Negative Space

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キング・オブ・コメディーよ永遠に:『底抜けシンデレラ野郎』

2017-08-24 | その他


 ジェリー・ルイスが亡くなった。このアーティストにたいするフランスを筆頭とするヨーロッパでのリスペクトはわが国においてはついに無縁であるらしい。









 フランク・タシュリン「底抜けシンデレラ野郎」(CinderFella、1960年パラマウント)


 ルイスじしんが監督するという話があったが、けっきょく気心の知れたタシュリンに演出が委ねられる。

 くしくもこの作品は同年の『底抜けてんやわんや』にはじまるルイスの監督作ぜんたいのプロトタイプになっている。いつものジャズがあり、あふれる色彩がある。

 主人公が継母に押しつけられてきた“家の馬鹿息子”役の殻を破るべく決意する、というさかしまのシンデレラ・ストーリーは、本作をもってマーティンとのコンビにおいてパラマウントにわりふられてきた道化役をみずから踏み出したジェリーじしんのシンデレラ・ストーリーに重なる。

 クライマックスの舞踏会場面では(いかんせんそこにいたるまでのストーリー展開はもたつきにもたつく)、真紅のタキシードをまとった(なぜか)白髪の男がまずうしろすがたで登場し(おなじ演出が『底抜け大学教授』で再利用されるだろう)、列席者全員の見守るなか、超ロングでとらえられた巨大な白亜の石段をアクロバティックな足さばきをつぎつぎくりだしつつたっぷりと時間をかけて降りてくる。おもむろに義兄からパートナーの王女をよこどりし、カウント・ベイシー楽団(本物)のスウィンギーなビートにのせて、しばしユーモラスにしてエレガントなステップを踏んでみせる。ミュージカル映画史の隠れた名場面のひとつだろう。

 主人公をサポートする妖精役にエド・ウィン(『メリー・ポピンズ』)。

 この要となる作品において主人公の魂の導き手となる役どころに高名なユダヤ人コメディアンをふっているところもなにやらいみありげである。

 周知のごとくルイスはウディ・アレンとならぶハリウッドにおけるユダヤ・ジョークの代表的な継承者である。

 継母にジュディット・アンダーソン。陰険さに徹し得ずいかにも中途半端なキャラ。

 義兄のひとりにヘンリー・シルヴァ。いっけんさわやかなお坊ちゃんふうのたたずまいで登場するも、すぐにいつもの爬虫類的な性向をあらわにする。

 プリンセス役にアンナ・マリア・アルバゲッティ。ほぼ演技力のひつようない役。一曲だけ喉を披露。