ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

「敗戦」から72回目の8/15

2017年08月15日 20時41分09秒 | Weblog
 カレンダーには「終戦記念日」と印刷されている今日8/15です。

 玉音放送を以て太平洋戦争の終結が公式に宣言されましたが、これはあくまで「国家としての戦闘行為の終結」であり、前線各地に残された人々にとっては「終結」を知らされるまでのタイムラグがありました。また、玉音放送を聞いた上で軍人として矜持で戦闘を継続した人々もいました。

 近年、戦争の悲惨さを隠す傾向が顕著になり、教科書ですらそんな内容のものが検定を通過しています。ましてや美化なんて論外です。どんなに美化しようが、そこに国家の都合で、個人の人生の幸福を追求する自由と権利は理不尽に捻じ曲げられました。命を奪われました。
 (大日本帝国憲法下では、そんな自由と権利は保障されてはいなかったからという法的論争はお断りします。念のため。)

 かといって、戦争=悪という二元論的な思考、硬直した見方もお断わりです。戦争は好ましざらかる社会現象ですが、むしろ社会的な制度・心理の問題として、人々の思考が同調圧力による集団化によって、白も黒、黒も白と当たり前のように反応するように仕向けられた国家の仕組みにもっと学ぶべきです。学ぶことによって、今の政治・経済の状況を見る力がつくはずです。
 諸報道で明らかにされていますが、戦前の国民の思想統制に大きな力を発揮した特高警察のありようを尊ぶ警察出身官僚が、7/11施行の「共謀罪」を成立させるために政権政治家の背後でうごめいていた事実にこそ注目すべきでしょう。

 さて、各自治体の郷土史等には各戦争で「戦死」された方々が、いつ、どこでが記されています。8/15以降の「戦病死」扱いになっている方々に、軍人として、人間としてどんな「生きるための物語」があったのか、生きようとしていたのか思いを馳せることが大事です。
 「この年」になって初めて戦争を語り始めた方々が増えています。戦争の悲惨さと同じくらい、自分たちがどのように当時の社会を見ていたのか、感じていたのかも語っていただければ幸いです。そんな見方を広めていくことが、戦争を起こしかねない国家の暴走を止める力になると信じています。

 その意味で、私は「終戦記念日」という言葉には抵抗感をいつも感じます。
 国家として「戦争の終結」を宣言しているのは「参りました」「負けました」の意思表示であり、各部隊、各人、民間人にとってイコール太平洋戦争の「終結」ではありません。先述した通りです。

 だから、私のカレンダーには「終戦記念日」は「敗戦記念日」と、いつも書き直しておくのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする