団塊シニアのひとりごと 定年後に思う会社という組織 2018/05/27 (gooブログ)~私が読者登録しているブログ~
内地の人のブログ。
1948年生まれの宮城県の男性。
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定年後に思う会社という組織
……企業の目標は営利の追求、予算達成という目標に向かって厳しさに耐え達成したときの喜びは格別のものがある、だからサラリーマンとして自己の職業に興味を見いだせないことほど悲劇はない。
またサラリーマンとして悲哀や苦悩や組織の矛盾を感じるのは、上司や同僚が社内の地位と能力が比例してないときである、私自身40年間のサラリーマン生活をふりかえってみると苦悩や矛盾を感じながらも勤めあげたのは経験から乗り切る処世術が身についたこと、そしてサラリーマンは本来生活のために働くのだという意識が根底にあったからにほかならない。
(団塊シニアのひとりごと 定年後に思う会社という組織 2018/05/27から抜粋)
私の場合は、地方公務員(北海道)なので営利目的ではない。
各都道府県に存在しているし、必要不可欠な組織。
道民、市民が必要があって、来訪する。
私が、対応し、処理して、上司の決裁をもらって終了としいう形式。
達成感がそこそこあるが、次の仕事が存在。
達成感に浸っている時間がない。
職員の人員より圧倒的に仕事量が多すぎる。
人員が法律、条令で決定しているので、多忙であっても増員にならない。
目標というか、ノルマも存在する。
来訪者の用件は、多種多様で同じものはない。
間違った処理は、許容されない。
法律、規則に遵守しつつ、道民、市民が納得、一般社会が容認する程度の応用範囲で対応処理する技術、方法で迅速な処理を求められる。
正確に、迅速に処理して、来訪者に感謝されて、一瞬の喜びを感じる。
達成感というか、満足感。
これで34年勤務した。
私は、上司や同僚が、地位(ポスト)と能力が比例してないとき、悲哀や苦悩や組織の矛盾を感じることはなかった。
上昇志向がないからね。
1 公務員は、係長試験、課長試験などすべて試験。
2 必ず受験する、拒否は困難。
そこが民間の場合と異なる。
上昇志向がある人は、頑張って勉強する。
実力があろうが、なかろうが、試験に受かればオッケー。
実力があれば、ベスト。
実力がなくても、上昇志向のある人は、乗り越える。
上昇志向がない場合は、受験しても正解を記載しない。
理由は、面倒なことが係長、課長には多いから、なりたがらない。
上昇志向がないにもかかわらず、試験に受かってしまう人。
実力があれば、問題は発生しない。
次の場合は、マズイ。
上昇志向がないにもかかわらず、試験に受かってしまう人で、実力がないのに、係長、課長になった場合は、100%問題は発生する。
乗り越えるパワーがない。
仕事量の多さで、うつ病、ノイローゼ。
アルコール依存症。
失踪する。
自殺も…
法律、規則を誤って運用、法的な問題が発生する。
時には、マスメディアで糾弾される。
最悪、訴訟に発展する。
諭旨免職、懲戒免職の場合も…
自己の能力の認識不足。
自分は660ccなのか、1500ccなのか、2000ccなのか、知らないとならない。
内部的な問題点として、他の係との協力関係、対立関係の処理能力の有無。
これがないと課、係が機能しない。
自分の課、係の運用、稼働、部下の信頼がなく疎外される場合も…
みんな同僚、部下が親切、丁寧とは限らない。
仕事量が多いからと言って、援助しない。
理由は、簡単で自分の仕事量も多いのに、他人、上司の分までカバーしない。
見かねて、補助する場合もある、その理由は、急に休まれると困るから。
親切心からの行動ではない、自分のため。
人間性の劣る部下になると、係長、課長の足を引っ張る活動をする人も。
係長、課長が潰れるのを見るのが好きなタイプもいる。
私は、自分に波が来ないように静観、自分の仕事優先。
私は、干渉しない、干渉されるのも嫌い。
民間会社の場合は、ポストについて、情実な面が多くて不透明さがあり、人事、ポストの不公平感から悲哀、苦悩、矛盾がありそう。
地位と能力が比例することは、人生にはないと思う。
運、時代背景、学閥、その他の原因も…
その点が人生の面白さ。
仮に地位と能力が比例していたら、人生に面白みが欠けて、文学、映画も困るね。