第2回WBC監督にまだ未練があるのかわからないが、世間の反感が沈静化しよう
とすると、自身のブログやテレビ出演における投稿や発言-「日本はいじめ国家に
なった」等-で燃料を提供してしまう。
私達はそんなに暇でないから、日本プロ野球の威信が傷つこうがそれは彼らの愚劣
な判断によるものだから、「勝手にすれば良い。(星野さんでも誰でも監督にし
て、WBCに臨めば良い)」と、どうでも良く思っているのだが、日本のイメージ
は貶めてくれるな、と言いたい。
この問題に関する諸悪の根元は、NPB(日本プロ野球機構)の五輪に挑む姿勢が
五輪での勝利に集中せず、「二兎を追うものは一兎を得ず。」のことわざのごとく
ペナントレース興業をしながら、衆目を集めるスポーツ界のビッグイベントである
五輪で人気沸騰を狙ったことである。
日本のプロ野球が力を分散しても余りある力量が有ればそういう判断でも良かろう
が、シドニー・アテネでの両五輪等の国際大会での戦いぶりや、大リーグで戦力外
になった人材が日本で通用している例が多いこと(逆の例(日本→大リーグ)もま
れにあることや日本で通用しない選手もあることは承知しているが、指導者や生活
などの環境面や信念等の精神面の問題だろう)から、それだけの力は無いだろう。
シドニー五輪でプロ・アマ混合チームで挑み、メダル無しに終わり、「日本の力は
こんなものじゃない。」と言いながら、同様の失敗を、アテネは長嶋さんが急に倒
れたので仕方無い面もあるが監督経験の無い中畑氏に采配を任せ、しかも半ば観光
気分でオーストラリアを軽視していたし(結果は銅メダル)、結局は北京五輪でも
メダル無しであった。
シドニー五輪から8年たっても決勝に行けないのは、やはり「弱い」という結論
になってしまう。本当は優勝するほどの潜在能力があると言われても、せっかくの
実力を顕在化させる機会があって、しかも抜群の注目度である五輪という貴重な大
会で負けてしまうのは、勝利を目指す為の野球機構・組織を含めた総合力は「弱
い」とうことだ。
「もっと良い選手がいる。」「日本の選手層は厚い。」というなら、どうして、最
高の力量を持った選手と指導者を集めきれなかったのだろうか。本気で五輪での
優勝を目指していなかった、という結論につながるけれど、それでよろしいですか?
絶好の機会を逸してしまうことそのことが「力が無い」という証拠で、実力は
発揮し顕在化して良い結果が出て、そこで初めて高い価値が出て賞賛され、敗者は
栄誉としては得るものが無いという厳格かつ当然の事に過ぎない。
敗北を糧に、豊かな生活、別の進路に向かう、哲学的深遠さを得る、とか、組織を
改革し目的に向かって機能的仕組みに再構成するなど、別に得ることがあるなら、
それは素晴らしいことだが、現状を見る限り、何も得ることが無かったようですな。
どうしようもないな。
政治も文化も国民の程度に有ったものしか得られないという至言はあるが、レベ
ルの問題でなく、「国民の物わかりが良すぎて、頑迷で無知蒙昧な指導者しか得ら
れない。」「優しすぎて勝負弱い代表しか持てない。」ということなのかね。
とすると、自身のブログやテレビ出演における投稿や発言-「日本はいじめ国家に
なった」等-で燃料を提供してしまう。
私達はそんなに暇でないから、日本プロ野球の威信が傷つこうがそれは彼らの愚劣
な判断によるものだから、「勝手にすれば良い。(星野さんでも誰でも監督にし
て、WBCに臨めば良い)」と、どうでも良く思っているのだが、日本のイメージ
は貶めてくれるな、と言いたい。
この問題に関する諸悪の根元は、NPB(日本プロ野球機構)の五輪に挑む姿勢が
五輪での勝利に集中せず、「二兎を追うものは一兎を得ず。」のことわざのごとく
ペナントレース興業をしながら、衆目を集めるスポーツ界のビッグイベントである
五輪で人気沸騰を狙ったことである。
日本のプロ野球が力を分散しても余りある力量が有ればそういう判断でも良かろう
が、シドニー・アテネでの両五輪等の国際大会での戦いぶりや、大リーグで戦力外
になった人材が日本で通用している例が多いこと(逆の例(日本→大リーグ)もま
れにあることや日本で通用しない選手もあることは承知しているが、指導者や生活
などの環境面や信念等の精神面の問題だろう)から、それだけの力は無いだろう。
シドニー五輪でプロ・アマ混合チームで挑み、メダル無しに終わり、「日本の力は
こんなものじゃない。」と言いながら、同様の失敗を、アテネは長嶋さんが急に倒
れたので仕方無い面もあるが監督経験の無い中畑氏に采配を任せ、しかも半ば観光
気分でオーストラリアを軽視していたし(結果は銅メダル)、結局は北京五輪でも
メダル無しであった。
シドニー五輪から8年たっても決勝に行けないのは、やはり「弱い」という結論
になってしまう。本当は優勝するほどの潜在能力があると言われても、せっかくの
実力を顕在化させる機会があって、しかも抜群の注目度である五輪という貴重な大
会で負けてしまうのは、勝利を目指す為の野球機構・組織を含めた総合力は「弱
い」とうことだ。
「もっと良い選手がいる。」「日本の選手層は厚い。」というなら、どうして、最
高の力量を持った選手と指導者を集めきれなかったのだろうか。本気で五輪での
優勝を目指していなかった、という結論につながるけれど、それでよろしいですか?
絶好の機会を逸してしまうことそのことが「力が無い」という証拠で、実力は
発揮し顕在化して良い結果が出て、そこで初めて高い価値が出て賞賛され、敗者は
栄誉としては得るものが無いという厳格かつ当然の事に過ぎない。
敗北を糧に、豊かな生活、別の進路に向かう、哲学的深遠さを得る、とか、組織を
改革し目的に向かって機能的仕組みに再構成するなど、別に得ることがあるなら、
それは素晴らしいことだが、現状を見る限り、何も得ることが無かったようですな。
どうしようもないな。
政治も文化も国民の程度に有ったものしか得られないという至言はあるが、レベ
ルの問題でなく、「国民の物わかりが良すぎて、頑迷で無知蒙昧な指導者しか得ら
れない。」「優しすぎて勝負弱い代表しか持てない。」ということなのかね。