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ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

日本プロ野球のWBC参加問題に思う。出欠を明確にしろ。

2011年09月29日 06時20分37秒 | スポーツ-球技についての感想
>2013年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の主催者から
>今月末までに参加表明するように求められている
>日本側は、日本代表のスポンサー料などの権利を求めている。
>主催者(MLB側)からは新たな提案がされているが、日本プロ野球選手会は受け入
>れない姿勢を見せており、30日までの参加表明は不可能な情勢にある。

WBCは第1回、第2回とずいぶん熱狂させていただいた。
日本が連覇していること、MLBの選手でWBCへの参加に意欲的でない選手も少なからずいることなどで、第3回で優勝する価値はかなり少ないと見ていた。
国別対抗のオープン戦(自国リーグ開幕前の調整試合)が実態ということも十分認識している。しかしながらMLBの選手でも熱意に差があり積極的に参加して良いプレイを見せてくれたり、キューバ・韓国(反日が酷すぎて、スポーツとして見るなら大いに不快なレベルであるが)・台湾等かなり力を入れてくる国もあるので、レベルの高い厳しい試合が続くことになる。

日本のプロ選手会側が、NPBでの試合に支障があるので参加を取りやめるのなら支持したい。興奮や多彩な個性を楽しむ機会を失い誠に残念であるが、自国リーグが疎かになり自分達の人気・生活基盤に悪影響があると認識が一致するなら参加を取りやめればよい。

但し、前回(第2回)の自チームだけ抜け駆けサポタージュの中日ドラゴンズ、前々回(第1回)の松井秀喜選手の参加渋り騒動、そして今回のNPBの交渉期限延長のような卑怯・嫌悪感極まりない行動はやめて欲しいものだ。人気商売のやることではない。

それぞれの大会が開催された年、松井選手も手首骨折で連続試合出場が途絶えて以後のパフォーマンスも低下、中日ドラゴンズも優勝できず、それらの結果に喝采した。
むろん松井選手の場合、もしかしたら彼の選手生命を奪うような負傷には痛ましい気持ちもあったが、松井選手を応援する気持ちはかなり減ってしまった。
当時の代表監督であった王貞治氏に「王 殿」と宛てた手紙を十枚程度書いて、さんざんもったいぶった挙句に、参加を拒んだというニュースも見た。
王監督も参加しなくてもいいから態度を明確にして欲しいと言っていたはずだ。

参加するにしても、拒否するにしても、理由や態度が明確なら非難する気はない。
選手会やNPBが一致団結して決めたことなら同様である。

今回の交渉は選手会の意図が、ただ自分達の取り分だけ多くしたいとしか受け取れない。野球の世界的な普及、そこにやがて巡り巡って利益となるという思惑が裏にあったとしても、そのような大義名分も無ければ、自国リーグに全精力を注入したいという意志も感じられない。主催がMLBで負担もMLB、日本のスポンサーがいなければ開催費用が賄えないのなら、日本側の要求が通るのは難しいと思う。
仮にWBCの開催が不可能になった場合、MLBのダメージはさほど無いのではないか、NPBは貴重な国際試合、大衆にアピールする場を失ってむしろダメージが大きいのではないか。
交渉下手というより、そもそも交渉になっているのかとも思う。
NPB側(中心は選手会だそうだが)は未練がましいという印象が強い。

かつてのプロレスで、新日本プロレスに参加する人気外国人選手の多くを握っていたWWF(現WWE)のブッキング料値上げ事件を思い出す。
当時、ハルク・ホーガンやアンドレ・ザ・ジャイアントという人気選手を擁していたWWF(現WWE)は先代のオーナー(ビンス・マクマホン・シニア)時から懇意にしていた新日本プロレスから高額なブッキング料を巻き上げたにもかかわらず、ろくな選手しか派遣しなかった。

野球選手でトップ級のタレントは全てMLBに所属している現状では、NPBはかつての新日本プロレスのように交渉にすらならないのではないか。不満なら同様に交渉決裂しかあるまい。
日本のスポンサー企業は「WBCという各国代表が集う舞台に参加する日本代表」にお金を出すのであって、国際試合が比較的容易に実施できる競技の「日本代表」と同様に見てはいけないのではないだろうか。まず舞台が整わなくてはどうしようもないが、肝心の超一流タレントがMLBに集まっているのだから日本側の主張は通らないだろうし、通そうとしてもそれだけの力も無い。もう不参加で良いよ。

実は、この問題は日米の相互理解、私が何度も書いてきた日本の徹底した内輪主義・ドカルト思想蔓延・名誉集団帰属問題等の大日本帝国病を理解する格好のケースの一つでもある。

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ドラマや創作書物を楽しむ心境

2011年09月24日 18時09分48秒 | 日常生活
以前にも書いたけど、話の軸が悲しいものや暗い物語は見たく無いな。
特に今年はそのような心境にならないよ。
大災害(地震・津波・台風などで多くの人々が亡くなり住んでいるところが荒廃する)とか不愉快な事件(ますます陰惨化する犯罪・詐欺の民主党関係・諸外国の対応・売国野郎共の跋扈など)が続出して気分が滅入る。

以前の記事「沢尻エリカ様叩きブームが起こっている」
>涙を誘うような物語は最近観たくないんだよ。
>人生楽しければ「たまには涙流してみようか」と思うけど、不満が募って
>つまらないのに、敢えて悲しくなりたくないな。
>「がはは。」と笑えるか興奮で熱狂したい。

2007年の時でさえ、以上に引用した心境だったのに、ますますそのように思う。

妄想が現実化するよりは、自分が妄想する理想郷に引越して身も心もリフレッシュして永遠に暮らすことはできないのか、とさえ思うよ。

現実は厳しいが、もがき見苦しく、時に大いに軽蔑されても良いから生き抜くべきか。
でも、鳩山とか菅などの厚顔無恥・傲岸不遜の民主党議員の大多数みたいな生き方は嫌だな。
素晴らしい人生を歩む見込がカケラも無い「鬼畜・人・守銭奴・低評価」の私みたいな人間は一体どうすれば良いんだろうね。
巨大惑星級のそれらを持つ人達を見習うべきなのか、それとも、自分が拠って立つような何か素晴らしいものが他にあるのだろうか。
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体調不良が続いているが、涼しい気候と休養で

2011年09月24日 16時12分56秒 | 日常生活
少しずつ体調を整えるのに成功しつつある。
前回記事は珍しく漫画の感想を書いてみたが、公に発表した経験はほとんど無かったので対象を一つの漫画に絞った。

前回の記事中の"Ver.UPヒロイン"とはどういう意味?
当然、(最新刊はまだ出ていないので確定では無いが)消失したヒロインを"暗示"している。但し、"消失"したが"復活"したという明確な根拠は作品中では表現せずにそのように読者や登場人物に推測させる記述・描写をする。ベースは"消失"ヒロインで純粋で一途だが、理知的かつ小悪魔的魅力も併せ持っている。まるでライバル等のキャラクターの魅力を吸収して、「永遠の愛」を誓って慕い続ける相手の為に進化し続けているかのごとく・・・。神社焼失後、どのような方法・理由で可能だったのかは不明(作品中で明らかにせず)だが、突然に目前に現れる(復活?)という筋書きを思いついたという訳。言葉足らずだったね。

漫画の話はこれで終わり。

次回の記事からはいつものとりとめのない内容に戻る。
来週からも業務等で煩わしく、それでいて社会貢献度に疑問がありモチベーションの低い多忙な日々が続くので、いつ書くか予定は立たないが、時間が有れば書き綴っていきたいと思う。

それでは。身も心もリフレッシュするか。
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たまには漫画の感想でも・・・「この彼女はフィクションです」

2011年09月15日 01時56分39秒 | 日常生活
週に1度程度は喫茶店で飯を食うことがあり、そこで週刊誌を読む。
週刊現代やポスト、ビッグコミックや週刊モーニングの漫画も読む。
「ゴルゴ13」や「グラゼニ」「社長島耕作」「僕はビートルズ」など、最近は日本代表戦ですら見なくなったが「GIANT KILLING」は読む。

本日は、少年週刊雑誌「週刊少年マガジン」の「この彼女はフィクション」について
思うところを簡潔に語る。
喫茶店に毎週通う訳でないので何号かは見逃していると思う。
設定は面白いと思うのだが、もはや打ち切りになるという噂が流れている。

私は既に少年・青年では無く、だからという訳でないがジャンプやサンデーはずいぶん長い間全く読んでいない。しかし、マガジンだけはなんとなく読む機会がある。
「はじめの一歩」は既に超人漫画と化しているし、どの恋愛系漫画とは言わないが、物語を作ろうとする余り主人公が彼女をとっかえひっかえし過ぎて、爽やかな「人」の領域に落ちてしまっているものもある。

漫画だから何でもありなのだろうが・・・・・。

「この彼女はフィクション」の話に戻るが、何故か釈然としないものが残る。
超常能力を持つ魅力的な女の子が男子学生を熱烈に好きになるというのは、「うる星やつら」のラムちゃんが前例として思い浮かぶ。
ラブコメの舞台設定(長年書き貯めてきた理想の女の子が現実化、ライバルとなる他の女子生徒等)はヒット作品になれる要素を十分有していると思う。

絵がかわいい・かわいくないの評価は個人の好みがあって何とも言えない。
ながやす巧さんや北条司さんのような作家は綺麗な女性の絵を書いているとは思う。

結局、主人公の女の子(男子学生の理想が具現化した女性・ミチル)が、既にカップルとなってしまった男子学生(ユーリ)と(彼女にとっては)ライバルの女子生徒(フーコ)にとってはお邪魔虫的存在になって気の毒な立場になってかわいそうなのに、長年の妄想で自分の心を支えてもらったユーリの心が傍から見て冷淡なことや、永遠の別れを遂に決意したミチルがようやく実体化してユーリと愛を育もうとした自分を消さなければならないことについて心の動き・震えが足りず「嬉しいです」と語っていたりで感動できない。

週刊誌の作家はただでさえ時間に追いまくられているのに、しかも打ち切り通告のためか展開が拙速になってしまっているのだろう。
個人的には、ダブルヒロイン(ミチル・フーコ)とユーリ、あとアム等主要キャラクター全員が幸せになる結末を期待したいところであるが、作者や編集者が決めることなのでどうなるかはお楽しみというところだ。

人生ももちろんそうだが、文芸・漫画作品も一旦選択してしまった途(筋書き)を引き返して書き直すことができないので、悔やまれることもある。
こうしたほうが良かったのにと思うアイデアはあるが、書くのは大変なのでやめておく。話すなら楽だが。
アムの生かし方だけ書いてみる。彼女はフーコ作品のキャラクターの実体化だが、フーコを思う気持ちが強いがゆえに、自分が彼女(フーコ)にふさわしいと思う立派な男性を次から次と引き寄せる能力も有していて、理性を5分間遮断する能力と併せて波乱をおこせば面白かったかもしれない。

どんな突拍子もない設定でも漫画ではできるが、心理描写や感情の発露はキャラクターの違いこそあれ現実世界に生きるものと極端な違いはないほうが良いと個人的に思う。

それでは寝る。

(以下、追記 2011/9/20 1:25)

ほんの数年前までは、「週刊少年マガジン」で「はじめの一歩」さえ読めれば良かったが、インドネシア・チャンピオンのウォーリーとの試合辺りから大いに納得できない内容になった。森川ジョージ先生には酷評して悪いとは思うが、板垣選手の試合で「左・左・だりりりりりりりりり・・・」と心の中で叫びながらパンチを放つ試合には、今まで試合の描写においてそんなことは一度も無かったのに、思わず爆笑してしまった。
いつから、この漫画は「ジョジョの奇妙な冒険」になってしまったのかとも思った。
いい加減に宮田戦、マルチネス戦を描き、世界タイトルの防衛戦で再度ウォーリーと戦う展開にするべきだろう。

マガジンはバトルもの、ヤンキーものは既に満腹で食傷ぎみだし、タイムスリップものは「リプレイJ」(今は無き「コミックバンチ」連載)でとっくの昔に十分満足した。

ラブコメとして「この彼女はフィクションです」には少し関心をもっていたが、せっかくの舞台設定を生かしきれなかったようだ。

恋焦がれる相手(ユーリ)の10年間に及ぶ妄想においてかつて理想としていた容貌を、ようやく実体として手に入れ愛を育もうとしていたヒロイン(ミチル)が、多少ユーリの心を揺さぶっているようだが、「爆弾娘」や「トラブルメーカー」(そうでないと漫画にはならないのだが・・・)扱いで、「作者の責任」としてしか呵責を感じてもらえず、誠に気の毒でかわいそうな状況で、ライバルのフーコに比して数段魅力が劣る描かれ方になっている。ユーリの逡巡場面がもっとあっても良かったとも思う。

漫画なのでどんな展開も可能だし、私も数多くの展開が思いつくが円満決着がふさわしいだろう。すなわち、ミチル・アムが消滅で隕石衝突の危機も去る→ユーリとフーコ暫く交際後、互いの成長の後に恋愛関係自然解消、しかしながら創作家同士として友好関係は続く→それからまもなく、驚きのVer.UPヒロイン登場で新たな恋の予感でFINといったところか。

(以下、追記 2011/9/22 1:36)
ミチルはユーリがどんなキャラクター設定にしたか正確に記憶していないところに、「爆弾娘」「トラブルメーカー」となりうる面白さがあったが、それと同時に、宿命的にかわいそう(せっかく実体化したのにユーリからの愛に恵まれない等)で儚い存在であることを読者に印象づけるエピソードがもっと有れば良かったのに、と思う。
最終回に向けてようやく作者が本領を発揮し、その辺の描写に力が入ってきているが遅過ぎたかもしれない。編集部が拙速に打ち切ったためとも思えるが。

産み出したキャラクターは自分の子供みたいなものということで誰でも容易に推察されるだろうが、ユーリとフーコが結婚して、彼らの二人の子供がミチルとアムが転生(?)した姉妹という結末は当然私でも思いつく。アムがお母さん子でミチルがお父さん子。しかしながら、人間となったミチルは自由意志を持つので設定に縛られず、いつしか他の男の子に好意を抱くようになりお父さん(ユーリ)から離れていくが、何故か、好きになった男の子はユーリにそっくりでお父さん(ユーリ)がかえって心配するという。そういう終わり方でもいいかもしれぬ。

(以下、追記 2011/9/23 4:15)
最終回が近いらしいので、私が着想した奇想天外な筋書きを二つ列挙しておく。

○ユーリの家族が転勤で引越を繰り返して現在住んでいる町のほとんどの住人が、実は玉響神社の"実現力"で創作されていた人間であり、隕石衝突の危機を救うために神社を放火で消失させた途端、それらの人間が消失。"普通の人間"と思っていたフーコ達も消滅してしまう。→ しかし、これではさすがにユーリが悲惨過ぎるか・・・

○ユーリがかつてノートに書いた「世界滅亡の記述」。世界滅亡の妄想が叶えられた場合、彼は「その後」の妄想はあったのだろうか。当時、自暴自棄になっていてそんなことまで彼は考えていなかったのだろうか。後で読み返して自己嫌悪するとか自身の妄想世界をぶち壊すような程不愉快な記述は、私だったら即座にシュレッダー等で細分化後廃棄してしまう。地元の公園に植えてある木の下に穴を掘り、チョコクッキーの空缶に入れて埋めて残しておこうとは到底思わない。

当時、埋めて残して置かなければならない理由は?
→この漫画が打ち切り決定直後だったため、作者構想の変更が余儀なくされ、粗雑になってしまったから!!
でなくて(笑)
→実は廃棄するには惜しい記述もあり、地球が隕石衝突で滅亡する程のイメージまでは当時当然無くて、世界滅亡後に掘り返して見たい内容も書いてあった。
世界滅亡後、幸せな理想世界が描かれていた。追い詰められて自分が自殺したとき等に備えて、自分をいじめた奴らの名前も当然全て書いてあった。

玉響神社消失が間に合わず隕石衝突で地球が消滅したと思った瞬間、理想卿に自分がいた。玉響神社の"実現力"とやらをもってしても、神社自体を破壊するような妄想・空想はさすがに実現しなかった。自分達が愛する人達は全員生き残っていた。自分をいじめていた奴らは全員死んだのか?彼らも全員生き残っていた。誰も消失しなかった。世界は一旦滅亡したが、それは"自分の嫌悪していた世界"が滅亡しただけで、自分が幸せな世界が以降続くのであった。→この筋書きは全く感動できない。だから没。

読者の楽しみはいろいろあるが、とにかく作者はどのような結末にするかご期待ということか。それが気にいらない人は自分で納得できる結末を脳内で妄想するか、同人誌でも描くか、それとも全く新しい物語を自分で製作し酔いしれて楽しむべきだろう。
別の作者・作品において、熱狂的なそれらの読者で作者のブログやツイッター等で筋書き変更を執拗に迫っている者がいると伝え聞いているが、そんなことは自制すべきだと思う。

死や別れは数多くの作品に欠かせない大イベントなので、ここは主要キャラクター(ミチル・アム等)消失は必須だろう。残された者がどう立ち直るか、どう心の整理をするか、どのように成長して未来へ歩み出すのか。続編に未練ある場合は筋がかなり難しいと思うが、「こまけぇことはいいんだよ。」と商売になりさえすればアナザーストーリーやパラレルワールド製作で強引にハードルを乗り越えてしまう場合もある。(宇宙戦艦ヤマトとかエンジェルハート、ブラックエンジェルズの関連作品など)

ぶっとびはちゃめちゃ世界でも、萌え系要素が含まれていても、心の揺れ、震えや的確な心理描写がラブコメの根幹であり、それがしっかりとしていれば、絵が多少拙なくても(注:私はそうは思わないが)、筋に矛盾や疑問点が幾つかあっても素晴らしい作品になると思う。

さて、二度寝するか。今回は追記を重ねて長くなってしまったよ。

(以下、追記 2011/10/5 4:00)
疲労や生体時計の狂いからか目が覚めてしまった。
最終回はまだ読んでいないけど、伝え聞く粗筋から判断すると少々物足りない作品になったような。
完全ギャグ漫画や打ち切りヤケクソ結末なら「漫画内漫画」のような萎える結末や「作者の最後の叫び、尻っぺ」というもっと酷い結末でも良いけどね。
主人公達が絶望から立ち直るというのは良いと思うが、個人的には感動や2次元→奇跡の3次元→2次元というのでは非日常的ファンタジー性がかなり薄くなってしまった。

この設定なら、微妙なホラーテイストの痛快怒涛なラブコメでそしてほんのり心が震える淡く悲しい物語にすることもできたのに、と残念な気持ちである。

週刊雑誌の作者は構想を練る時間も少ないから、開始当初の勢い等を維持するのは困難だったのだろう。もしかしたら、作者もこの設定で描くのは本当は不満であり"作者の責任"感で描き続けていたのかも、と一瞬だけ邪推した。作者には人気作品を産み出す十分な力量があると思うので、再度連載のチャンスを与えて欲しい。

私は、前述の「驚きのVer.UPヒロイン登場で新たな恋の予感」と「フーコも一旦消滅してしまう」プランを絶妙にミックスしたラストがいいなあ、と考えていた。
但し、そのラストは描写が難しいと思うので、「驚きのVer.UPヒロイン登場で新たな恋の予感」プランのみでも十分と思っていた。

同じ設定で、誰か、序盤以降のアナザーストーリー考えて発表してくれないかな。
それとも、この結末なら機会さえあれば作者本人が続編書くことも可能と思われる(しかしながら、後の評判で人気を盛り返すとは考えにくく、それでもこの結末なら物語として完結されている)。それこそ漫画だから何とでもなる。

ストーリーの流れや要所での言動が違っていたり、連載がもう少し長ければ、この結末(若干細部が変わるだろうけど)でも良かったのかもしれない。


(以下、追記 2011/10/7 2:00)
最終回一読したが、正直に書いてしまうと萎えてしまった。
要所要所の言動がやはりおかしい。共感できないし納得できないし理解にも苦しむ
一例として書くと
○玉響神社消失後のミチル復活を祈る願掛・・・奇跡を超える奇跡で万が一復活しても、設定が変更されなければ、再度世界が滅ぶ危機が来るのでミチルを消失させなくてはならないのに。せっかくユーリが設定ノートを読み返しているなら、致命的な設定を書いたページを破れ捨てる場面を描く必要があるのではなかろうか
○ユーリの恋愛対象が、(前述の感想でも触れたが)2次元のミチル→奇跡の3次元であるミチルよりはフーコ→やはり2次元のミチルというのでは、彼は本当に成長し立ち直ったと言えるのだろうか。
○ミチルが実体化した際、設定の縛りはあったとしてもそれ以上の能動的存在だったはず。「作者が創り続ける限りキャラクターとして生き続ける。」果たして、そんな理由で納得できるものだろうか。今まで共に愛を育んできたのなら彼女は自分の心の中で生き続けると考えられることもできようが、能動的に自分に接してくれた存在を失ってしまったという消失感は決して埋めることができないと思う。綺麗な終わり方に見えるが、「かけがえの無い存在の死」を「キャラクターの消滅」と軽いものにしているところに感じられる。自分には共感できない。彼女が「実体化していた」証として、「今後も実体として行動するとしたらこうするだろう」と漫画を描き続けるのなら理解できる。

感性の違いなのだろうが、自分の喜怒哀楽等の感情を揺さぶるには違和感が常にあった、しかしながら比較的興味深い作品でもあった。でなければ、こんなに長々と感想は書かない。

(2011/10/11早朝 追記)
腰痛のため、続きを書くには姿勢がつらい。
とりあえず、簡潔に記載。
絵の巧拙はさておいて、この作者は物語の各部分での構成や描写は面白いのに、要所でのキャラの言動に違和感を感じる。
メタフィクションは、ギャグ漫画や喧嘩商売的漫画ならいいけど、例えSFやファンタジーでも散漫に読んでいる場合等以外は萎えるのである。時には、読者に予測どおりと言われても、ハッピーエンドでも悲しい結末でも直情的な描写の方が心に届く。

(2011/10/16 AM10:00追記)
腰痛が軽減したので、ようやくPCの前に座れた。
打ち切りが急遽決まったせいか本当のところは判りかねますが、物語の完結に向けての流れは拙速で粗が目立ち、説明・描写不足(例えば、埋めて保管されていたNo.69のノートが急遽設定に反映された後、何故ミチルが自分の存在が世界を破滅に導くことに気づいたのか読者にはわからない等)もありましたが、お別れの場面は秀逸でありました。主要登場人物(キャラクター)全員ハッピーエンドと言う訳にはいかないでしょうが、そのように締めくくるにしても、ユーリやフーコに悲しみの傷が鈍く残る結末にしても、「漫画内漫画」ではない結末で終わって欲しかったと思います。

連載が長く続き、フーコのみならずミチルも人生を満喫した恋愛模様が十分に描かれれば、漫画にして残すという結末でキャラクターは「作者が創り続ける限り生き続ける」という一見小奇麗な結末で良かったのかもしれません。
個人的には、フーコかミチルのいずれかと最終的に恋愛成就、もしくは現実世界でフーコ・現実とは別世界でミチルと恋愛成就という結末にして欲しかったですね。
ミチルが実体化した体験を漫画に残し、今後のことは想像で描き続けるということは彼の今後にとって良いことなのだろうか。もしかしたら、ミチルの再実体化に心の奥底で彼は一縷の望みを繋いでいるのだろうか。
そうでなくても、彼が支えられ耐えてきた自身の10年間の妄想の深刻かつ切実さに比べればまだ前向きで行動的であるかもしれないが、再びそのような彼に逆戻りしてしまっている。
生涯、夢や妄想の世界に生きられる環境なら良いし、かつて私も言ってきたことだが、
そのような人生を否定しないけれども、漫画のハッピーエンドとしては疑問符がつく。メタフィクションなら大いに萎える

作画の巧拙に関しては、個人の趣味の領域もありまして言及しませんが、私は気にしませんでした。ミチルの絵で、目が黒丸だけの場面が目立つかな、という程度。

今週から「週刊少年マガジン」は買わなくていいな。物語終盤からは喫茶店で読まず購入して見ていた。「現代」「ポスト」などの週刊誌は最近食傷気味だったので、かえって新鮮だった。酒を飲みに行けば少年漫画雑誌10冊分は軽く飛んでいく。1990年代から少年誌とは思えない残忍な描写の漫画が目立つからその辺は心配である。

(ブツ切り感想で申し訳なかったが、一応これで感想を終わります)
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昨晩の夢

2011年09月05日 23時19分04秒 | 日常生活
2~3歳の幼児と話をする夢を見たが、その幼児と私が対等に話している、つまり、かなり理論的な話ができていた。まるで、故・赤塚不二夫氏の漫画「天才バカボン」のハジメちゃんみたいだ。内容は忘れた。あのような天才が幾人でも出現しなければ、日本はもう助からないかもしれぬ。
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深夜ふと思う

2011年09月01日 02時28分37秒 | 日常生活
本日、というか既に昨日(8/31)になるのか、体調不良で病院へ受診に行くため仕事を休んだ。
テレビをつけたら「催眠術」やっていた。
5分も見ないうちにテレビのスイッチ切ったが、また新たなスターが誕生したようだ。
ずいぶん昔、余計な発言をして、とある催眠の集まりと縁切りすることになったが、10年経過したからもういいだろう。追放という形では申し訳ないので当方からフェイドアウトさせていただいた。今は彼(その1)は真の幸せを掴めたのだろうか。そこまででなくとも、偽りや幻であってもいいからできるだけ永く続く幸せでも良い。
当時の参加者で多くの人達が去ってしまったようだが、喧嘩別れでなく、それぞれの人生で優先しなければならないことやしなければならないことがあって、疎遠になっているだけであって欲しいものだと思う。
見切りをつけて離れた彼(その2)は、今は立派な学者にでもなっているのだろうか。
ふと考える程度であるけど、少し気になった。

ああいうものは、周期的に小さいブームはあるのだろう。

基本的に私は平和主義者なのである。妄想するのは好きだが、夢想的・非現実的平和願望者では無いことは予め断わっておく。争いごとは無い方が良いが、やむを得ないなら仕方ない。故・田中角栄元総理大臣は「敵を味方にする」能力に長けていたと言われたが、素晴らしいことだ。催眠術師の中には「敵でないものまで敵にしてしまう」人もいた(現在はそうでないとは思うが)。

とにかく、今は全く「催眠」に関心が持てないので、どうでも良いことである。
関心があるのは、お世話になった人が今でも元気であることやささやかでも良いから充実しているかどうかである。私自身が全く充実感を持てないので、そんなことを気にかけているのはどうかとは思うが、私の勝手だから別にいいだろう。


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