『お?』『お?』言ってればいいんですから。」
「ええーーーーっ? オレ十四松??」
あくまでも「意外、心外」をアピールする小野君でしたが・・・

ついでに「(福山)潤は闇抱えてるよね」「あるある!」
確かに、的確に声優さん自身のキャラを投影できていた・・・そうです!
・・・うん・・・確かに。
神谷さん自身も「すごいやりやすかった。あるもん、チョロ松みたいなね、
一見一番常識があるように見えてツッコミ役にまわっているけど実はボケてて、
最終的には完全にボケるというおいしい役ですよ。」
「あなたそうですよね。」(小野君の相槌)

ちなみに、6人ものニートとたぶん専業主婦のお母さんを扶養する、実は凄いのかも、なお父さんは
井上和彦さんが演じています。出番はそうないんですけれど。
夏目友人帳のニャンコ先生とも斑とも、NARUTOのはたけカカシ先生とも
はてまた銀魂の朧とも全く違う「お父さん」、さすが和彦さんです~。
ああ、これも和彦さん的には素に近いのかも知れませんが。

で、タイトルに冠した「一生全力モラトリアム」はOPの歌詞の一部ですが
そのお話はまた次の機会で・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モトさん・・・高港基資(たかみなともとすけ)さん②(宣伝です)

2019年08月13日 06時46分08秒 | 気になるヒトビト
夏! 夏と言えば怪談!!(そうなのか?)
怪談と言えばモトさんこと高港資資さん!!(そうなのだ!)

主にコンビニ本のコミックスで次々とコワ~イホラー漫画を
30年に渡って執筆し続けている氏は
デビュー前からの旧友、呑み&カラオケ友達であります。
(もっとも元々友人の友人のような関係で逢ったことはあったけど
直接普通に喋るようになったのはここ10年くらいなんですが)

さてこの夏・・・てかもう明日なんですが
なんとあの、あのNHKが豪華声優陣をキャストに
「声優×怪談」という番組がオンエアされることになりました。
そのオムニバス怪談の原作の一つに
このモトさんの作品が使われることとなったのです!
ヤッタネ!! ヒューヒュー!!

原作に選ばれたモトさん作品のオンエアされる部分が
まるっと先行配信されています。
コチラ→「轢いた女」
声を当てているのはあの、あの池田秀一さんですよ。

機動戦士ガンダムのシャアですね~
ONE PIECEの赤髪のシャンクスですよ~
名探偵コナンの赤井秀一じゃないですか~
何かと赤いのはその起源がシャアにある・・・
という話はガンダムフリークさんにお任せするとして

あと、緒方恵美(おがためぐみ)さんの演じた作品も
モトさん原作です。

美少女戦士セーラームーンの天王はるかさんですよ~
あまり知られてないけど無印遊☆戯☆王の武藤遊戯なんですよ~
ヱヴァンゲリヲンの碇シンジだそうです~(←よく知らない・・・)

他の作家さん作品の出演声優さんも
三石琴乃さん、桑島法子(くわじまほうこ)さん
そして2019年声優アワードでMVS(Most variable seiyuu)に選ばれた
我らが!神谷浩史さん!!!!!

もうこれはね、録画するしかないですね。

明日2019年8月14日と15日の二夜にわたって
午後10時50分から11時20分まで
御用とお急ぎでない方はぜひオンエアお見逃しなく!
御用とお急ぎの方は録画予約して
ホラー苦手な方はお昼間にぜひぜひご覧いただければと思いまっす~!!

モトさんの絵がNHKで全国に流れる!
これを機会にみんなもコンビニへ走りましょう。
「実際にあった怖い話9月号」や
外薗昌也さん原作ホラー小説のコミカライズ「白異本 弐」が
ただいま絶賛発売中! Amazonでも買えます!

LINE漫画にも続々掲載中でそれらは無料で読めます!

夏と言えば怪談=モトさん
・・・シーズンオフまでカンヅメ状態で
昔ながらの紙とペンで執筆をつづけるモトさんに皆様、合いの手を
・・・違った、愛の手を!

一段落ついたらまた呑みカラ行きましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あんこちゃんがやって来た

2019年07月08日 20時41分00秒 | ジャンガリアン
長年たくさんのジャンガリアンハムスターを飼ってまいりました。
たいてい複数飼いで、多い時は赤ちゃんハム込みで
10匹以上いたこともあったかな〜〜
ハムスターは縄張り意識が強く、
同じケージで多頭飼いすると大ゲンカになり
最悪殺し合いもする意外とアグレッシブな奴ら。
だから一時は家中ケージだらけだったこともありました。
 
とて、ここ数年は3〜4匹、そのうち2匹、
そしてここ1年くらい1匹になっておりました。
やっぱり最低2匹はいて欲しいな〜〜とか思って
何となくそのうち〜とかずれてずれて
よし、今度こそ買いに行こうと決めてたその日に
唯一いたちょこまんが逝ってしまい…
…まあ、めっちゃ長生きしてくれたんですが、
いなくなるとやっぱり寂しい、
元々今日買いに行こうと決めてたし、
 
というわけで
ちょこまんを弔った後、ペットショップに行きました。
そして迎えたは生後半年…だからもう子ハムではないけど
思ったよりデカかったけど
やってきたのはこの子でござい。
お分りいただけますでしょうか?
背中右にちまっと白いところが…
なぜかこれ、ここだけ真っ白な毛なんです。
 
つけた名前はあんこ。
最近飼ったハム達の名は和菓子由来。
きな粉もち、ちょこまん、そしてシンプルにあんこ。
もっと子ハムなら、ベビーカステラからとって
ステラとか一見オサレでいいかな、と思いましたが、
次女こんこんにイメージちゃう、と一蹴されました(泣)
あんこのアンもいいかな、と思いましたが
アンだけでは一見オサレなので…
なぜかオサレ系は反対される。
ウケ狙ってるわけではないが、
最終的にそのままあんこになりました。
でも、あんこちゃんて関西弁ぽくて可愛いやんねー。
飴ちゃんとか、なんでもちゃん付けする関西人。
 
いささかぽってりしてますが
ペレット育ちでひまわりの種も初物という
おっとり系のおぢゃうさまです。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょこまんよ、永遠なれ

2019年07月07日 15時23分19秒 | ジャンガリアン
三年前の5月14日、推定生後三週間で
我が家にやってきたジャンガリアンハムスター、
その名は「ちょこまん」!! いぇ〜〜〜
ドンドンドン、パフパフ〜〜!
 
うちのジャンハム長寿記録を毎日更新中でしたが、
もはやよれよれの金字塔を打ち立てて
今朝早く大往生となりました。
推定3歳と2か月ちょっと。
あと一週間でうちに来て三周年だったのですが…
 
一昨日までよろめきつつも自力でひまわりの種を割り、
ケージがしがしかじってましたが、
生後二カ月で大人になるジャンハムは
その後は一日が人間の一年に近いものではないかいな
つまり一日365回寝るんやな!
…てことはないが
 
ともあれ、猫もいる手前、
ガラスの温室の中にケージを置いて
夏は保冷剤サンドイッチ状態、
冬はペットヒーターによる全面床暖房、
そしていい加減でほっとかれたため
のんびり過ごして長生きできたんやろな〜。
ジャンハムを長生きさせるコツ、
適度にほっとく、構い過ぎない。
 
歴代最長寿記録を大幅に更新したちょこまん!
よく頑張った!。・°°・(>_<)・°°・。
 
 
ありがとう!
あっちにはたくさんダチがおるからな!
 
あ、ハムスターって一匹狼やった…ハムスターなのに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする