2018年において私が最も衝撃を受けた出来事といえば、やはり西城秀樹さんの死去になる。
マイケル・ジャクソンのラストツアー「THIS IS IT」直前におけるマイケルの急死は非常に無念で、確かこのブログでも感想を書いた覚えがある。どうせ死ぬにしても、せめて最初のロンドン公演までは生きて、どんなステージになるのかは見たかった。
西城秀樹さんは脳梗塞だけでなく糖尿病もひどく、もはや芸能活動どころの話でなく日常生活でさえできるかどうかだったのは、死後に見た彼が逝去される前の最後の映像、何かの歌謡ライブで観客席に彼を見つけた司会者に紹介されごく簡単な自己紹介をする衰え疲れ切った姿でわかった。
もし彼の健康状態が万全であったなら、彼の力量にふさわしい名声を得ることは間違いなかったのだが、そもそもその仮定(健康状態)を得ることがあまりにハードルが高いことであった。
いくつかは知っていたが死後になってようやくわかったこともあった、彼の幾つもの障害。
どんな芸能人も順風満帆ということはなく山あり谷あり。芸能人に限らずどんな人でもそうなのだろうが、彼が芸映に所属していたときは、デビュー曲が他人(他のグループ)のボツ曲、そして厳しいトレーニング、健康に配慮するどころか奴隷みたいなハードなスケジュールなど大変な苦労もあったが、芸能活動に専念できた。しかし、半ば強制的に独立させられたとき、彼の才能は芸能活動以外、経理や運営に力を割かなくてはならなくなり、強烈なストレスを一層溜めて長期の入院をしたこともあった。
大々的とは到底言わないが、私は彼のファンだったからA面曲なら大半の歌は知っている。今は廃盤のベスト版も発売当初新聞広告を見てすぐに(新星堂に)注文して購入した。
しかし、世代にもよるが、一般大衆には「傷だらけのローラ」「薔薇の鎖」「ヤングマン」そして「走れ正直者」が知られているベスト4だろう。
彼の芸能活動後半は、強力なブレーンやバックアップ体制が確実に欠けていた。
(その他数多く思うところがありなかなか上手く表現できない。少しずつ書き足していきたい。)
[以下、年明け2019/02/03追記]
今、西城秀樹さんを感傷的に思い出すことは無くなった。
今後、節目節目で時折思い出すことはあると思う。カズがワールドカップ本大会に出ていたら、という仮定も節目節目で考えるようにね。
私の夢の中で死後彼が歌ってくれたのは2回。一つは聴いたことも無い歌でシャウトを曲中に入れる歌。もう一つはフォークソンググループ・チューリップの歌。
昨年10月以降は西城秀樹は夢の中に出てこない。きっと新たな世界へ旅立ったのだと勝手に納得しておこう。
西城秀樹のIFで私がみたかったのは、アジア進出の頃の実力と風貌で脳梗塞無く40,50周年を迎えた場合と、
「聖・少女」「眠れぬ夜」のシティポップやフォークソング調のときに様々なカバー曲を歌っていたらという場合である。
これらに反して、脳梗塞無く成長した西城秀樹では、闘病に苦しみながらも闘志と優しさを失わなかった秀樹を私が知ることもなく、もしかしたら有頂天に自惚れた秀樹を見てしまったのではないかという迷いもあり、それは今、私の心に刻まれた西城秀樹ではなくなってしまうようで、やっぱり見なくても良かったのでは、と思い直したりして、なんか自分が優柔不安な意志薄弱者のようで嫌になってしまう。
でも、やっぱり西城秀樹が健康なまま、才能と実力を伸ばして色々な楽曲に挑戦し歌いあげる姿を見たかったかな。
マイケル・ジャクソンのラストツアー「THIS IS IT」直前におけるマイケルの急死は非常に無念で、確かこのブログでも感想を書いた覚えがある。どうせ死ぬにしても、せめて最初のロンドン公演までは生きて、どんなステージになるのかは見たかった。
西城秀樹さんは脳梗塞だけでなく糖尿病もひどく、もはや芸能活動どころの話でなく日常生活でさえできるかどうかだったのは、死後に見た彼が逝去される前の最後の映像、何かの歌謡ライブで観客席に彼を見つけた司会者に紹介されごく簡単な自己紹介をする衰え疲れ切った姿でわかった。
もし彼の健康状態が万全であったなら、彼の力量にふさわしい名声を得ることは間違いなかったのだが、そもそもその仮定(健康状態)を得ることがあまりにハードルが高いことであった。
いくつかは知っていたが死後になってようやくわかったこともあった、彼の幾つもの障害。
どんな芸能人も順風満帆ということはなく山あり谷あり。芸能人に限らずどんな人でもそうなのだろうが、彼が芸映に所属していたときは、デビュー曲が他人(他のグループ)のボツ曲、そして厳しいトレーニング、健康に配慮するどころか奴隷みたいなハードなスケジュールなど大変な苦労もあったが、芸能活動に専念できた。しかし、半ば強制的に独立させられたとき、彼の才能は芸能活動以外、経理や運営に力を割かなくてはならなくなり、強烈なストレスを一層溜めて長期の入院をしたこともあった。
大々的とは到底言わないが、私は彼のファンだったからA面曲なら大半の歌は知っている。今は廃盤のベスト版も発売当初新聞広告を見てすぐに(新星堂に)注文して購入した。
しかし、世代にもよるが、一般大衆には「傷だらけのローラ」「薔薇の鎖」「ヤングマン」そして「走れ正直者」が知られているベスト4だろう。
彼の芸能活動後半は、強力なブレーンやバックアップ体制が確実に欠けていた。
(その他数多く思うところがありなかなか上手く表現できない。少しずつ書き足していきたい。)
[以下、年明け2019/02/03追記]
今、西城秀樹さんを感傷的に思い出すことは無くなった。
今後、節目節目で時折思い出すことはあると思う。カズがワールドカップ本大会に出ていたら、という仮定も節目節目で考えるようにね。
私の夢の中で死後彼が歌ってくれたのは2回。一つは聴いたことも無い歌でシャウトを曲中に入れる歌。もう一つはフォークソンググループ・チューリップの歌。
昨年10月以降は西城秀樹は夢の中に出てこない。きっと新たな世界へ旅立ったのだと勝手に納得しておこう。
西城秀樹のIFで私がみたかったのは、アジア進出の頃の実力と風貌で脳梗塞無く40,50周年を迎えた場合と、
「聖・少女」「眠れぬ夜」のシティポップやフォークソング調のときに様々なカバー曲を歌っていたらという場合である。
これらに反して、脳梗塞無く成長した西城秀樹では、闘病に苦しみながらも闘志と優しさを失わなかった秀樹を私が知ることもなく、もしかしたら有頂天に自惚れた秀樹を見てしまったのではないかという迷いもあり、それは今、私の心に刻まれた西城秀樹ではなくなってしまうようで、やっぱり見なくても良かったのでは、と思い直したりして、なんか自分が優柔不安な意志薄弱者のようで嫌になってしまう。
でも、やっぱり西城秀樹が健康なまま、才能と実力を伸ばして色々な楽曲に挑戦し歌いあげる姿を見たかったかな。