なんかつくってりゃしあわせ

なんかつくってりゃしあわせ。。。

功徳と福徳

2013-03-08 20:19:10 | 雑感
松浦弥太郎さんの本を読んでいてとても共感した部分がある

内容の細かいところは実際に「あたらしいあたりまえ」を読んでいただくとしてだ



福徳=実際に働いた事で得る収入

そして

功徳=見返りを期待しないで施したことによって、廻り廻ってくる「徳(得)」の事


松浦さんの本では、一生懸命働いて成功して福徳が多い人は、どこかでバランスをとらないとイケナいという。

もらうばっかりでは、いくら自分が正攻法で得たものであってもどこかで均衡が崩れていくものだと


「月と太陽」があり、「闇と光」がある
その他にも正反対のものがたくさんあるけど、どちらが片方が無い事によってもう片方も消滅するという現象である

どちらもあって、初めてバランスがとれた良い状態が創りだせるとかいてある


だから、成功して報酬がたくさんある人はどこかで“わざと”功徳になるべきことをしなくてはならないものなのだそうだ




私はこの章を読んでいた時に
わかるなーと思った

なんだか、取って付けた話だけど
どんなに小さい事でも、まるきり悪事を働かないで一生過ごせる人っていないと思う
人間なんだから失敗があって当然
しかしその失敗をどうするかが人間性の分岐点であって
やっちゃったもんはしょうがなく、やっちゃったからといって、思いっきり反省したとしても、もう一回でも二回でも或はそれ以上でも
やっちまうのが俗人の俗人たるゆえんであり

実際に私なんかも数々の悪事は働いたし、本当にチョベリバな人間で、悔いても悔いても「罪多き人生」は綺麗にはならない

だから、
だから、っていうわけでもないけど

いや、だからなんだけど

どんなに馬鹿みたいな小さな事でも思い付く限り、出来得る限り、日々「善行」を積み上げようと決心しているわけである

や、あれよ
そんな「善行」っていったってたいしたことないのよ


例えば道にゴミが落ちてて近くにゴミ箱があったら入れといてあげるとか
エレベーター載ろうとしているご年配の方がいたら開けて待っていて差し上げるとかさ
電車の席はばしばし代わってあげちゃうとかさ
重いドアを開けて入る時、後ろからベビーカー連れのお母さんがいたら手伝ってあげるとか


そのレベルよ。

でもそんなでも「善行」には代わりがないわけで
後ろめたさからしている「善行」ではあるけど
まぁ、そのうち積んで積んで積んでいるうちにはある程度の高さまでいくのでは無いかいなと思う訳さ

積んで積んで積んでいるうちにはまたどこかで愚かしい行いをしてだね、実際に積んだ「功徳」を少し崩してしまう、ってこともあるだろうけど
私としてはだね、まぁ、そんなのを一生続けていけたらいいな、と。
まぁ少しばかりは社会に恩返し出来るのではないかな、と。


そんな感じの事を考えつつ、また明日もそうやって生きて行こうと
ま、思っているわけで。












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