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気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

17年も掛った「暗夜行路」の完成、、、

2009-10-22 09:45:15 | 小説家・トーマス青木
 月日のたつのは早いもの、『黄昏のポジョニウッチャ』初版出版(平成19年12月10日)から2年近く経過する。

 「第2巻を読みたいのだが、どうなっているのか?」

 「・・・・!」

 「いつになったら出版されるのか?」

 等々、「黄昏のポジョニウッチャ・第1巻」をお読み頂いた読者(たとえば100人の内、わずかに4~5名)さまより、最近になって催促はたまたクレイムのお声を頂いている。

黄昏のポジョニ・ウッチャ
トーマス青木
リトル・ガリヴァー社

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 何とか二巻まで書き進めているものの未だ最終計四巻の脱稿までには程遠く、只今、執筆作業挫折ならぬ中途放棄し、日々生計を立てるための仕事に勤しむ毎日が続いているのであります。すなわち『みやじま体験観光案内ネットワーク』のプランナー業務(慣れぬ国内旅行着地型ツーリズム企画)に翻弄されつつ瞬く間に、半年間経過したのであります。
 もともと海外旅行の企画と営業の出身でありまして、国内旅行しかも着地手配の発想なんて微細すぎ、我が大まかにして粗雑な頭脳では、とてもじゃないが良い企画なんて生まれようもなく、まして舞台が宮島となるとこれまた「我が感覚」とのズレが大きいこと、今になってあらためて痛感している今日この頃であります。
 加えて、通勤時間の長いこと長いこと。
 ちなみに、
我が家から徒歩10分のバス停に辿り着き、 -(10分)
バスに乗り揺られること約25分、     -(25分)
JR西広島に到着、
JR山陽本線下りに乗車しJR宮島口駅到着。-(約23分)
宮島口駅から徒歩約3~5分にて宮島口港へ、-(約7分)待ち時間を含む、、
フェリーに揺られて宮島へ渡る。      -(約10分)
宮島に到着後、宮島港から徒歩にて、職場へ、-(約5分)
                 ようやく「info.表参道」へ到着。

 そう、この間の通勤時間は≒おおよそ80分?乗り換えなどの「つなぎ時間」を入れれば、なんと!片道1時間45分もかけて、且つ3回も異なる乗り物に乗り換えて通勤している、未だかつてこんなに時間をかけて通勤した経験のない私。この馬鹿馬鹿しさに、あらためて気がつくのであります。

 我が人生に残された時間は長くなく、あれこれ考える前に、ちょいと気合入れて執筆活動に戻りたく、できるだけ早く『書きかけの小説・黄昏のポジョニウッチャ』から脱稿したく想えども長い道のりでして、「死ぬまでに書けば宜しい」と安堵?の一言を言って慰めて?くれるモノカキ仲間も居たりして、なれどなれど、
 「待つだけ待ってやるからそれまでに、ピリリと気の利いたエッセイを書き上げてしまえ!」
 と、先ごろ、気合を入れて下さった出版社編集長あり、、、。

 ちょいと気合入れて、エッセイ書きますか!!!!

 
 志賀直也先生は、17年もかけて『暗夜行路』を執筆された。 なれど、志賀直哉先生の真骨頂は『短編小説』にあった。 畏れ多くて志賀先生と比較しようもないけれど、心意気は志賀先生にあやかって、ひとつ面白おかしく軽快に短編小説ならぬ纏ったエッセイなど書き上げてみたい、、、、。 (トーマス青木)


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暗夜行路
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


暗夜行路(あんやこうろ)とは志賀直哉の小説である。雑誌「改造」に1921年(大正10年)1月号から8月号まで前編、1922年(大正11年)1月号から1937年(昭和12年)4月号まで断続的に後編を発表。志賀直哉唯一の長編小説で晩年の穏やかな心境小説の頂点に位置づけられる作品。四部構成。

なお当初は1914年(大正3年)に『時任謙作』という題で東京朝日新聞に連載される予定だったが、挫折。完結までに17年間の時を要し、大変な難産だった。



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