ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

時代の峠

2015年07月16日 23時03分56秒 | Weblog
 やっと梅雨明け宣言の出された奄美地方の一昨日の空。

 


 形式的なこととはいえ、宣言が出されることで気分的には楽になります。

 でも、これって非常に人為的・作為的な行為で、自然界の中に「梅雨明け」という線引きをすること自体がどうかとも思います。

 
 人間社会のご都合で、自然・社会のさまざまな事象に線引きをすることで物事を動かそうとする発想というのは、+面もあれば-面もあります。

 そもそも数学にしても社会にしても理科にしても、仮の数値(基準)をもとにしてつくりあげた虚構の世界です。でも、その虚構を手掛かりにして生活しているのも事実です。


 まあ、梅雨明けだけに、気持ちよく受け入れて、理屈をこねくり回した話をするのはばかげているかもしれません。
 


 ただ、こんなばかげた話にこだわってしまうのには訳がありまして・・・
 そう、現在、世論無視の議論が進んでいる安保法案です。

 安保法案の是非はさておき、議論の進め方があまりに強引すぎ。独裁です。
 この間、自民党議員の発言が「おごり」とか批判されていますが、仮にこうした発言がなくても、国会運営自体に数の力を頼んだ強権的な運営が「おごり」とうつるのは当然です。

 仮に、共産党が政権党になり、共産党出身の総理大臣が「国民の未来のために」と一方的に「日米安保を破棄する」「国民の理解を求められるように丁寧な説明をする」なんてことを言ってもいいのかと言えば、そうではないでしょう。
 世間一般の相対的な位置で言えば、私は「左」側ですが、それはそれで「おかしい」と言います。


 民主主義の手段である「選挙」という虚構の方法で、政権に復帰した自民党に国民生活の全てが託されていると考えるのは、勘違いも甚だしいと思います。投票率しかり、前回選挙時の投票行動の判断の基準の問題しかりです。
 ・・・「そんなことを言っていたら政治はできない」という意見はありましょう。だからこそ、その時々の国民世論の動向には謙虚であってほしいと願います。
 
 まずはそこからです。

 

 奄美の海はとっくに真夏になっていますが、水平線がすぱっと切れたように見えないもやもやさが、私の心の中で国政の動向と響きあってしまいます。
 




 
 
コメント
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