西鶴の町人ものの一作目。西鶴といえば町人もの、みたいなイメージが多少ともあるが、西鶴のキャリアのなかではすでに晩年の作品に位置づけられる。
各話とも、教訓じみた枕があって、そのあと実在のモデルのいる主人公たちが紹介されるというスタイルをとる(かれらひとりひとりが出していた暖簾のイラストが各巻の目次にあしらわれていておしゃれ)。
あきんどが「身代」を過ごすことなく「悋い穿鑿」をめぐらせては日夜「始末」に励み(その延々たる列挙!)、「せはしき内証」を凌ぎつつ、「秤竿」「天秤」の音高らかに「すぎはい」に「身過ぎ」し、あるいは「才覚」「工夫」の「仕出し」によって、あるいは「天性の仕合せ」によって、「一代分限」「俄分限」となり仰せ、あまたの「手代」抱え「金銀呻」く「内蔵」「棟高く」立てるにいたる「世に例なき」サクセスストーリーが、その反行形(「分散」の憂き目)、逆行形をふくめて、エピソードのかずだけ変奏される。
森銑三によれば、本作のうち西鶴が書いた章はひとつかふたつで、のこりは門下の北条団水の筆になる。そのうち、西鶴があとから手をくわえた文章がひとつかふたつある。
さいしょのエピソードは「天道もの言はずして、国土に恵み深し。人は実あって、偽り多し」云々のもっとらしく教条的な説教ではじまる。『一代男』の華麗さとは似ても似つかぬ味気なさである。
森が西鶴の真筆とみなす章のひとつがさいしょから二つめのエピソードとなる「二代目に破る扇の風」である。
到富譚が大多数を占める本作にあって、このエピソードは例外的に破産譚である。
「人の家に有りたきは梅・桜・松・楓、それよりは金銀米銭ぞかし」という書き出しを森は「水際立っている」とするが、いかがか?
「時なる哉、都の末社四天王、願西・神楽・鸚鵡・乱酒に育てられ、まんまと此道に賢くなつて、後には色作る男の仕出しも是れがまねして、扇屋の恋風様といはれて吹揚げ、人は知れぬものかな、見及びて四五年この方に弐千貫目塵も灰もなく、火吹く力もなく、家名の古扇残りて、ひと度は栄え、ひと度は衰ふると身の程を謡うたひて、一日暮しにせしを、見る時、聞く時、今時儲けにくい銀(かね)をと、身を持ちかためし鎌田屋の何がし、子供に是れを語りぬ」という末尾の文章には「一瀉千里の勢い」があるとおなじく森。
なるほど言葉に力がある。こうゆう奔放さ、心地よいわかり難さは本作ではあまりお目にかかれない。
『國文學』別冊の「西鶴必携」に「西鶴名言集」なるコーナーがあって、いかにもそれっぽい人生訓的なフレーズが本作からもいくつか採られているが、わかりやすいだけで味気ないものがおおい。
たしかに西鶴はバルタザール・グラシアンやラ・ロシュフーコーの同時代人ではあるわけだけど、本作の教訓的な部分を西鶴が本気で信じていたわけではないだろう。
以下、私家版裏名言集として、琴線に「響いた」くだりを自動筆記的に抜粋する。
「自分商ひを仕掛け、利徳は黙りて、損は親方に被け」
「兎角に人は習はせ、公家の落し子、作り花して売るまじき物にもあらず」
「すぎはひは草箒の種なるべし。この浜に西国米水揚げの折ふし、こぼれ廃れる筒落米を掃き集めて、その日を暮らせる老女有りけるが」
「ぐわらぐわらと空定めなや」
「下帯には気を付けずして逃げ延び、今日旅立つにも尻からげ気の毒」
「行くも帰るもの関越えて、知るも知らぬもに突付商い」
「やがて心の花も咲き出づる桜山、色も香も有り若盛り」
「手は平野仲庵に筆道を許され、……能は小畠の扇を請け」
「只銀が銀を溜める世の中」
「後はこの木切れ大木となりて、……河村・柏木・伏見屋にも劣るまじき木山を請け、心の海広く、身代真艫の風、帆柱の買置きに、願いのままなる利を得て」
「傾城狂ひ、野郎遊び、尻も結ばぬ糸の如く、針を蔵に積みても、溜らぬ内証」
「大釜に富士の煙の絶えず、水瓶に湖水を湛へ、朱椀龍田の紅葉を散らし、白箸武蔵野に立つ霜柱のごとく、朝の繁盛夕べに消えて」
「仮の世の借り屋住居もうたてく」
「残る物とて家蔵ばかり」
「空定めなきは人の身代。我貧家となれば、庭も茂みの落葉に埋もれ、いつとなく葎の宿にして、万の夏虫野を内になし、諸声の哀れなり」
「これ楠分限、根の揺るぐ事なし」
「身過ぎ構はぬ唐人の風俗」
「私ら[掛乞]は、盆の如く胸が踊りて松原越えて、門飾りの山草一葉、数の子一つ、今に調へもせず」
「借銭の淵を渡り付けて、幾度か年の瀬越しをしたる人」
「公事だくみなる女、薄き唇を動かし」
「淵瀬に流るる恋の川上に、久米の更山新世帯より」
「一代に延ばしたる銀の山、夜はこの精うめき渡れど」
「この跡取り……手掛け者を聞き立て、旅子狂いを心ざしけるに、かの嫁、約束の如く悋気仕出し、声山立つれば」
「謡ひは三百五十番覚え、碁二つと申す。鞠は紫腰を許され……」
「おのづと、金が金儲けして」
「不断の水車、客を待つやらくるくると、椀家具の音伏見まで響き、浜焼きの香り橋本・葛葉に通ひ、茶は宇治に人橋を掛け、酒の滴り松の尾まで流れ」
「若き時より稼ぎて、分限のその名を世に残さぬは口惜し。俗姓・筋目にも構はず、只金銀が町人の氏系図になるぞかし」
「金銀有る所には有る物語、聞き伝へて日本大福帳に記し、『末久しく、これを見る人の為にもなりぬべし』と、永代蔵に治まる時津御国、静かなり」
おっと、また服装描写を忘れるところであった。
「お娘御の正月小袖、紫の飛鹿子に紅裏」
「新在家衆の衣装を移し、油屋絹の諸織を、憲法染の紋付、袖口薄綿にして三つ重ね、小褄高からず裾長く」
「婬姒の平生清らを見するは渡世の為」「武士は綺羅を本として勤むる身なれば、たとへ無僕の侍までも、風儀常にして思はしからず」としたうえで バブリーな妻たちの「衣装法度」(ドレスコード、と読む)破りを諌めるくだりには、やんごとなき人にならった「京織羽二重」「黒き物に定まつての五所紋」ではあきたらず、「雛形に色を移し、浮世小紋の模様、御所の百色染、解き捨ての洗鹿子、物好き格別世界に至り穿鑿」などとあって、「白き紋羅の引つ返しに、緋縮緬を中に入れて、三枚重ねの袷、両袖・襟に引き綿」とつづけられる。なんとなく、クリスタル。
『一代男』どうようのオブジェの列挙にもいいくだりがある。