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西部瓦版〜ウェスタナーズ・クロニクル〜 No.60
キング・ヴィダー『星のない男』(1955年、ユニヴァーサル)
ワイオミング。貨物車を無銭で乗り継いでさすらうホーボー(カーク・ダグラス)が、同じ境遇の若者(ウィリアム・キャンベル)を鉄道会社の警備員の手から救って弟分にする。
ホーボーはかつて同じくらいの年代の弟の命を有刺鉄線によって奪われていたことが事後的に明らかにされる。
女性大牧場主(ジーン・クレイン)に雇われたホーボー(契約金はかのじょの肉体)は、モラルを無視して所有地を広げようとする牧場主のあくどさに愛想がつき、彼女に土地を狙われる小牧場主たちの側に寝返って有刺鉄線での防戦をたきつける。
勝利した小牧場主たちから土地の提供を申し出られたホーボーは一言のもとに固辞、追ってくる弟分を地元のおぼこ娘に押し付け、逃げるように一人去っていく……。
地味ながら、現代的な西部劇の先駆けとなった無視し得ない作品。
脚本はボーデン・チェイス。いわずとしれたアンソニー・マンの西部劇のクリエイターのひとりだ(製作も同じくアンソニー・マンじるしのアーロン・ローゼンバーグ)。本作はなによりもチェイスの世界観が色濃く刻印された作品に仕上がっている。
とはいえそれ以上に、底抜けの陽気さのなかに一抹のメランコリーと狂気をまとわせた主人公を息づかせているのは演じているカーク・ダグラス本人の個性にほかなるまい。
ヴィダー自身は本作にいささかも執着をもっていなかったらしいが、大地という主題と個人主義というそれはヴィダー映画の王道であり、ダグラスとジーン・クレインとのあいだに交わされるダイレクトなセンシュアリティーとアンビヴァレントな愛憎関係はたとえば『白昼の決闘』をおもわせ、ダグラスと弟分の師匠関係はたとえば『チャンプ』をおもわせる。
チェイスの脚本の巧妙さはすぐれて西部劇的な二つのオブジェの象徴的利用に集約される。
ひとつは有刺鉄線であり、いまひとつはバンジョーである。
オープン・レンジ(大西部)の終焉を象徴するオブジェである有刺鉄線(1874年に特許化)は、主人公のトラウマの原因であるとともに最後にはみずからの武器にもなる。
すでに『群衆』『麦の秋』でも重要な小道具として登場したバンジョーは、本作では主人公の秘めた怒りが爆発し修羅場と化すかとおもわれたその瞬間、絶妙のタイミングで酒場の情深い女クレア・トレヴァーが主人公に投げ渡す。と一転してその場が作品中随一の愉快な場面に変貌を遂げるのだ。『リオ・ブラヴォー』で窮地にあるジョン・ウェインにリッキー・ネルソンが投げ渡すライフルもかくや。
これに付け加えるべき三つめのオブジェは文明と官能とをともども象徴するバスタブだろう。
主人公が農園主の家をさいしょに訪れる場面では、あるドアを開けたダグラスのおどけたリアクションだけが示され、浴室内のショットはない。もっと後の場面でつぎにダグラスが同じドアを開けると、カメラに背を向けて入浴中のジーン・クレインがバスタブから美脚を突き上げてダグラスを誘惑している。
いまひとつの名場面。ダグラスから銃の手ほどきを受けた弟分がその技を自慢するために酒場でゴロツキを始末する。すかさずダグラスに殴られた弟分が師に挑発の言葉を投げると、ダグラスは拳銃を抜いて弟分に突きつけるが、すぐさま激しい自己嫌悪にかられて苦悩に顔をしかめる。
本作のいまひとりの主役はラッセル・メティのキャメラだろう。とくに屋外場面での逆光を活用した味わいゆたかなテクニカラーを堪能したい。
キャストはほかにリチャード・ブーン、ジェイ・C・フリッペン、etc。