Viva! Peplum! No.23
『ベン・ハー』(ウィリアム・ワイラー、1959)
1880年、北軍の将校だったルイス・ウォレスによって出版された原作には、リンカーンを祖国統一(国民の宥和)を為し遂げたキリスト的人物と見なすイデオロギーが反映されていると言われる。
この企画は、傾きかけたMGMを立て直すために製作者のサム・ジンバリストが打って出た賭けだった。本作公開時は冷戦まっただ中。唯物論的社会主義に対抗してキリスト教的理念を歌い上げたことが受けたという説もある。
監督にはワイラーのみクレジットされているが、レースのシーンはアンドリュー・モートンとスタントのヤキマ・カヌートによって演出され、ワイラーはタッチしていない。海戦のシーンはリチャード・ソープが演出してワイラーがスーパーバイズ。ほかにマリオ・ソルダティも演出に参加。チーフ助監督にセルジオ・レオーネがついている。
すでに経験豊かだったレオーネは、レースシーン用に特別な橇を開発して、低いアングルから馬が狙えるようにした。カメラを乗せた台車に乗り込んで危険な撮影を敢行したという。
脚本はタンバーグのほかに、シドニー・フランクリン、マックスウェル・アンダーソン、S・N・バーマンが参加。
途中から起用されたゴア・ヴィダルは、ベン・ハーとメッサラのあいだに同性愛的関係を想定しようとした。再会のシーンで「ボイドは料理を前にしてお腹を減らしている人のようにヘストンを見ている」(ヴィダル)。かどうかは別として、きれいどころもでてこなければ(エステル役は得体の知れぬイスラエルの大根女優)、お色気シーンも皆無(祝宴のシーンでは人種差別的な黒人のダンスがあるだけ)の本作を見れば、どんなに鈍い観客でもそういう勘ぐりは自然にするのではなかろうか。
ヴィダルはけっきょくお払い箱にされ、ワイラーお気に入りの作家クリストファー・フライが後任に。
ベン・ハー役にはポール・ニューマン、マーロン・ブランド、ロック・ハドソン、バート・ランカスター、ジョン・ギャヴィン、シーザー・ダノヴァ、メッサラ役にはヴィクター・マチュア、スティーヴ・コクラン、チャールトン・ヘストンが候補に。
ヘストンはあきらかにメッサラ向けだよねえ。『黒い罠』の官僚的刑事から『ボーリング・フォー・コロンバイン』のエセ保安官気取りまで、人間味のない硬直した悪役専門の役者が全篇めそめそするのを見せられるのは拷問に近い。
ワイラーは、民族的対立を際立たせるため、ユダヤ人をアメリカ人俳優、ローマ人をイギリス人俳優に演じさせることにこだわったとか。
監督も俳優も、しているのは演出でも演技でもなく、物語の「説明」ないし挿絵。キリストの顔を映さないなんてのは、フレッド・ニブロ版のパクリにすぎない。金をかけたセットを一秒でも長く映さなきゃ損とでも言わんばかりにもったいぶったスローテンポ。ラオール・ウォルシュなら3秒しか映さないだろうところを30秒に引き延ばして見せている。
本作の主役はさしずめ歴史に残る長大なスコアを書いたミクロス・ローザだろう。全篇がローザのシンフォニーの長い長いプロモーションヴィデオに思えてくる。
撮影のロバート・サーティースの名誉のためにも付け加えておくなら、チャチで退屈なガレー船のシーンの幕切れのショット、手前にオールを漕ぐシルエットになった奴隷を配し、甲板の上からその奴隷を眺めるヘストンを画面奥に捉えた短いショットに、『偽りの花園』や『我等の生涯の最良の年』の監督の面目がかろうじて垣間見える。
ガレー船も馬車も出てくるのに、古代史劇のくせして機械学的な発見がないのも不満。せいぜいレースシーンの魚のかたちをしたカウンターくらい。
『ベン・ハー』(ウィリアム・ワイラー、1959)
1880年、北軍の将校だったルイス・ウォレスによって出版された原作には、リンカーンを祖国統一(国民の宥和)を為し遂げたキリスト的人物と見なすイデオロギーが反映されていると言われる。
この企画は、傾きかけたMGMを立て直すために製作者のサム・ジンバリストが打って出た賭けだった。本作公開時は冷戦まっただ中。唯物論的社会主義に対抗してキリスト教的理念を歌い上げたことが受けたという説もある。
監督にはワイラーのみクレジットされているが、レースのシーンはアンドリュー・モートンとスタントのヤキマ・カヌートによって演出され、ワイラーはタッチしていない。海戦のシーンはリチャード・ソープが演出してワイラーがスーパーバイズ。ほかにマリオ・ソルダティも演出に参加。チーフ助監督にセルジオ・レオーネがついている。
すでに経験豊かだったレオーネは、レースシーン用に特別な橇を開発して、低いアングルから馬が狙えるようにした。カメラを乗せた台車に乗り込んで危険な撮影を敢行したという。
脚本はタンバーグのほかに、シドニー・フランクリン、マックスウェル・アンダーソン、S・N・バーマンが参加。
途中から起用されたゴア・ヴィダルは、ベン・ハーとメッサラのあいだに同性愛的関係を想定しようとした。再会のシーンで「ボイドは料理を前にしてお腹を減らしている人のようにヘストンを見ている」(ヴィダル)。かどうかは別として、きれいどころもでてこなければ(エステル役は得体の知れぬイスラエルの大根女優)、お色気シーンも皆無(祝宴のシーンでは人種差別的な黒人のダンスがあるだけ)の本作を見れば、どんなに鈍い観客でもそういう勘ぐりは自然にするのではなかろうか。
ヴィダルはけっきょくお払い箱にされ、ワイラーお気に入りの作家クリストファー・フライが後任に。
ベン・ハー役にはポール・ニューマン、マーロン・ブランド、ロック・ハドソン、バート・ランカスター、ジョン・ギャヴィン、シーザー・ダノヴァ、メッサラ役にはヴィクター・マチュア、スティーヴ・コクラン、チャールトン・ヘストンが候補に。
ヘストンはあきらかにメッサラ向けだよねえ。『黒い罠』の官僚的刑事から『ボーリング・フォー・コロンバイン』のエセ保安官気取りまで、人間味のない硬直した悪役専門の役者が全篇めそめそするのを見せられるのは拷問に近い。
ワイラーは、民族的対立を際立たせるため、ユダヤ人をアメリカ人俳優、ローマ人をイギリス人俳優に演じさせることにこだわったとか。
監督も俳優も、しているのは演出でも演技でもなく、物語の「説明」ないし挿絵。キリストの顔を映さないなんてのは、フレッド・ニブロ版のパクリにすぎない。金をかけたセットを一秒でも長く映さなきゃ損とでも言わんばかりにもったいぶったスローテンポ。ラオール・ウォルシュなら3秒しか映さないだろうところを30秒に引き延ばして見せている。
本作の主役はさしずめ歴史に残る長大なスコアを書いたミクロス・ローザだろう。全篇がローザのシンフォニーの長い長いプロモーションヴィデオに思えてくる。
撮影のロバート・サーティースの名誉のためにも付け加えておくなら、チャチで退屈なガレー船のシーンの幕切れのショット、手前にオールを漕ぐシルエットになった奴隷を配し、甲板の上からその奴隷を眺めるヘストンを画面奥に捉えた短いショットに、『偽りの花園』や『我等の生涯の最良の年』の監督の面目がかろうじて垣間見える。
ガレー船も馬車も出てくるのに、古代史劇のくせして機械学的な発見がないのも不満。せいぜいレースシーンの魚のかたちをしたカウンターくらい。