ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

最近の社会問題

2012年07月16日 06時25分23秒 | 社会問題
以下の原則を定め、社会根幹に築けば良い。

○「人権」は基本的なものを除き無条件に認められるものでなく、国、団体、個人単位でも相互に尊重しその保護を実行できるものの間でのみ確立・保証されること。社会に出る迄の教育期間においては、その努力ができないものについては人権を制限する

○いじめというものはなくならない。学校だけでなく国内や国際社会で無くなっていますか?無くなりそうな傾向ですか?そんなことないですよね。いじめが対象に不満や怒りをぶつける手段で有れば、他の方法を選択し理性的に解決できることを模索すべきだし、生理的嫌悪からの行為ならどうしようもない。いじめ対象者の転校など環境を変えてあること。しかし、どこへ行ってもいじめられるなら残念ながら対象者に問題あり、または社会適応性に欠陥ありとしか思えない。その場合でも少しでも改善できる教育機関・施設が必要。

○現在、周囲の社会・根幹が狂っているなら、そろそろ、自分達が理想とする社会を築くには、宗教とまでは言わないが、どのような信条・規定が必要なのか一度総整理して構築し直して見ればどうか。まあ、その場合でも、「神に極めて近い」才能を持った人間(宗教性を持つ政治的リーダーか、またはそれ以上のスケールを持つ人物・団体)でも出現しない限り、心の底から新たに作った信条・規定に従おうという動きが大衆から沸き上がることはないだろうと思う。
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世界観2

2012年07月14日 16時43分11秒 | 妄想
今回も「妄想」のジャンルで。
もしかしたら、文章が稚拙過ぎて後日書き直すかも。

私は「生まれ代わり」は信じていない。人生はやはり一度きりである。
かつて読んだ本には、過去世の記憶を持つ人達の話を元に調査したら、文献等記録がない事まで知っていたとか、現地へ確認に行った研究者が証言が事実であることがわかったとか書いてあった。

しかし、それは臓器移植時にも言われる記憶保存・伝送が何らかのかたちで行われたのかもしれない。

それにもまして、心情的には、過去の記憶がない為、それを元に因果応報を実感できないということが何よりもそう思う理由である。

過去世であんなことをしたから今はひどい目にあっているとか、こんなことをしたので良い思いをしているということが実感できない。例え「転生」というものがあったにせよ、過去世の記憶が無かったり、次第に全て消失してしまうのでは、反省・後悔または歓喜や溜飲を下げることもできない。

もちろん、生物的因縁を全て断ち切って、別の「役柄」に行くほうが、本当は良いと思うが、多少は客観的視点でもいいので過去世の記憶があると良いと思う。

魂の転生というものはなく、例えば、大きな球の表面に数多くの窓が有り、中心からそれぞれの窓から顔を出すようなものかもしれぬ。球の内部が「阿頼耶識」、窓から顔を出し見た景色や印象が「熏習」。
球は均等に大きくなり窓も大きくなるか、それとも歪み縮んで建付悪く窓も開かなくなるのか知らないけど。


過去・現在・未来をいわゆる「現実世界」で同時に生きている人達は、その意識・行為が呪い・妬み・嫌がらせであるならば、永遠に呪縛から逃れられないということ。そんな輩を助けてやろうと思うことはなんと自分を過信した思い上がった発想であるとも言える。人間を甘く見ている。いわゆる「現実世界」は過去・現在・未来は相互に連関しているとはいえ、区別して考え多少なりとも進歩すべきではなかろうか。進歩したくない、むしろ退歩したい、「ずっとうずくまっていたい」(松任谷由美:「最後の春休み」の歌詞抜粋)場合もあるのでなんとも言えませんけど。
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ファンタジー

2012年07月14日 16時21分07秒 | スポーツ-格闘技についての感想
力道山や大山倍達、梶原&真樹兄弟の産みだしたファンタジーは楽しかった。
ファンタジーVSファンターの激突も楽しかった。
意地と尊厳のぶつかり合いだけは本物と信じてる。

ただし、大変な不名誉や被害もあった。
木村政彦氏のように辛酸をなめることのないよう注意すべきだ。
そして、架空の歴史(この場合は競技)が作られて、名誉や尊厳を今後も毀損されないように。


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「わかりつつ助けられるか」について

2012年07月14日 15時39分34秒 | 社会問題
休暇に入ったので、ようやく久々に書き込みできる。
表題に関しては「やめておけ。」と言うしかない。
たとえいくばくかの犠牲を伴うことになったにしても。

有名な掲示板に、実に詳細にその理由を解説した文章があったので転記します。
別に○○と伏せる必要もないけどさ(笑)。


>○○人の情緒の最も根本的な概念に、「恨(ハン)」なるものが存在します。
>この「恨」とは、日本で言う「恨み」とは違う概念のようです。
>それではこの「恨」とは、一体何でしょうか?

>「恨」とは、「○○民族の被害者としての歴史と、民族の苦難に対する嘆き
>及び自己憐憫による陶酔感を、時空を超えて民族間で共有する事によって醸
>成される、粘着質の情緒」の事です。
>この「恨」を共有する○○人にとって、自分の痛みと他人の痛みは同一であり、
>また現在の自分の痛みと過去の先人達の痛みは同一なのです。

>ただしこの「恨」はあくまで「被害者としての歴史」を前提として成り立つ
>ものであるため、○○人の加害者としての歴史は完全に無かった事になっています。
>また、彼らは自分達の加害者面に触れられると大抵激昂しますが、これがいわゆる
>「火病」状態です(笑)。

>「恨」は時間とともに蓄積していくものであり、隙あれば解消される事が期待され
>ますが、その解消の方法とはつまり「復讐」です。
>また、「恨」は○○民族の被害者面だけを蓄積するため、彼らの民族的記憶に「恩」
>が残る事はありません。そのため、もし宗主国が弱体化するような事があれば、○○
>人は旧宗主国の人間に対して残虐非道の限りを尽くし、「恨」の解消に努める事になります。

>そして日本にとって非常に不幸な事に、分離不安が非常に強い彼らには「嫌いなもの
>からは遠ざかるべき」という考えが全く理解できません。
>○○人は、嫌いなものにでも躊躇無くすり寄ってきたり、もしくは徹底的に粘着して
>その価値を貶める事に全力を尽くしますが、そこに違和感を感じる事は一切ありません。
>「嫌いな相手には執着して不幸を願い、『恨』の解消の機会を伺う」これが○○人の
>基本的なメンタリティです。
>そのため、執着を嫌う傾向の強い日本人から見れば実に異様に見える行動も、彼らに
>とっては普通の事なのです。

>また、○○人は「情」を非常に重要視する民族だと言われますが、これは彼らが自他を
>区別できない、もしくは区別されることを嫌うという特質によるものです。
>このような○○人の強い「情」の様子から、彼らがあたかも他人の痛みが良く理解できるよう
>に見える場合があります。しかし、彼らは決して他人の考えや立場を理解して「情」を発揮し
>ているのではなく、単に感情的に相手と同一化しているだけに過ぎません。

だから、完全に○○と絶縁し、更にそのことを明言し、かつ長期において行動においても決意に矛盾ないことを絶えず証明・注視される人で無ければ、助けてはなりません。
例え日本人であっても、同様です。

これに『ウリ・ナム文化』を考慮すると更にややこしいことになりますが、上記の分析のほうが説得力があると思われます。多少、解説文を訂正する必要があるでしょうが。。
『ウリ・ナム文化』は日本にも当てはまることだしね。
私の言ってきた「徹底内輪主義」「ド・カルト」。。。
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