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ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

NHK日韓討論番組、崔洋一監督が日本人参加者に「歴史を語る資格はない!」と討論会にあるまじき発言

2010年08月15日 18時58分26秒 | 社会問題
前回の記事の続きを書こうとした矢先に、タイトルに記した知らせがあった。
これは書かずにいられない。
捏造・偏向・陳腐低劣化が止まらない地上波をすっかり見捨てていたので、当然NHKの
視聴もしておらず、ネットで番組表で一瞥しても「どうせNHKのことだから。。。(討論に参加する人の選別段階から都合悪い人達を除外した偏向・捏造たっぷりの韓国マンセー番組だろう)」と最初から関心無かったのだが、崔洋一監督が火病発言をしたらしい。

番組を見ていないので、この発言に関しては感想は書けない。

そもそも日本と南北朝鮮(北朝鮮・韓国)と共通認識を持つことは不可能だ。
討論が平行線を辿るのは仕方ない。客観的事実を積み上げるなら積み上げてみれば良い。
一つの討論番組では到底時間が不足するなら、もっと大規模にやればよい。それが大きいテーマで討論することを勧めた者の責任である。
実は日本・韓国交流の掲示板でもう既に幾つかのテーマ別の討論を長年見てしまったから、本当の意味で友好は無いと私は思っている。

できれば国交を断絶して欲しいが、それが無理ならば、最低限のおつきあい程度にしておくべきだ。
文化交流もなくして欲しい。それで盗作・盗用があったら相互にすぐに訴えて欲しい。
団塊世代が居なくなればきっと緊迫した事態になると思っている。
本当なら、親日の韓国人が増えてきているのでなんとか結果的に円満な日韓関係に終わる望みも以前は持っていたのだが、何らかの隠れた意図があるのかないのか知らないけれども日本の民主党の素人外交や捏造・偏向報道を陰で画策する反日人(日本人とそうでない人も)のせいで事態は逆に悪化して、きっとより深刻な事態になると絶望している。

個人的には小学生の時に在日朝鮮人の友人もいて世話になったこともあるし恩師を囲んでささやかな同窓会もしたこともある。韓国に旅行して不愉快な目にもあったが、聡明な女性と話したりなかなかできない経験もした。今は二度と行こうとは思わないけれど。15年以上前
は韓国に悪感情はなかったし、今でも理性的に話し合える人はいると思う。そして、アカスリやマッサージのために日本に来ているやや年配の女性に対して憎かろうはずがない。
日本が好きだった韓国人の留学生も同様である。

それは重々承知の上で、それでも断交状態でしか日本の幸福は無いと信ずるようになった。
もううんざりなんだ。もう無駄な努力はやめにしないか。
"個人"と"民族の塊"では行動が違う。民族の塊、民族運動体としての朝鮮は南北共に日本の害にしかならない。

(以下、追記)
次第に今回のNHK討論番組の内幕が暴露されてきている。
録画報送だったのは先刻ご承知のとおりだったが、日本の保守的立場に立つ人を直前で除外したり、実際はもっと火病っていた崔洋一氏の場面を編集でカットしていたり、そもそも録画で討論番組もやるのも問題だけれども、討論番組の人選段階で偏向した選別をして、しかも自分達の判断で勝手に編集して放送かよ。どこまで卑怯で他人を愚弄しているんだろうね。糞NHKは。討論番組を企画する資格ないよ。
歌番組と本格ドラマ、天気予報、時事ニュース、バラエティに専念していろ。
このような手法で偏向・捏造した番組を作ること自体が、結局は騒乱の種を撒き発芽させていることに気づかないのだろうか。気がつかないのか、それとも、日本人を洗脳できると高をくくっているのだろう。そして、ますます彼らテレビ番組製作に関わる者達の信用を落としていくだけなのである。やはり戦後の反省を真っ先にしなければならないのは、大本営が無くなっても新たな大本営を設けて捏造・偏向報道を続けてしまっている彼らだろう。

ネット掲示板では史実・史料に基づいた議論が既に今まで多々なされてきているのに、時間や空間(史料の準備など)の制約があるとはいえ、ネットと同様な意見が多数出てしかるべきである。それがほとんど出てこないというのは、余りにも不自然であり、議論に参加する人間をあらかじめ選別しているとしか思えない。
ネット上の掲示板で繰り広げられた各テーマ別議論中の意見を、読み上げでもドラマ仕立てでも良いからそのまま放送すればよいではないか。
議論に参加する人の偏った選別、意図的な編集をして、なお、崔洋一監督の醜態をさらして問題になってしまう。韓国側に肩入れしようとして、不公平・偏向・虚偽捏造が顕わになってしまう。深刻である。

私は鬼畜・人・守銭奴・低評価、その他日本鬼子(これは中共・漢民族が言っている呼び名だが)など何でも良いから言わせてもらうよ。
在日朝鮮人や在日韓国人は素晴らしい祖国に帰ったほうが良いよ。議論も成り立たず、何でそんなに憎むべき日本に居るんだよ。生活基盤が無い?日本語しか話せない?母国語を勉強して兵役にもついて必死で祖国に認められるべきだ。冷酷無比の日本に居座っている神経に全く理解できないよ。日本や日本人を憎み続けいつまでも賠償だ謝罪だとうんざりだ。そんな奴らと共生するのは怖ぇじゃないかよ!
しかも主に民主党などの政党(自民や公明も)や各種マスコミに食い込んで偏向・捏造にいそしみ、文化やスポーツでは後だしの起源主張、買収工作、無用の軋轢と後味の悪い思いばかりさせられている。さっさと消えてほしいし関わりあいたくない。
この程度は言わせてくれても良いだろう。これでも怒りを抑えているのだから。

あと、朝鮮民族は劣等だと言っている人。これも理解できないな。個人的にバイタリティも知性もあり優秀な朝鮮人は多い。日本人には理解できない思考経路や感情発露もあろうが、それを「劣等」と判断して嘲笑しているのは危険で愚かな考えだ。
実際、それらによって途轍もない損をしている日本人が多いではないか。
それならば、軽佻浮薄で能天気な日本人のほうが遥かに「劣等」だよ。
(ここまで 2010/8/18 校正 2010/08/22)
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日本停滞中

2010年08月08日 11時37分23秒 | 社会問題
日本サッカー協会会長がまさかの犬飼落選で小倉氏のFIFA役員兼任会長就任になったり、日本相撲協会の改革が中途半端になったり、日本スポーツ界も混沌としている。

常に思うことがある。以下。
1.現実を直視し、問題解決に至るプロセスが高い実現可能性があるか分析・吟味されているか
2.「相撲は心・技・体の最高を目指す国技」とか「スターシステムが常に有効に働き、そこそこの成果をあげてサポーターを欺きながらも自分達の利益を欲しいままにできる」という幻想や願望にとらわれていないか
3.学閥や企業閥・協働閥によるセクショナリズムにより、程度の軽重こそあれカルト的思想や職人思想にいつのまにかとらわれ、検閲や統制もなく、その気になればリアルタイムの情報を入手し対策が打てるのに妄想・願望と現実の区別や折り合いがつけられなくなっていないか

日本大相撲だが本当にヤクザと切れるのか。
野球賭博問題は、今まで良いタニマチであったヤクザが、いつしか力士をカモにし始めて利益を得ようとしたことが発端だろう。マスコミや角界関係者だって賭博行為がかなり昔からあったことは先刻承知済だったのではなかろうか。
解雇された力士や親方も釈然としないだろう。
しかも、最近のヤクザは一般企業を隠れ蓑にしてシノギを得ている人の方が高い地位を得ているので区別をつけるのも難しいだろう。

高校野球でも同様なことを思うのだが、相撲に精進するだけで、技と体は鍛えられるかもしれないが、「心」や「品格」も同時に鍛えられて育つものだろうか。私には無責任で脳天気で荒唐無稽な理解不能な考え方にしか見えない。
せいぜい勝負の世界で鍛えられるのはそれにふさわしい精神力で、それらは必ずしも親切心や気品を育てず、一般社会においては醜い心に分類されるものもあると思う。

本気で「心・技・体」が鍛えられると思っているとしたら、狂人か偽善者か、妄想を理想と誤認している者だろう。

(ここまで 2010/08/08)

現状に至るまでの経緯を直視せず、最も目に余る行為をした者だけをとかげの尻尾切り、スケープゴートにして改革・解決したように装っても、新たな問題勃発につながるだけだろう。

日本プロサッカー協会(JFA)は犬飼氏を本人が再選に意欲があったらしいが会長職から放り出した。不愉快な言動を続け不適格と私は考えていたので屑野郎の一人がいなくなって良かったが、利権を有しながら名誉会長職に居座っている川渕が自分の地位を延長するために都合が良いという見方もあり、運営の透明化・公正化は困難を極めそうである。

管轄の文部科学省から協会の運営に何らかの指導が入ったとも聞く。
私でもかなり異常と思っていたから、周囲や行政の関係者ならより一層同様な見解であろう。
日本相撲協会とJFAに対して、利権獲得でなく純粋に指導・監査をしてもらいたいものだ(実はその点あまり期待していない。私の原則「富と名誉集まる所に魑魅魍魎」だから)。行政の指導を受けなくてはならないのは自浄能力がなく本当は恥であるが、日本には何らかの政治的エンジンが欠損しているので仕方ない。

(ここまで 2010/08/09)

以下は次のことを書き続ける予定。

日本は共同体=協働体、そこだけに通用する悪く言えばカルト的、良く言えば職人的・求道的な信条が団体を次第に支配して、その空気に逆らう者を敵視(横並び思想等)するセクショナリズムが育ち、社会・団体を構成する人を軽視していく。そして心身ともに耐え切れず崩壊する。

(以下続き。老化や薬剤粉塵などで5~6年前から極端に目が弱くなったのでご容赦を。)
日本の共同体・連帯は血縁や地縁もあろうが、共に行動する(働くことも含む)ことによって醸成される。協働することが最も人と人を結びつける。もちろん、学閥など参加資格や適正を問われるので希望者は誰でも歓迎ではない。

日本の長所でもあり弱点でもあるが、日本人は職人や求道者を好む。日本の技術やサービスが一部の人達に変態とも言われる程高度化・機能化されていることでおわかりと思う。行政のサービスが例外的に悪いのは進むベクトルが異なるからである。立法の怠慢・不備を補ったり、責任の所在が明確でなく責任の取り方が有限的でないからである。

(せっかく書いた文章が消えたので萎えてしまった。ここまで2010/08/12)
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