記事を書いている最中(休日)に急遽出動することになったので、前回記事を書きかけのまま投稿してしまい、しかも、そのまま放置しておりました。
しかし、昨年度から感染症が目立つなあ。もっと専門家を養成して確実に対応できないと危機管理が困難になるよ。
まあ、誰か言っていたが「危機管理ほど日本人になじまないものは無い。」というのは私の実感では事実と思えますな。根本的に未知のもの、それどころか既知のものですら対象を把握できているとは思えない。ベネフィットもリスクも自らで定義して、確実に測り、そして対策・管理できるという思考力がまるで無い。いつのまにか、末端でのクランチ(破綻)や実現不可能な状況、「絵に描いたもち」どころか「もちの絵にすら見えない」ことが多々あるよ。日本人に根本的に欠落しているものとしか思えない。日本の戦国時代などにはその類の意識はあったのだろうか?
大衆はむやみやたらにゼロ・リスクを求め、行政は表面だけ取り繕い責任が自分達に降りかからないよう(元々責任を取りようもないケースが多いけれど。本来、責任をとるべき人達がとらないから。。)立案・施策し、実現可能性(フィージビリティ: Feasibility)を考慮・精査されぬ命令・実動系統は至るところで破綻している。このような現状こそが日本の病巣のまさに核心の現れだと個人的には思っている。
しかし、昨年度から感染症が目立つなあ。もっと専門家を養成して確実に対応できないと危機管理が困難になるよ。
まあ、誰か言っていたが「危機管理ほど日本人になじまないものは無い。」というのは私の実感では事実と思えますな。根本的に未知のもの、それどころか既知のものですら対象を把握できているとは思えない。ベネフィットもリスクも自らで定義して、確実に測り、そして対策・管理できるという思考力がまるで無い。いつのまにか、末端でのクランチ(破綻)や実現不可能な状況、「絵に描いたもち」どころか「もちの絵にすら見えない」ことが多々あるよ。日本人に根本的に欠落しているものとしか思えない。日本の戦国時代などにはその類の意識はあったのだろうか?
大衆はむやみやたらにゼロ・リスクを求め、行政は表面だけ取り繕い責任が自分達に降りかからないよう(元々責任を取りようもないケースが多いけれど。本来、責任をとるべき人達がとらないから。。)立案・施策し、実現可能性(フィージビリティ: Feasibility)を考慮・精査されぬ命令・実動系統は至るところで破綻している。このような現状こそが日本の病巣のまさに核心の現れだと個人的には思っている。