ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

【妄想シリーズ】1.人生に希求するもの

2010年01月30日 10時56分14秒 | 妄想
人生に何を求めるか?
それは時間が進み経験を積むにつれて変化している。
幼少の頃は、遊び友達とお金
学生の頃は、お金と将来の地位、向上心を維持するための自分なりの精神的支柱
挫折後の青年期は、お金と挫折で失った夢や目標に代わる心の支え
壮年期は、お金と自由な時間、可能ならば若い女の子との触れ合い

と虚心になって振り返ってみたら、こんな感じである。

現在はどうかというと、欲しいお金が額が違う。寿命があるから齢を重ねると希望額が減ってきている。くれると言うなら幾らでも欲しいけれど、将来に抱いていた自分のイメージが段々こじんまりとしてきているので、「最低限これだけあれば。」と思う金額が減ってきているのである。

若い女の子については、性欲が減退してきたのか、「可愛いなあ」「綺麗だなあ」と思うことはあっても、さほどどうでもよくなってきている。昔、ときめきを感じた女性を偶然見かけたときがあって時の流れを感じてしまったことがある。だから、この方面への欲求も儚いなぁと嘆息する。過ぎ去った時間は取り戻せないな。

自由な時間はもっと欲しいな。ひとりで佇んでいるだけでも良い。明日はそうしよう。

結局、私は何を求めているんだろうね。


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江川-小林、電撃トレード

2010年01月18日 03時13分02秒 | スポーツ-球技についての感想
1979年のキャンプイン前に「空白の一日」を利用して、江川卓選手が巨人(読売ジャイアンツ)と契約した事件があり、法の盲点を突く契約に対して他球団から抗議の声があり、その年のドラフト会議を巨人が欠席。その会議で阪神が江川との交渉権を獲得。コミッショナーの強い要望で、江川を巨人が獲得する代わりに、巨人の主力投手の1人だった小林投手が阪神に行くことになった。

当時は江川バッシングが吹き荒れていたが、周囲が反江川の中で私は実は数少ない江川擁護派の1人だった(私と同意見な者は確か学校で他に一人だけだった。幼少の時だったが。)

恨み言一つ言わずに阪神に行くことで、元々ハンサムでスリムで格好良く巨人でも人気のあった小林投手がスーパースターになり、私も敬愛し憧れたことは今でもよく覚えている。
17日に急逝した小林投手の冥福を祈り、素晴らしい思い出をくれた感謝の気持ちを示しながら、当時を振り返ってみようと思った。

実は江川投手に対しても、その当時から憎いという気持ちはもっていないのである。むしろ擁護したい。
その理由は、
1.あれだけの行動が彼1人でなしえるはずがなく、読売グループと関係者の策謀であるのは明白。
2.どう考えても、巨人に入団するのとその他の球団に入るのでは、彼の才能やアマチュア時代の実績・インパクトから考えて余りにも不憫であること

(後は後日 2010/01/17)

今や完全に失墜した現在の巨人(読売ジャイアンツ)人気からはとても想像つかないだろうが、巨人とその他11球団の人気・待遇の格差は月とスッポン、王様と奴隷ほどに違っていた。阪神や中日も人気あったと言うが、あくまでも「光輝く王様」である巨人の好敵手(ライバル)だからである。「闘将」と称された、中日ドラゴンズの星野選手(現在、阪神タイガースのシニアディレクター)ですら、本当は巨人に入団したかったのに当時の川上監督に指名されず、それが巨人に対する異常な敵愾心、反骨精神を育て、自身の演出も含めて気迫あふれるプレイで野球ファンを魅了したのである。
私自身はMr.GIANTSであった長島茂雄 氏や星野選手のプレイはビデオでしか見たことがない。かろうじて王選手の末期の活躍をリアルタイムで知っている程度である。

少し時代を経るが、不人気だったロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の水上選手も、自身が巨人へのトレードが噂に上ると、神社で「巨人に移籍できますように。」と祈ったという記事を見たし、他球団の一流選手も(田淵、落合、村田、清原)も巨人に入団することを恋焦がれていたという。落合・清原の両氏は実際に入団できたから良いが、「巨人恋しや」と呻吟していた選手達はどれほどいただろうか。

巨人に在籍する・在籍していたというだけで、とんでもない格差があった。他球団でどんなに活躍しても、本拠地で確固たる支持を集めていた阪神、中日、それからグンと差があるが広島程度の人気があればまだ巨人に立ちはだかる強敵として地位を確立できるだろうが、当時のパ・リーグなんかに行っていたら、野球にあまり関心の無い一般大衆にとってはテレビにほとんど映らず、プロ野球選手として存在しないのと一緒であった。

当時の野球ファン及び大衆は、アンチ巨人ファンや物事の本質を見抜けるような知識人などを除いて、その差別的待遇をほとんど非難もせず、いやそれどころか財界なんかは巨人の強力な応援母体となっていた。あれはいわゆる"いじめ"と言っても良いだろう。
こういうことを思い出すにつけても、テレビの没落とネットの普及は良かったと思う。

(今日はここまで1/20 午前3:10)

どんなに活躍しても、それが一野球チームの勝利にとって同程度の貢献度であったとしても、在籍する球団によって片や連日テレビで放送され片や全く話題にもされない。せいぜいフジテレビ系のプロ野球ニュースで比較的詳しく放送してくれる程度であった。
本来ならば、不本意にも一度入団してしまった不人気球団に拘束され、一選手の力でどうすることもできない不利益を甘受しなくてはならない球界の現状や制度を厳しく指弾し、少しでも改善しようという声が上がるべきだったのに、と当時から思っていたし、現在にも悪影響を残す理不尽な状態だったと齢を経てなお一層思う。

現在のようにどの球団に行っても数億円の年棒やCM出演が可能で、FA権の行使によりアメリカ・メジャーリーグへの道が開けるような時代だったら、江川投手があそこまで悪役にされなくても良かっただろう。

阪急はまだしもあの当時のクラウンライターに行け、と言われたら、類まれなる才能と図抜けた実績、厳しい練習をしてきた超一流アマチュア選手ほど嫌がるだろうし、私でも断る。
(当時の私は、読売ジャイアンツとクラウンライターライオンズのファンではあったが。特にデービスの快足ぶりにはしびれたな。後は東尾投手の才能や年齢以上の円熟ピッチングだったな。)

「江川は極めて利己的で打算的な人間である。」とか「小林は2回も離婚し浪費癖も凄く、ええかっこしいである。」と彼らの人格を非難する記事や噂も聞いたことがあるが、私自身のことを振り返ると、余程反社会的で理不尽な事をしない限り、それらの理由で彼らを責めることはできない。私も江川氏や小林氏の育った環境で彼らと同様な才能を持って産まれ成長してきたらどうであったか、と考えるにつけてそう思うのである。

巨人にとって、このような明らかに横車を押す方法で江川投手を獲得したことが本当に組織の為になったか、というと大いに疑問であるが、私には非常に大切なことを2つ教えてくれた事件であった。
一つは、日本プロ野球機構はまともなプロスポーツでなく、巨人を中心としたキャラクターショーの殻で覆われていたこと。もう一つはいびつな滅私奉公精神のお手本なるものを江川選手がうち砕いてくれたことである。
(今日はここまで1/24 15:43)

プロスポーツ球団の本拠地をどこにするかで、人気やそれに伴う収益の差が球団間に生じてしまうのはどうしようもない。そして、人気を幅広く広域化・一般化するために特定地域(日本の場合は関東圏)だけでなく、なるべく全国に散らばるように球団の本拠地を置かなければならない。当時のプロ野球の運営状況を振り返ってみると、巨人だけが親会社を通じて宣伝力があり誠に不公平であった。他球団も読売グループに対抗して、他のメディアと連携・結託して対抗すれば良かったのであるが、巨人が一旦揺ぎ無い地位を確立してしまったら、他球団がどんなに魅力のある良いチームを作って勝利を重ねても、その活躍ぶりを全国的に紹介してくれないので、あまり野球に関心の無い一般層には全く届かないのであった。

今から15年以上も昔になるが、西武ライオンズ全盛期の試合を駅や家電量販店のBS放送で見ていて、デストラーデ選手がホームランをかっ飛ばし彼独特のガッツポーズをしていたときに「惜しいなあ。特に近鉄戦などを地上波で連日放送してくれたら、かなり固定ファンを増やせるのに。」と思っていたものだ。

「空白の一日」事件で多少はアンチ巨人を増やしたが、その後も巨人の圧倒的で不動ともいえる人気はJリーグ誕生まで脅威を感じることはなく、巨人やNPBの自滅でようやく人気
が急落したのである。
(今日はここまで1/30)

加えて、当時、巨人というチームは「滅私奉公」を礼賛する象徴のようだった。
会社や集団の為に身を賭して働くことを、チームプレイを通して訴えていたようだった。
家族や所属集団の為に働くことは大切なことだと思うが、単なる利益追求の集団の為に自分を犠牲にすることを推奨するのは間違いだと思う。相互に益が、つまり「GIVE AND TAKE」であるべきだ。
この雰囲気を江川投手がぶち壊してくれた。だから、一部の人間は執拗に彼を嫌うのかもしれない。日本人古来からの気質にそぐわない。

今でもそうなのだが、味方の選手の打撃タイトル獲得や記録更新阻止の為に、シーズン終盤になると敬遠合戦になることがある。あれはプロスポーツショーとして最悪だ。
(今日はここまで2/4)

かつて阪神にいたランディ・バースが、王選手(巨人)のシーズン最多本塁打記録を破ろうとした時、江川投手は他の投手のように敬遠を選ばずに罰金覚悟で勝負したことがあった。
チームの勝利の為に敬遠するのはチームプレイだが、チームの勝利度外視で全打席敬遠するのは何の為なのだろうか。高校野球において松井選手(当時・星陵高校)の5打席を全部敬遠して勝った高校があったが、もっと大切なものを失って次戦で敗れ去ってしまった。
そこまでやるからには絶対に優勝しなくてはならない。並の高校生の精神力は観衆の憎悪を受け止めるもしくは飄々といなせるほど強靱であるか、監督は試合前に熟考すべきであった。
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マイケルの遺志を継ぐ?

2010年01月03日 01時43分29秒 | 芸能についての感想
紅白歌合戦。年末ではとうとう一曲もまともに見ることはなかった。
今まで何やかやと言われてきたが、とりあえず私の年中行事の一環として、外出していても一曲ぐらいは聴いていたが、私の年末からもこれで消滅ということになった。

矢沢栄吉さんが特別出場で歌詞を二回程間違えたとか、SMAPや嵐が何回も登場したり複数曲を歌って大いに目立ったとか、パフュームが口パクだったとか、いろいろ言われているようだが、もうそんなことは腐敗や堕落の進む(元々酷かった面もあるけれども)芸能界ではどうでも良い。

聞き捨てならないのは、SMAPがマイケル・ジャクソン追悼の場面で「マイケルの遺志を継ぐ。」とほざいたことである。
マイケルの何を引き継ぐって?技量?エンターテイナイメント?チャリティー?
普通にマイケル・ジャクソンの死を悼みますという構成にすればよいのに、どうして、こう傲慢で詐欺的な大法螺を吹くのか?

芸能人が歌う時に能書きや自らの精神を語る人達は今まで何人もいたが、行動がそれに伴っていた人はごくわずかだった。
最も顕著な例は、「テレビでは俺の心が伝わらない」などの言葉を吐いていた人 → 後に深夜番組等の司会でテレビに出演し「あのときは格好つけていた。」と発言。

(眠いから続きは後日。2010/1/3)


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