善意や善行を積む人が報われず、悪意や悪行を重ねる人が蔓延ると、生まれながらに救われる人とそうでない人が既に決まっている「予定説」を信じたくなるのも無理は無い。「因果応報」説は転生してみないとわからないし、転生したら過去世の記憶が無いとか徐々に失われていくとか、それらより先に科学的証明が困難で、インタビューの証言ぐらいしか確認の方法が無い。だから「因果応報」や「転生」が事実かどうかも確認し難い。そんなものは妄想や願望かもしれないし、仮に事実としても考えているようなものではないかもしれない(例:転生があるとしても"魂"の転生では無い等)。
そして、才能や環境に恵まれて生まれてきても、悪賢い奴らや自分勝手な奴ら(陰謀をめぐらす者、無差別殺人者など)によって来るべき輝かしい未来や栄光、幸せを簡単に分捕られてしまう。強靭な精神的・肉体的・組織的抵抗力も備えていないといけない。
万物は流転する。人生もしかりということなのだろうか。
今回のような大災害で、家族・親類や地域コミュニティが全滅し、自分だけがかろうじて生き残った人を見ると、赤の他人とはいえ本当につらい。
別に詳細は知りたくない。知るとしても本人にインタビューするのは極力避けるべきだし、インタビューの基本として、相手側が公人でなく被災者であるときは途中中断の意志確認をしっかりと行うべきだ。
私が究極神でなくある程度世界を創造できる"神"で仮にあるならば、死んだ人間を生き返らせるのは無理としても、たった一人残されて寂しい思いをし耐えて人生をまっとうできた人間に、悲劇的な事件や災害によって奪われた本来体験できたはずの幸せな生活を、死後やり直しさせてやりたいと思うこともある。しかし、実際生きていたら幸せとは限らないかもしれないし、もっと恵まれた肉体や環境を望むかもしれない。肉体の桎梏から解き放たれたら、その人自身がそう思わなくなるかもしれない。
(今日はここまで 2011/3/27)
そして、才能や環境に恵まれて生まれてきても、悪賢い奴らや自分勝手な奴ら(陰謀をめぐらす者、無差別殺人者など)によって来るべき輝かしい未来や栄光、幸せを簡単に分捕られてしまう。強靭な精神的・肉体的・組織的抵抗力も備えていないといけない。
万物は流転する。人生もしかりということなのだろうか。
今回のような大災害で、家族・親類や地域コミュニティが全滅し、自分だけがかろうじて生き残った人を見ると、赤の他人とはいえ本当につらい。
別に詳細は知りたくない。知るとしても本人にインタビューするのは極力避けるべきだし、インタビューの基本として、相手側が公人でなく被災者であるときは途中中断の意志確認をしっかりと行うべきだ。
私が究極神でなくある程度世界を創造できる"神"で仮にあるならば、死んだ人間を生き返らせるのは無理としても、たった一人残されて寂しい思いをし耐えて人生をまっとうできた人間に、悲劇的な事件や災害によって奪われた本来体験できたはずの幸せな生活を、死後やり直しさせてやりたいと思うこともある。しかし、実際生きていたら幸せとは限らないかもしれないし、もっと恵まれた肉体や環境を望むかもしれない。肉体の桎梏から解き放たれたら、その人自身がそう思わなくなるかもしれない。
(今日はここまで 2011/3/27)