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Viva! Peplum! ~古代史劇映画礼讃~ No.30
リッカルド・フレーダ『Spartacus』(1953年)
トラキア人の通行を禁止された道を渡ろうとした執政官を百人隊長が斬り捨てる。執政官の娘が隊長を罵倒して捕えられる。その場に居合わせた同じトラキア人の部下スパルタクス(マッシモ・ジロッティ)が娘をかばって隊長に盾を突き、娘ともども身分を剥奪されて奴隷となる。
グラディエーター養成所に送り込まれたスパルタクスにクラッススの娘サビーナが一目惚れ、執政官の娘とともにスパルタクスの反乱を密かに援助する。
反乱を事前に食い止めるためクラッススはサビーナをスパルタクスのもとに送り込んで折衝に応じさせるが、折衝のさなかに反乱奴隷が蹶起、スパルタクスは多勢に無勢の戦いに加勢するために自陣に戻り、命を散らす。累々と積み重なる死体の山をかきわけて死に際のスパルタクスを探しあてた執政官の娘が形見の剣を捧げて高々と天に差し上げるショットで幕。
製作されたのはムッソリーニの独裁政府の記憶もいまだ生々しい頃。「ローマ人の残酷さを描こうとした」というエジプト出身のフレーダの意図は、当局の妨害を受け、一時は撮影が中断され、拷問場面などに鋏が入れられた。
物語は単純明解ながら、奴隷堕ちという同じ境遇の娘と世襲貴族の娘という対照的な二人の女の愛のあいだで揺れ動き、道徳的な葛藤に苦しむスパルタクスは、キューブリックのスパルタカス同様、あからさまなキリスト的含意を担わされていながらも、キューブリック版の救世主的な反乱の指導者というわかりやすいお子様向けの英雄像におさまっていない。
キューブリックの駄作の主役にして製作者のカーク・ダグラスが、すでに企画が進行していた自作がかすんでしまうのをおそれ、本作のネガフィルムを買い占めてアメリカでの公開を阻止したというのも宜なる哉。
「特別出演」格でクラッススの娘を演じるのはフレーダの奥方にしてミューズであるにとどまらず、われらがコッタファーヴィ作品や『闘将スパルタカス』なるコルブッチ作品(スパルタクスの息子が主人公)にも出演ましますイタリア古代史劇映画の大ディーヴァ、ジアンナ・マリーア・カナーレ。
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1947年のミス・イタリアの座をルチア・ボゼーと競って逃すも、そのときの三位がジーナ・ロロブリジータであったというエピソードが雄弁にものがたるその美貌に加え、ボゼーもロロブリジータも寄せつけぬダイナマイト・ボデエを武器に堅物の剣奴をメロメロに。
一方、執政官の娘を演じるのはマイケル・パウエル作品でおなじみの元モンテカルロ・バレエ団エトワール、リュドミラ・チェリーナ。円形競技場での大セレモニー(エキストラで埋め尽くされたヴェローナの円形競技場でのロケ)では大開脚あり、半裸の男優らにねっとりとからだを擦りよせ誘惑するシーンありの扇情的なダンスをたっぷり披露し、さしものカナーレも客席でたじたじ、じぶんとスパルタカスのロマンスを勝手にダンスに投影して傍らの父親に妄言を吐く始末。おまけに舞台上に縛られ、放たれたライオンの餌食にされかかるというおいしい役どころで、ルックス面で絶対的に劣るハンディをはねのけカナーレを食いまくり。
もちろん寸でのところでスパルタクスに救われるわけだが、スパルタクスとライオンの格闘シーンの困難な撮影を手がけたのはマリオ・バーヴァ(クレジットなし)であるという!
本作の見どころはなんといっても、クヮトロチェントの名画群を彷彿とさせるようなゴージャスきわまりないヴィジュアルである。おもわず黄金比という言葉を口にしたくなる決まりまくったフレーミング、ロングのモブシーンを整然とカメラにおさめる悠揚迫らざるクレーン撮影、繊細このうえないフィルライト、コントラストの大きい陰影ゆたかなモノクロ画面、ダイナミックな仰角のかずかず。すべてのショットにヴィジュアル的なひらめきがある。
ハンガリー出身の撮影監督ガボール・ポガニーは、作家の映画から娯楽映画にいたるまでなんでもこなした多作な人。このヴィジュアルスタイルは明らかにフレーダその人の天才に由来するものだ。フィルムセンターで代表作『神秘の騎士』のニュープリント版を見たときの興奮がまざまざと甦った。
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