まず、最初に書いておくと、私はロンドンブーツ1号2号をあまり知らない。
2002年あたりから急激に地上波テレビ視聴量がグッと減り、テレビで放映される芸能、スポーツに疎いからである。芸能全般ではネットニュースや投稿動画である程度状況は知っているのだが、個々の芸能活動を視る機会がなかったのである。
田村淳さんが慶応の大学院に進学したことをネットでは否定的な意見が多いというニュースを見て、「他人が勉強する為に進学したことを何をとやかく非難しているのか」と何とも不思議な気分になり、半ば呆けてしまう。
聞くところによると、田村淳さんは学歴コンプレックスがあり、番組の企画(確かabemaTVでもそんな企画があったような記憶)で青山学院大学受験したり、慶応大学の通信課程で勉強していたという。
学歴に限らず、コンプレックスを克服するために努力する。良いことだ。寧ろ称賛されることなのに何を批判しているのか、と思う。
私も学歴コンプレックスというものはかつて存在した。今は無い。その理由は齢を重ね、これから未来に向けて希望がある時期はとうに過ぎ、学歴を活用できる時間はとっくに無くなったという単純な理由である。
個人的には、自分のしたいことをするのに必要最低限の学歴があれば良い。
ただ、他人から軽く見られる・蔑まれると自分の仕事に支障をきたしたり将来に悪影響があるのなら、可能な限り克服しなければならないだろう。
自分が納得できないから勉強する、学歴を獲得するというのもあるだろう。
学歴社会自体は日本ではかなり弱まってきていると思う。
確かに官僚や大規模な会社に就職するなら高学歴は必要だし、高学歴が保証する才能や実務能力もある。
しかし、所詮人間がつくりあげた基準。規格外の天才は拾えないし、何よりも金を稼ぐ、金になる能力が求められる今は、学歴が保証する能力と乖離がひどすぎる。学歴社会を徹底するなら、社会に貢献できる能力を評価するためにカリキュラムや評価方法を全部でなくても一部見直したらどうか。
田村淳さんはしっかりとお金稼いでいるから、次は学びたいだけなんだろう。
寧ろ、「死者との対話」という課題が気になる。死者と対話する能力が慶応の大学院で習得できるとは全く思わないが、私も是非会得したい。
田中角栄、小室直樹、西城秀樹、高倉健、親鸞聖人、マイケル・ジャクソンなとなど、対話したい人が書ききれないほど居るんだよ。