ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

西城秀樹さんで妄想する

2018年05月27日 15時25分38秒 | 日常生活
昨日西城秀樹さんの告別式があり、遠方で駆けつけられない私は残念ながらネットでその様子を観た。
1万人以上の参列者が青山葬儀所を訪れたそうで、私が行って熱心・熱烈なファンの邪魔をしなくて良かったと思った。当時幼すぎて財力が全く無かった私ではレコード1枚買えなかったもんな。

今はベスト版持っているし、レンタルでも借りてダビングしたものもある(CD-Rは紛失中だが)。

しかし、本当に彼の死は予想以上に堪えた。
あの輝いていたスーパースター、スーパーヒーローでさえ死を迎え、しかもその葬儀の様子を見届けなくてはならないとは。
自分も当然同じだけ歳をとり死を迎えることに恐れや困惑を感じるとは。
時間が経ち、自分を自分で有らしめたものが徐々に消えていくことを実感するとは。

私の人生など取るに足らないつまらぬもので、誰にも影響力もなく、自分自身も不本意で全く充実したものでないのだから、さっさとこの人生が過ぎ去ってしまえばいいとは考えていたので惜しいという気持ちは無いんだけど、一つ一つに終わりがあることに何らかの虚しさ、切なさを思い、石のように心も体も固まってうずくまりたくなる。

まあ、本日で彼を偲ぶのは一旦やめる。私はまだ生きていかねばならないからここでうずくまっていることはできない。

西城秀樹さんは本当に情熱と眩しさ、才能の塊みたいな人だった。晩年は健康を害して苦痛に耐える人生で、若い頃の不摂生や無理なリハビリを指摘する発言も聞かれたが、それらもやむを得ないと思う。

あの才能はどこからきたのだろうか。彼が西城秀樹として誕生する前から備わっていたとしか思えない。
彼に限らず才能溢れる人達を見ると、神の摂理や輪廻転生を信じたくなるから不思議だ。

清原和博さんや沢田研二さんみたいに、才能を早期に枯渇させたり放棄したりする人達もいる。
覚せい剤とか浪費、急に過度な思想に走り「膝がガクガク ホーホケキョ」(屋久島MAY)と歌い顰蹙や失望させたりしている。それは彼らの人生だから好きにすれば良いだろう。ただ、法律違反やファン軽視・無視には、相応の報いを受けなければならぬだろうけれども。

もし仮に転生というものがあるなら、松田聖子さんや沢田研二さんは来世ではスーパースターで無いだろうし、そのほうが本当の幸せを知る可能性もある。西城秀樹さんは来世でも再びスーパースターになるような予感もするが彼がその座を選ばないかもしれない。しかし、本当のスターは周囲が放っておかないというか盛りたててくれるというか、いつのまにか輝く存在になっているものだ。

そこに仏教でいう「縁起」を思い浮かべてしまう。スターとかヒーローはその人の才能だけでなく、周囲の人達の力とか時代に愛されているという表現のごとく時代・環境・支持者もセットになっているものだ。

おそらくは内面の世界、精神世界を充実する人生になるので、傍から見たら、世間への露出が少なくパッとしない人生かもしれないが、より精神的には満たされたものになりそうとも思う。2時間しか寝られない、遊ぶこともままならない、分刻みの多忙な人生が本当に幸せとは思えないからだ。

私にもスウェデンボルグやエドガー・ケーシー並の力が有ればよかったんだが。まあ「自分こそそうだ」という詐欺師・妄想族は沢山いますがね。そのような輩には、まず自分に取り付いた悪霊か病気、虚栄心を追い払ってもらうのが先だろうと罵りたくなります。
いや、本当にある程度の超能力があっても破綻・破滅する場合がありますから(前述のスウェデンボルグやケーシーですらそうだ、つまり根拠なき妄想が混じっているという説もある。人間を電波のレシーバーに例えるならその性能によって混信、不具合もありうるということかも)。

自分が高名な宗教家や大スター、神々の生まれ変わりという奴は、本当にそうならば、強力な味方・スタッフ、周囲、支持者、時代と環境などもセットのはずだから、いつまでも芽が出ないのは「紛い物」「嘘つき」「邪心者」と思って間違いありません。本当にそうであるなら、誰々の生まれ変わりなど語らなくても魅力や才能を発揮して輝く存在となっていきます。

西城秀樹ならどうするか、どうなるか。いろいろと妄想すると楽しそうだが、次は単なる歌謡スターでないかもしれない。何かの組織の長とスターを兼ね備えた存在の予感すらする。奴隷のように働かされることもなく、だが精力的に人々に物語や夢を訴えるような存在になってほしいね。せめて私の妄想の中で。さようなら西城秀樹さん。
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西城秀樹さんの思い出

2018年05月21日 00時55分06秒 | 回想
精神的落胆からようやく落ち着き、西城秀樹さんの思い出を少しずつ語ることができるようになった。
こんなところに投稿するのでなく、自分だけで在りし日の思い出に浸り誰にも心境を明かしてなるものかと、むやみやたらと頑なになっても良かったんだが、最後に一度だけ西城秀樹さんへの思いを語ることにした。

車を運転していても、彼の曲ばかり口ずさんでしまう。

近年は脳梗塞による後遺症で西城さんの満足の行く活動は、いやそれどころの話でなく、通常の芸能活動もままならないようだった。このまま生きていても、全盛期を超えるようなインパクトを与えるパフォーマンスは到底望むべくもなく、彼が最も得意とする歌唱の分野でも小ヒットを飛ばすことすらありえなかっただろう。

だから、私は彼の芸能活動にはあまり関心も無く、リハビリやバラエティ番組の様子を後で知ったりした。但し50周年ライブが計画されていたらしいので見に行く気も十分にあった。もうひと花と期待はできないにしても最後の闘いを見届けるため。

西城秀樹さんには、芸能活動より家族との団欒の為にもう少し生き続けて欲しかった。
本人は子供が成人するまで生きていたいと望んでいたというがそれは叶わなかった。

西城秀樹は幼少の頃、スーパーヒーローであった。
ウルトラマンや仮面ライダーに例えることもあるが、それらが全くの架空のキャラクターで架空の世界に生きていることはかなり幼少の頃でもわかっていたので全然違う。一部作られたもの・虚構もあるだろうが、彼は実際に多くの観客をスタジアムに集め、テレビ・ラジオに出演し続け精力的に歌い踊り活動していた実在の人物だったのだから。

青年期における新日本プロレスの初代タイガーマスクでもない。私の印象では日本プロ野球の王貞治が最も近い。情熱的で野性味溢れる歌唱や子供達の素敵なお兄さんの側面を考慮すれば、スターとしての輝きは王選手を超えて私の中では最高であった。

新御三家と一緒に括られることがあるが、野口五郎さんではここまで悲しむことはない。当時の郷ひろみさんは私には論外だ。野口さんや郷さんは尊敬することも多いが、憧れや輝きを感じることは私には無い。
沢田研二さんを含めると、私の中では落胆の具合はおそらく「西城>>沢田=>野口>>郷」となるだろう。

スポーツ選手も含め芸能人の死で衝撃を受けたのは、逸見政孝、ジャイアント馬場、マイケル・ジャクソン、今回の西城秀樹ぐらいか。高倉健さんやいかりや長介さんのときも悲しかった。
これからを考えると長生きして欲しいのは、さだまさし、王貞治、うーん後誰だろうな。宮内洋さん??
山下泰裕??宗兄弟??

実力・輝き、完璧でなくていいからある程度の人格者か、嫌悪されないかなりの個性派であることが私の基準かも。

沢田研二さんやアントニオ猪木さんの死には対しては、私が落ち込むことはなさそうだ。

西城秀樹さんの若い頃の圧倒的迫力ある歌唱は、ショートミュージカルと言っても過言でない独特の世界があった。あのパフオーマンスを見てしまうと世良公則さんの野性味あるアクションやシャウトですらやや見劣りしてしまう。勿論、世良さんの歌唱も好きなんだが。そして、普通は近寄りがたい畏怖心を抱かせるが、カレーのCMやラジオでのトークで見せる茶目っ気のあり優しさ溢れる雰囲気は、彼を中心に皆で笑い会える楽しさある理想のお兄さん、頼れる先輩というイメージがあった。

一時は自分もあんな男性になってみたい、と思わせるものがあった。

(以降は後日追加。。するかな。。わからない)

ネット、Youtubeで西城秀樹さんの告別式の様子を観ました。
野口五郎さんの弔辞の後、涙でPCの画面が滲んで見えた。
郷ひろみさんの弔辞、会見も故人の人徳が偲ばれて良かった。

西城秀樹という人物とはこれでお別れ。彼を知る人が一人一人亡くなるたび西城秀樹の欠片、残像も消えその都度彼は死んでいく。残された当時の映像・音声は只の歴史資料となっていく。

天国で活動、転生して再起と言う人達もいるが、たとえ、それらが事実だとしても、それはもはや「西城秀樹」ではない。今まで、復活すると語り継がれたイエス・キリストを含め肉体を伴って復活した人は誰ひとりとして居ない(イエスだけは死後一時的に復活したらしいが)。
前世の記憶をもった人間もいて、一部その発言内容が事実と確認された例もあるそうだが、前世記憶を有した人達もいつしか記憶が消えて今後の人生を過ごしていくという。

いつも他人の死に際して思うことなのだが「自分は死んだらどこへ行くのか」「自分は本当は何者なのだろうか」と。

(以上、追記2018/5/27 推敲も)
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西城秀樹さん死去

2018年05月18日 06時34分20秒 | 芸能についての感想
昨日の昼頃この訃報を知った。当初、脳梗塞による障害を乗り越える為に懸命なリハビリをしていることを知っていたので死因は脳梗塞以外の事故ではないのかと驚いた。その後、ジワジワ落ち込んでしまいそうになるくらい心理的影響があり、仕事を途中で切り上げて帰宅しようと思ったくらいだった。

彼の出自は知っていたが、「反日」「侮日」言動をしたことはないので敵意・反感を私が持つことはなく、寧ろ、大好きで彼の5枚CDベスト版を注文購入したくらいだ。

西城秀樹の歌で、私が最も好きな歌は「ブルースカイ ブルー」、その後に「君よ抱かれて熱くなれ」「薔薇の鎖」「聖・少女」「眠れぬ夜」と続く。「ラストシーン」「ブーツを脱いで朝食を」も気に入っている。

私が幼かった頃は「薔薇の鎖」を、校内清掃に使う長モップ、とか長箒でモノマネしたものだ。
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ジャニーズ病

2018年05月12日 09時12分45秒 | 社会問題
>【マライア・キャリーも苦しむ「双極性障害」山口達也も同様の病か】
>
>元TOKIOの山口達也(46才)による一連の騒動。
>山口は、肝臓を休めるための入院から退院したその日に酒を飲み、
>番組共演で知り合った女子高生を自宅に呼び出し、無理やりキスを
>するなどしたという。アルコール依存症の疑いがあるともいわれて
>いるが、実は別の病に悩んでいた。

>「山口さんはアルコール依存症の疑いがあると報じられていますが、
>本当の病名は『双極性障害』、いわゆる『躁鬱病』だそうです。
>マライア・キャリーも先日、17年間も双極性障害に苦しんでいると
>初告白しました。日本で『鬱病』の患者数は500万人いるといわれて
>います。山口さんももう6~7年は前から苦しんでいるそうです。
>この病気のため精神が不安定になったことが、今回のさまざまな
>出来事の根幹にあります」(音楽業界関係者)


元TOKIO・山口氏を"本当に"弁護・擁護したい気持ちがあるのなら、適当な(いいかげんな)診断はしないほうが良いと私、ぶらいやWATTYは思う。

世の中には「嘘」をついてでも守りたいものがある。自分が犯した罪を誰かの、何か病気のせいにしたい気持ちもあるだろう。そして、現代医学ではわからない病気や、何らかの負の影響を与えるものがあったかもしれない。

しかし乱暴に「これが原因だ」と訴えるのはどうだろう。駄目ではなかろうか。

私はいくつか前の冬季五輪の投稿の際でも意見を述べたが、「言い訳をするな」と対話・議論の芽を摘むのには反対の立場だ。
「言い訳しない」「沈黙は金」などというのは日本だけ。黙っていたら悪人・罪人にされてしまう。
常に自身の立場からどんどん反論、挙証、主張すべきだ。


しかしながら、言ったことに対して再度誠実な回答や思考があるべきだ。
「アルコール中毒」なら、アルコール中毒患者の症状、特徴に合致しているか精査しなくてはならぬ。
「双極性障害」なら、双極性障害、つまり躁鬱が交互に来る人達の症状、特徴にどこまで一致しているかをしっかりと見極めなければならない。

適当な診断、誤診は治療、改善に携わる際での大失敗の元である。

宮本・袴田論争が真の「マルキスト」とはどうあるべきか問わなかったり、
JFAがハリルハジッチ解雇(解任)の理由を「コミュニケーション不足」といい加減な理由もしくは嘘を言ったり、日本はいい加減な人達が比較的高名とか偉い人達に多いね。

これは、「神」でも「法」でも"真理"の範疇・概念で捉えてくれればどういう言葉で表現しても良いが、自分達がそれを追求・迫るという情熱がなく、「神」「法」を自分に都合良く捻じ曲げて利用しようとする精神、つまり「神を召使いにする」という発想、ご利益がないと信心しないという精神が魂の根源(笑)で強すぎるからだろう。

そんな考えだと、都合良い「隠れ蓑」が有ればむやみにとびついてしまい、次にそこから一転して逃れたくても逃れられなくなってしまう。

さて、本題に戻るが、いいかげんな理由を世間に訴えても、ネットで多種多様な人々が、それら病気を持つ人達やその友人、親類縁者の場合は経験や病気の特徴を説明し、専門家サイトの資料を引用して議論が始まるのでたちまち真偽が判明してしまう。芸能人のように世間の人気がよりどころとなる場合は逆に反感を持たれ逆効果、ますます窮地に陥ってしまうだろう。

もっともっと山口氏を調べるべきだろう。真の理由を知ることが結局は彼を救う早道であろう。

どうしても病気でなかったと判明してしまったら、「若い女の子が大好きだった」「襲ってでもセックスしたかった」でいいではないか。どうしようもないではないか。

私は「ジャニーズ病」と命名したいね。
日本社会の"神に逆らい法を曲げてでも、社会正義をあっさり捨てても、強者に巻かれ、強者に有利な報道・宣伝をする"偽ジャーナリズム・報道機関に守られ、カルト化した偏愛・変質組織でも培養された人気者達の増長慢、不法行為が相互に結託した権力に守られ暴走してしまった社会的害悪(芸能界での健全な競争阻害、増長した人気者達の横暴・暴力行為・不法行為の蔓延、芸能人になりたい男子を変態的境遇に置くこと等)であると。

噂、いやもう裁判で判決もでていることなんだが、個人的性癖のうちは良いが、政財界を含め芸能界・裏社会の数多くの欲望が巻き付き妖怪獣となり、世間の健全な人々を襲うのである。

個人的性癖、男色嗜好を抑えられなくて同好の志を募って楽しんだり、未成年相手では本当はいけないことだがなんらかの取引が成立し、戦国時代の武将や江戸時代の大名にも居た、そして現代の政財界にも居る、いわゆる"お稚児(お小姓)趣味"の方々に捧げるのはやむを得ない。しかしまがいものばかりの"護民官"(例えば、「自分はジャーナリスト」と普段から偉そうだが権力からの弾圧や利益供与に極端に弱い人達など)の事なかれ主義と権力によって、社会的害悪として暴走するならば糾弾・弾圧するべきだろう。


(一部、推敲 2018/05/13)

政治家も妖怪獣というのは、ずっと昔の私、ぶらいやWATTYの意見



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日本社会の"偽り"というのは

2018年05月05日 03時07分35秒 | 社会問題
中国・朝鮮みたいな明らかな「騙し」というのでなく、どういうものなのかね。
私はまだ明確に言葉にすることができていない。
確かに利己的欲望は交じる、そして、本当のことを隠してもいる。
なのに、自然発生的で邪悪さを感じないのである。

(間違っているかもしれないが、「こうだ」と閃いたら追記予定。)

(以下、追記 2018/5/6)

個々人で言えば、冷静冷徹に論理的思考できる者、閃き感覚的だが結果オーライになる者、正直者、嘘ばかり言う者、期待や希望が妄想になる者など当然、多種多様な人々がいる。

団体、組織、民族単位での傾向となると、それらが経てきた経験とか、もしかしたら過去世の蓄積もあるかもしれないが、それが大きく方向性を左右するのかもしれない。

前世・過去世とか霊界などと私は書いているが、釈迦も例えそんなものがあるにしても今をしっかりと生きなさいという趣旨のことを諭したと聞く。
昔、凝った「催眠」でも、非道徳的、やましい系もあるが、神秘系、やや宗教系に傾倒したものがある。それが事実、真実ならしょうがないが、他者からも納得できる「検証」を重ねることが最も大事ではないか。

宗教団体でも自分が高みに位置し尊敬されたり偉ぶりたいという利己的な自己愛が強くなり、妄想がひどくなり、過去の言動と整合性がとれなくなり周囲の幹部や信者を不幸に叩き落としたりしている。

それこそ、悪霊にでも憑依されたのか、と言いたくなる。

スピリチュアルな言動を公にするときは、本当にそれが真実なのか、検証・自戒を怠らないことであるし、その方法が誤りでないか、と更に警戒すべきであると私は思う。

「転生」ひとつにしても、それが偽りの記憶でないか、とか、例え記憶と歴史を照合して事実と確認できても、これが霊の転生でなく記憶だけが移る何かの現象でないか、とか、検証を怠るべきでないと思う。

だから、以前の投稿にもあるように、独裁者とか宗教家は本当に度胸・勇気があると思うんだよな。

さて、話はやや大層なものになったが、他の日本社会・組織も他人事と笑ってはいられない。

日本が組織が、輪の様に座する内輪主義、カルト化、場の空気に同化しやすいのは(究極的な)「神」の法則(日本は神様が多すぎるからこういう表現にした)、読者に定義を共有できていないと思うが、その戒律を厳守してきた経験が無く、むしろ、神様は自分達を守ってしかるべき、恩恵を与えてしかるべきという思考があったからでないか。「予定説」のように、「神は救うべき人を予め決めてあり、人間をいかようにしても良い」という中で神の意向を緊張しながら探りながら文明を築き上げてきていないからではないか。

自然災害の被害を見るとそういう考えのほうが正しいと思えるし、日本は地震・台風による水害が多いので予定説を採る宗教や無神論者が増えても良さそうなのだが、日本の宗教人口は確か人口を越えているはず。

(思考に疲れたから中断)

以下、再開。

宗教人口が実際の人口を越えているということは、調査方法の誤り、宗教団体の誇大広告、ダブルカウント(予備校や塾の宣伝にもよくあることだが)もあるが、ご利益等を求めて宗教の掛け持ち、渡り歩きをしているとも考えられる。そこに自分本位の姿勢が見える。
「神」でも「法」でもどちらでもいいが、その御心又は法則に従って生きる、それらが明確にされていなければ、経験から探求し真剣に学びとる姿勢が"組織・団体としては"無いから、権力や地位を得たら極端な例では「神・法を超える者、恐れぬ者」になる程に有頂天になり、それを周囲から諌める者は根拠・背景が虚弱な場合は、楽な道を、つまり無用な軋轢を避けて利益や安逸を得ようとヘタレてしまい(特にテレビ・新聞等のマスコミ)、いわゆる"社会悪""腐敗"は改善されず、破滅的状況になり生死が脅かされるレベルで、ようやく「復活」「維新」できるようになるのではなかろうか。

日本の政治が白痴で、改革や注意が悉く非合理的でタイミングをも逸しているのは「合理性」を磨く機会どころか契機・発火点も無いせいだろう。個人レベル・少規模団体なら個人の才能、職人気質や共同体において共に働くことで培われる仲間意識などで支えられるのだろう。

現実は生きるに辛い面もあるから、空想や妄想、多くの場合は「自分の夢」と置換されたりもするが、それらをもって生きていくのは不可欠と思うが、現状把握は現実世界を生きるにはこれも不可欠である。
冷徹に自分達を見つめようではないか。





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日本代表サッカーの事例に見る"偽り"の世界

2018年05月05日 01時46分27秒 | スポーツ-球技についての感想
>日本航空はサッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会に向け、
>日本代表を応援する特別塗装の旅客機「SAMURAI BLUE
>応援ジェット」2機の運航を始めた。9月末まで国内外を飛ぶ。

>1号機は選手18人をペイントし、国内線で運航している。
>成田-モスクワなど国際線に投入した2号機は香川真司選手とよろい
>かぶと姿の武将を描く。両機の尾翼には「夢を力に」の文字も。

どうやら、ハリルホジッチ氏が解雇(解任)されたのは、選手選考にからんで、大手スポンサーの力が働いた可能性が濃厚とわかってきた。

当落線上の選手を広告塔に選んでしまうスポンサーの見る目の無さも批判したいところだが、ひとつ、日本社会に提案したいことがある。

本当に自分達が求めているのは何か、嘘偽りなく見つめ直すこと。それから、やるべき方向を決めたらどうか、ということである。

サッカーファンならば完全実力本位で選考して持てる力を総結集して対戦相手に向かって欲しい、というだろう。しかし、それが叶わない、他の阻害要因、他に追及しなければいけないもの、それが例えば人気、お金というなら、はっきりと自分達、自分達の組織の実体を徹底的、細部にわたり把握することである。

完全に実力本位選考でなく、数人は絶対に選考しなくてはならないなら、明確に決定しておくべきなのである。競技8割、興行(芸能)2割とか。格好つけたり妄想せず、真の姿、本当の自分達を確認、実態を把握すべきである。ここらへんのギリギリの思考、作業を怠るから駄目なのである。

そうすれば、サッカーに関わる決定権、特に選手選考権限を完全掌握する外国人監督を雇うという選択肢は出るはずもなく、例え外国人監督を雇うにしても決定権の範囲を制限した契約にすれば良いのである。体裁が悪ければその契約内容は公開しなくても良いけれども。

感染症対策や経済援助でも当然のことだが、先進国から発展途上国に技術援助等する際に、そのまま現在の先進技術を伝達しても駄目で、相手側の知識レベル、インフラの整備度などしっかりと把握してからでないと効果が無い。むしろ、一世代二世代遅れた技術をしっかりと伝えたほうが、相手の為になるのである。まずは実現可能性を探るべきである。精神的にも肉体的にも技術的にもサッカー後進国なら後進国らしい対策を採らなくていけないのだ。

私の経験も語るが"偽り"はいけない。本当は人員削減だけが目的なのに、体裁が悪いのか非難をかわす為なのか知らぬが、これは単なる人員削減でなく高度集約でもっと個々に専門的業務をこなして欲しいが故の「機能強化」「改革」なのであると言い出す馬鹿、詐欺師がいる。それでいて、組織や施設は老朽化のままで、専門的業務どころかもっと雑多な業務をこなさなくてはならず、殆どの業務は粗雑にやるしか無くなってしまっている体験からも実感する。

実体把握、診断は、的確に明確にしなくてはならない。肝臓病なのに心臓病と言ってしまうようでは効果ある治療、改善はできないのである。

サッカーの例に戻るが、競技/芸能の境を明確にしてから業務委託しなくてはならない。
情実人事が避けられないなら、選手起用や戦術に今はやりのAIを使い最適化したらどうか。
その際には、絶対に外せない選手やスタイルを規定しておくのである。それでシミュレーションして負けるなら、競技/芸能比率を変えていけば良い。

プロレスリングでいうならば、一昔の新日本プロレス、第二次UWFプロレス時に散見されたが、単純に「プロレス」に来た外国人選手に事前説明もろくにせずハードヒットやシビアな関節技をして怪訝な気持ちを抱かせることはないように。第一次UWFプロレスのマッハ隼人選手みたいに、こういうプロレスを若い時にしたかったという様なこと言ってくれるのは稀。
自分達は妄想、カルトに浸っていても、招聘された外部の人達は殆どの場合、それを理解していないのだから。故・ディック・マードック選手のように、プロレスと喧嘩どちらをしたいのかと聞かれる。
こちらの例は芸能なのに競技(真剣勝負)を疑われる逆の事例だが。

日本代表サッカーも真剣勝負をしないなら、組織運営の為真剣な競技ができないならば、外部から人材招聘するときは、まずは事前説明を徹底的に行うこと。競技(真剣勝負)をしにきたのに、芸能、それもドタバタコントしてくれと言われたら困惑するし、いろいろキツイでしょう。

自分達は内輪でカルト化、妄想で高揚して既得権益確保で「いい気持ち」になるのは勝手だが、それなら外部に迷惑かけず自己完結すること。外部の助力が必須なら、妄想/現実の境目をしっかりと認識し確実な事前説明の上依頼すること。

経典宗教かつ予定説で鍛えてこなかった民族は、こういうところで堕落する。支えることができるのは職人気質などの精神的骨格のある者。それでも政治的には白痴なので系統的かつ論理的な対策は打てない。
それでも、日本にも「人事を尽くして天命を待つ」という叡智溢れる言葉があるじゃないか。
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南北朝鮮人について投稿する気が失せている:卓球世界選手権で大会期間中に突如南北合同チーム結成

2018年05月04日 07時49分15秒 | 日常生活
直接私に甚大な被害があるとか、被害は僅かでも当事者とか、物凄く世界情勢に混乱をきたす等以外に、この程度では(それでも不公平、エセ平和活動であるが)南北朝鮮人について投稿する気が失せている。

国際的スポーツの大会中に、エントリー前なら容認できるが、大会が始まってしまっているのに、突如、南北朝鮮合同チームを結成して日本と対戦するなんて、それを認める日本卓球協会や開催運営は、競技スポーツの公平さを確保する面でも、虚偽的な平和活動に政治的加担している点においても間違っていると断言する。

南北朝鮮チームは一試合少なくなり体力を温存できるし、団体戦で起用できる選手の数が他国より増える。
それに、平和への一環なら、合同チームをつくる必然性は無く、あくまでも競技スポーツなのだから、対戦して健闘を称え合えば良い。今、南北朝鮮の首脳会議も開催され、実際の政治で平和及び国家統一に動き出しているはずなのだから、世界に迷惑かけず両国だけでいくらでも民間交流したら良いではないか。

以前の私なら、ここでそんな馬鹿げた要求をする北朝鮮・韓国を激烈に非難する内容へと続くのだが、今はそんな気持ちが失せてしまっている。

なんと言えばいいのかな。
良い例えが思い浮かばないのだが、水の中に泳いでいる魚に「陸に上がって走れ」と言うとか、男性に「子供を何故産まないのか(女性に産ませろ、という意味でなく)」と言うような理不尽さ、諦めのようなものを心に抱いてしまっている。

とにかく徒労感がある。私が北朝鮮・韓国に激烈な非難投稿をするときは、殆どの場合、大元のニュースや事件があった。今は「もういいや」という気持ちが先に来てしまう。

日本チームなら南北統一チームに勝てるとかいう問題でなく、まず参加チームに公平になるよう尽力したり、スポーツマンシップにのっとり敵意を煽らない運営をすべきだ。
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自身の宗教観を見直す

2018年05月04日 06時29分44秒 | 日常生活
日常生活において休暇期間でないと、なかなか自分の哲学や宗教観を考える時間は無い。
今回の連休中でさえ次なるステップ、それも人生最後となりうる企画、打ち上げ花火の構想を練って時間は大いに不足しており、今、端的にまとめるしか無いのである。

若い時は自分の人生に大いに悩み、(今から振り返ると)考えても思いつめても仕方ないことを延々と、そして情熱的に悩み抜いてきたんだが、今はすぐに顧みて一応の区切りをつけて思考を早くに終えることができる。まあ、単に年取って思考に疲れてきたのかもしれない。

以前にも投稿したが、独裁者や宗教家というのは大したもんだと思う。盲目的に尊敬しているのでなく、その度胸や勇気に対して。

自分が高度な知能、特殊な能力、強靭または常人離れした肉体を有していても、限界は必ずある。肉体は必ず滅ぶ。にもかかわらず、いつまでも、自分を神、神の最も近い代理人と称していたり、それに近いことを強弁する。

私なら、常に自戒しながら、本当に神の代理人、例えば預言者であっても、いつその任を切られるか(ハリルホジッチみたいに。ふふふ。)不安でたまらない。その役はもっと素敵で徳の高い人にお願いして、自堕落な、もしくは一定の資金を稼ぎながら飄々と暮らしていきたい。
独裁者になり周囲に猜疑の目を向け、いつ暗殺されるか不安に過ごしたり、宗教家として実質以上に高みに登りひっこみがつかず虚言や妄想をふりまき詐欺師に転落する人生はきつい。

人々は、昨今の社会不安から、救世主(メシア、Messiah)待望が高まっているので、多少なりとも能力のある人、特に宗教家は実力とか実質以上に崇められてしまう。真摯に努力できる人、真に慎重な人であれば、ますます自戒し周囲の高揚を諌めるものだが、どういう団体名か失念したが「しあわせのかがく」だったかな??、自分を釈迦の再誕と言ったり、自身の歴史や発言(霊言)を都合良く改訂したりしている。高級例だった人が悪魔、悪の化身になっていたり、実体が釈迦とあろう者が、真偽を見破る目が曇ったり、物欲・性欲を抑えられなかったり、信仰してくれる人々を不幸・破滅に追いやったりとむちゃくちゃである。

彼らの初期の著作やオウム真理教の書籍も一部購読してきた経験があるので、矛盾点はそのときすぐに見つかった。当初は救世主が現れたのかと関心を持ったが、今現在まで、それらしい人はまだ現れない。
故・小室直樹氏をも騙っているけど「小室節」は容易に真似できないよ。

誠に業の深きことよ、と嘆息する。

さて、私の宗教的基礎(ベース)は、現在でも、簡潔に言うならば、仏教(鎌倉仏教みたいな方便は否定)+スウェデンボルグ(一部異論ありという条件付)だ。短期(生1,2回程度)は「予定説」で長期(10連続生死)は株価が結局は業績に収斂するみたいに「因果応報説」だ。内面の世界と外面の世界と同時に生きる。天国に行くとおだてられても、地獄へ行くと脅かされても平気。自分の適した「界」に行く。

輪廻転生の輪から離脱したら、もっと高度な生命体、もしくはもはや肉体を有することが不要な「界」に行ったりするのだと、勝手に妄想したりしている。

たまにこんなことも思ふ、5月連休である。

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イチロー 今季残り試合に出場せず 球団特別アドバイザーに就任

2018年05月04日 05時36分39秒 | スポーツ-球技についての感想
>大リーグ、マリナーズでプレーする44歳のイチロー選手が
>球団の特別アドバイザーに就任し、今シーズンは、今後、
>出場選手登録の枠から外れて、試合に出場しないことになる
>ことが関係者への取材でわかりました。

>イチロー選手は出場選手登録の枠を外れたあともほかの選手
>たちと一緒に練習しながら、チームをサポートする役割を担い
>来シーズン以降は試合への出場が可能な契約内容になっている
>ということです。
>マリナーズはこうした内容を近く発表する予定です。

今年の契約で一ヶ月メジャーで通用するかチャレンジの期間があったけど、結局は不合格でチームのサポート役に回るんだろう。メジャーリーグ引退報道も出ているが、そう報道されても当然。

チーム帯同というのでなく、マリナーズがレンタルで日本に貸し出すというオプションは無いのかね。
チームに故障者が出たらメジャー復帰でいいから。今回のニュースでは今季のメジャー出場はありえないらしいけど。

来年の日本での開幕戦で引退試合をする為、こういう契約にしてとりあえずイチローをマリナーズ残したという解説もあるが、そんなことまでしてメジャーに残るイチローにプロとしての魅力は無い。
打撃はもう駄目そうだが、守備力、走塁ならまだやれるのなら、日本に戻ってファンに少しでも多くプレイを見せる選択はできないのか。それが嫌というならすぐ引退して欲しいものだ。来年の開幕戦だけ復帰すればいいではないか。
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何故、TOKIO山口氏にも"Me Too"運動が起こらないの??

2018年05月03日 14時50分21秒 | 社会問題
昨日のTOKIO4人の記者会見。
あれが練られた筋書き通りか、はたまた、各メンバーの本音本気の発言を交えたやや混沌としたものか、どちらにせよ、必要最低限のことは話していたので、非難及び罵倒する気持ちにはならなかった。

期待したのは、実話ナックルズから、事件発覚から会見までに報道されたこと以外のこと、つまり隠された事実、例えば、山口氏の計画的常習犯だったか、とか、NHKスタッフの関与や他のジャニーズタレントがいたのではないか、ということが質問されるのではないかということだけだった。

被害者の10代女子学生も不用意だったとか、ゆすりたかりの美人局まがいの輩であった可能性も完全には捨てきれないところだが、それらは"現時点では"外野からの憶測に過ぎず、慰謝料や迷惑料の類を一切受け取っていない、凶悪犯罪担当の警視庁捜査一課が動いていたという情報もあり、いまのところ、周囲による山口氏の弁護・擁護はなかなかしかねる状況だ。

さて、財務省の次官によるセクハラ問題もあり、"Me Too"運動の人達はこの事件に関しても激怒して、山口氏や所属している(ORしていた??、もはや過去形??)ジャニーズ事務所に抗議運動をしているのか、とニュースを漁っても一向に報道されていない。ジャニーズ事務所による報道規制かな、と思ったが、あれほどセクハラ発言には苛烈だった人達は、より一層卑劣で女性の尊厳を傷つけるような行為には黙っているのか、不思議でならない。

イケメン、スターなら許されるのかい。
それとも、安倍さんや麻生さんの自民党を引きずり落とすだけの材料に過ぎなかったのかい。

こういう件、ひとつとっても、日本人の主張する主義信条、イデオロギーの類は全てまやかしとわかる。
そこに、やはり「論理」は無い。

先日、一読した故・小室直樹氏の「数学を使わない数学の講義」には、こういう点も触れられていて、意外に名著だったと気付かされた。

それらは。
P168の、『「死ねば成仏」-日本人の恐るべき仏教誤読』
成仏は死ぬことでなく、悟りを開き輪廻転生の輪から抜け出せれば「成仏」であり、生きながら成仏可能。
P192の、『袴田・宮本論争は、なぜ低次元なのか』
(前略)ところが、日本のマルキシズムはどうか。日本共産党の袴田・宮本論争を見てもわかるとおり、「おれのマルキシズムの解釈が正しい」という議論はひとつもしない。どっちが不人情な男かを証明することばかりに一生懸命になる。

神様を利用、召使いにする発想や、自分の好き嫌いの流入が防げないような主義信条では、精神の光、つまり真の社会的理想に進むのは難しかろう。日本最大の弱点である。霊界ではそんなこともできる団体が存在するのかもしれないが、物質界、つまり現実世界では困難だろう。

神様=世界共通の法則、ルールと仮定し、近年の科学技術と精神世界の融合が進むにつれて、ますます属人的思想は現実世界と乖離し制御できなくなることだろう。
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