不良高齢者について論じよう。
嵐山光三郎が「不良中年は楽しい」を書いたのは五十五歳の時だ。勿論、氏は今だ健在であるから不良中年は卒業して不良高齢者道を進んでいるに違いない。著書の後書きに八十七歳まで生きたら不良老人となった肖像を撮影してほしいと書いている。立派である。尊敬に値する。不良の極みである。
翻って、自分を顧みれば不良の風上にも置けない。学生時代も社会人となってからも猛烈企業戦士となってからも、実に中途半端な不良を演じてきた。不良の真似をするのだが、すぐに「いい子ちゃん」の嫌らしい側面がのぞいてしまうのである。忸怩たるものがある。
嵐山は巻頭でこう記している。
「中学生の頃はみんな不良だった。その頃に戻ればいい。生活の不安はある。住宅ローンの返済も残ってる。子の学費もかかる。だけど、そんな事にしばられてどうする。残りの人生を考えてみよ。八十まで生きるとしてもすぐにボケがやってくるかも知れない。」
中略 「お金はあるにこしたことはないけど、お金がないなりに不良オヤジにはなれるのだ。お金のあるやつのほうが、むしろ不良になりきれない。お金とか社会的地位にこだわるから不良になれないのだ。」
中略 「不良オヤジになるにはどうしたらいいか。まず、先人の不良オヤジに学べばいい。マルクスもエンゲルスも不良だった。ドストエフスキーもアインシュタインも不良だった。荷風も谷崎潤一郎も川端康成も不良だった。名をなした男たちはみんな不良だった。それも、ふてぶてしいほどの確信犯である。」
ふぅむ…なるほど。
判った!中高年の不良とは、人生を楽しむ術を知っていて、かつ実践している。しかも男の拘りを以て楽しまなくちゃいけないんだ。
では、不良高齢者になるにはどうしたらいいか。
第一に、放浪癖がなければならない。バッグ一つにウィスキーケトルを腰ポケットに差しこんで、各駅停車の鈍行(新幹線だなんてとんでもない)にふらりと乗って…出来ればアジアを旅するのが一番不良らしいのだが…ま、北海道でもいいか。旅行費用高くつきそうだなぁ。とりあえず伊豆急で下田まで…夢が無いなぁ。
第二に、食通でなければならない。フランス料理だとかイタリアンだとかのバタ臭いんじゃなくて、出汁の効いた厚焼卵焼きと板ワサを肴に熱燗の銚子を二本。冷奴を追加注文して銚子もあと一本。仕上げに手打ちのせいろで締める。鰻屋の酒もいいなぁ。肝焼きを肴に…この場合、酒は剣菱じゃなくちゃ。鰻重じゃなくて蒲焼でもう一本。でもさ、伊東には旨い鰻屋が・・・市内の「まとい」なら納得だけどねぇ。
Jazzを聴きながら一杯の場合は、マッカラム12年かオーヘントッシャン12年、グレンフィデック12年もいいね。モルトの熟成がしっかりしてて、かつお手頃価格が前提だから、いずれも12年ものになっちゃうのよ。
孤高が絵になる趣味も不良の条件だろうなぁ。団体とか仲間が必要な趣味じゃなくてね。例えば…防波堤で一人竿をたれながらワンショットを楽しむおやじの後ろ姿なんぞはいいね。新録に燃える沢で一人もくもくとフライをふる釣り人なら尚カッコいい。アンプに拘りスピーカーにウンチクをいいMALのLEFT ALONE に涙するなんてのもきまってる。バラとかは…不良のイメージからは遠いなぁ。
開口健は憧れの不良だね。アマゾンを旅し、ウィスキーを愛し、食通で、冷たい雨に打たれながら一人フライを振り続ける孤高の後ろ姿…絵になるなぁ。あの人は中高年の不良の鑑だったよ。
色気を感じる男も不良の条件かも…渋い男の色気ね。この場合、あっちの役にはたたなくてもいいのね。高倉健とはいかなくても三国連太郎くらいは…駄目か。
死様も不良の条件だそうだ。「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」カッコイイじゃないか。「人間五十年 下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり」信長の死様もいいね。病院のベッドの上で点滴とオムツと酸素マスクをつけた死様なんて最悪だよ。
なんにしても、中高年が不良になるのも骨が折れそうだ。
んなこと考えながら、今夜もダニー・ハサウェイを聴きながらオーヘントッシャンをチビチビと。
さぁて…寝るか。