妄想なので、ここはあくまで私の宗教観で解釈する。
正確には、細部は違うのだが、原始仏教+スウェデンボルグの教義から説明。
勿論、何度も言っているが「宗教観」というほど大したものでない。
ジャニー喜多川&同盟は八百万の神の一人(体)である。
貢物・お供えは可愛い少年。
ジャニーズイズムに恭順した青少年は恩恵を受け、それを拒むものは排除。
その神の御身体は中枢がジャニー喜多川、手足は青少年を貪る人達とその団体・組織。但し、実力主義の者や公正な社会建設を目指す者にとっては悪魔である。
ジャニーズイズムを受け入れることができた者や性被害と無関係な者には「善人」という解釈で良かろう。
ジャニー喜多川が亡くなった直後は「魂」。「魂」は身体と離れては存在しえない。霊界にいく過程で全ての現世縁を捨て「偽り」の性格も削ぎ落とされる。「善人」ジャニー喜多川はここで死ぬ。霊界で新た縁をまとうか、更に削ぎ落とされるかは「現行」次第。おそらく「阿頼耶識」は「肉欲」沼に永く浸かることになろう。期間(時間の観念は無いはずだが)は自他(この区別も不明)の「熏習」次第。基本的には自力救済のみ。そもそも救済されたいと思うかどうかも自力。
徹底した思考では「悪人」ということになろう。でも、それは現世縁を全て喪失したジャニー喜多川とは中枢こそ一緒だが、別の存在と考えて欲しい。ジャニー喜多川という因縁複合体は肉体が滅したときに死んだのである。
「善人」ジャニー喜多川は「文字通り心の中に生き続ける」。ジャニーズイズムを受け入れることができた者や性被害と無関係な者に限るが。
※参考
「手をうてば 鯉は餌と聞き 鳥は逃げ 女中は茶と聞く 猿沢池」
(多川俊映師「唯識十章」より)
「ジャニー喜多川 信者は神 まとも(ノンケ)は逃げ 国民は恥辱なり 日本国」と言ったところか。。。
まあ、かなーり無理な擁護であり、慰めにしかならん解釈だろう。。