欧米視点だとジャニー喜多川氏の内面真相はこう断定されるだろう。
日本的には、欲望と愛情の「併存」と結論づけしたいだろうが、欧米視点のほうが人間の本質に迫っていると私は思う。
欧米人はやはり戒律と信仰で鍛えられて、外面はともかく内心は「嘘」をつけないのだ。政治では技術・計略として「嘘」を使うことはあるが、信仰面で「嘘」はつけないのだ。日本人ではそんなことはできないのか、と言うかもしれんが、仏教でも、煩悩を除くために我執の正体を突き止めるときに、「他人の為に奉仕」する人も、結局は「自分の満足」の為働くと自己を見つめることもできるのだ。神「(天)主」との綱・補助支持線がキリスト教などにはあるが、仏教徒も同様・類似な思考で「自分の信仰は本物なのか」と検証する思考で、その実は「自分に都合良いこと」を求めていただけときづくことができる。(となると日本人に真の仏教徒は少ないのか。「真の」定義が不明だが、煩悩を取り除く思考は不足しているのだろう。「天台本覚論」とかの鎌倉仏教のせいかもしれん。)
だから、欧米の一般視点だと、そんなにジャニー喜多川がそんなに芸能に情熱があり、男児に愛情深い男(?)なら、そもそもなんでセックスまで要求するんだ。それに強く拒絶されたらすぐに「お気に」から「お嫌に」するそんな軽薄な態度。本当はヤリたい欲望で頭がいっぱいなんだろう。ヤリたい欲望から派生する優しさや芸能への情熱であると断定されるに決まっとる。
平野紫耀さん達に語った「世界進出の夢」も所詮はヤリたいが為の「口説き文句」や女の子にいいところを見せたいという男性の見栄と一緒なんだろう、ということに。但し、実際の行動として本場舞台の見学や実際の芸能活動やレッスンにつきっきりだったのは偉いのだが、肝心の根源衝動が。。。
神様も、仏様も、何でもかんでも信じる多数の日本人には無理かもしれないが、自分の信仰が本物だろうか徹底的に試さないと駄目なのだ。「心は簡単に嘘をつく」のだから。
例えば、聖書ならそこに書いてある全てを信じられますか、とか、コーランなら書いてあることを全て信じられますか。それ以外の迷信、後付の解説は可能な限り排除していますか。まずはその思考から矛盾する思いを「嘘」「見せかけ」と省いていくのだ。
小室博士の著作で、親が亡くなったとき、「(親が天国とやらに行っても)いつまでも私達を見守ってください」と祈る気持ちと「成仏してください」と願う気持ちが併存する日本人の話をしていたが、確かに矛盾するよな、と。
何の心配なく成仏するには現世の執着、つまり子供への未練、愛情を捨てていかなければならないから。論理的、合理的でないにしてもひどすぎる。