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Negative Space

日本映画、文語文学、古代史劇映画、西部劇、フィルムノワール、hip-hopなど。

闇に響く鈴の音:『遠い国』

2012-10-01 | アンソニー・マン

 <西部劇映画日誌>No.11

 『遠い国』(アンソニー・マン監督、1954年、ユニヴァーサル)

 アンソニー・マン=ジェームズ・スチュワートのコンビによる5本のうちの4作目。アーロン・ローゼンバーグ製作。
 
 1896年のシアトル。はるばるワイオミングから牛を運んできたジェームズ・スチュワートが波止場で旧知のウォルター・ブレナンに再会する。スチュワートの馬の鞍には小さな鈴。「まだつけていたんだな」。二人の友情の象徴でもあるこの小さなオブジェが隠れた主人公であるところは、『ウィンチェスター銃'73』に似ている。使用人の牧童二人に銃を投げて返すスチュワート。「ずっとおれを殺したいと思っていたんだろう。殺れよ」。スチュワートを睨みつける二人。「どうせすぐに縛り首だ」。スチュワートとブレナンはさらに北上する汽船に乗り込む。船上にはすでにブレナンの相客ジェイ・C・フリッペン。そして豪奢なコートを着込んだ女の姿も(ルース・ローマン)。出航間際に牧童が船員に告口する。「あいつは人殺しだ」。スチュワートをとらえようとする船員。とっさに自室に招き入れるルース・ローマン。見ず知らずのスチュワートをベッドに隠し、自分も下着姿になってベッドに潜り込む。わざと鍵をかけずにおき、入ってきた船員に気まずい思いをさせる。「なぜ助けた」。「なぜ理由が要るの。ありがとうくらい言ったら?」「あまり言わない言葉でね」。

 ウルトラ・リバタリアン(=ちょー自己チュー)のスチュワートが周囲の人たちの無償の好意に助けられていくうちに人間らしい感情に目覚め、回心するまでの物語。

 たどりついた街には山高帽の判事ジョン・マッキンタイアが法を盾に独裁者として君臨していた。処刑を邪魔した咎で入れられた牢屋でスチュワートが無聊をかこっていると、そこへ分厚い本に顔を突っ込んだままの医者らしき男が放り込まれる。診療ミスで患者の手を切断させたとか。医者の娘(コリーヌ・カルヴェ)が父親に食事を差し入れにくる。彼女はちょろまかした砂金で財産をつくって父親をウィーンに留学させようとしている(砂金の探し方をスチュワートに指南する場面はたのしい)。初対面のスチュワートの姿を認めると、「あたしあんたがすきだわ」とボーイッシュなカルヴェ(『裸の拍車』のジャネット・リーを思わせる)。「おれもだよ」とあっけにとられるスチュワート。裁判も酒場のテーブルでおこなわれるいい加減さ。スチュワートはキャトルドライブの途中で牛を奪って逃げようとした牧童二人を殺していたが、無罪になる。ただし、マッキンタイアは私欲からスチュワートの牛をとりあげる。カウンターの奥のルース・ローマンはご機嫌ななめ。かのじょの経営するこの酒場は悪の巣窟。かのじょも善良な市民からは煙たがられている。
 スチュワート、ブレナン、フリッペン、カルヴェ、ローマン一行は居心地の悪い町をあとにし、馬でアラスカへ向かう。スチュワートらは牛を高く売るため、ローマンは新店舗出店のため、カルヴェは砂金目当て。しばらく行くと、馬に乗った一団が銃をぶっ放しているのに出くわす。「誰が何を撃っているんだ?」とブレナン。見ている方も同じ疑問を抱く。このへん、説明的台詞が最小限に抑えられていて、見ていて事情がよく飲み込めなかったりするのだが、そのぶんリアル。その後、どの道をとるかで意見が割れる。スチュワートらは雪崩をおそれて遠回りをする。強行して山際の近道を進むローマンらが雪崩におそわれる。「たすけに行こう」。「なぜ行くんだ」。病的に人間性を欠いたスチュワートには、仲間の常識が本気で通じない。ローマン一行は無事だった。夜、焚き火から離れて休むローマンにスチュワートがコーヒーをもっていく。「ここじゃ寒かろう」。コーヒーをそっと捨て、おかわりをせがむローマン。カップを受け取ろうと身をかがめたスチュワートの唇を突然奪う。スチュワートは呆然と「ありがとう」。「学習したわね」。これを見ていたカルヴェは嫉妬でふてくされる。ブレナンがコーヒーをもっていくと、「コーヒーなんて大嫌い!」。ちなみにブレナンはカフェイン中毒。最後はコーヒー好きがあだとなって命を落とす。鈴の由来をカルヴェに語る場面。ユタに家を買って余生をスチュワートと暮らすのがこの足の悪い老人の夢。「家のドアにつけとくんだ。友だちが訪ねて来れば音でわかる。友だちにはコーヒーの一杯もごちそうしてやれるさ」「でも小さすぎない?」「家もそれ相応にささやかなんだ」。ブレナンは現在の暮らしに満足している。しかし、スチュワートの方はすぐにでも街を出て行くつもりでいる。「何してる」「荷造りさ」「それは見ればわかる」。金(ゴールド)の出る街には悪がはびこる。なまじ保安官なんかやらされないうちにもうけた金をもって逃げ出すさ。ブレナンがそっと諭す。おれはいまの仲間たちがすきなんだ。仲間の友情は金じゃ買えない。おまえはいつもさらに「遠い国」を目指して移動してばかりしている。けっして安住しようとしない……。ブレナンにお気に入りのパイプをくわえさせ、火をつけてやるスチュワート。ブレナンのご機嫌をとるために作中で何度かくりかえされる身振りであり、極度に人間性を欠いたスチュワートがブレナンだけに示してみせるあるしゅ動物的といっていい愛情の表現だ。「おれは自分の身は自分で守る。他人はあてにしない。でもあんたが困ったことになったら、あんたを守ってやるつもりだよ」。二人が酒場に行くと、追い払ってきたはずの亡霊に出くわす。マッキンタイアがこの平和な町にも悪の触手を伸ばそうとしていたのだ。土地の不法占拠を訴える町民(チャビー・ジョンソン)を虫けらのように射殺したマッキンタイアの手下を保安官となったジェイ・C・フリッペンが命を張って逮捕しようとするが、「むざむざ命を捨てることはない」と割って入り、職務の遂行を妨害するスチュワート。恥をかかされたジェイ・C・フリッペンはその場で保安官バッヂを返上する。スチュワートとブレナンは筏で町を逃げ出そうとするが、マッキンタイアの一味に襲われ、ブレナンが命を落とし、金を奪われる。
 闇に鈴の音が響き渡る。「あの鈴の音、頭がおかしくなりそうだぜ」。瀕死のスチュワートを乗せた馬が街灯に浮かび上がる。「死んだはずじゃなかったのか」とマッキンタイア。並んで進む馬にはブレナンの遺体。カルヴェに看病されるスチュワート。「なぜ助けた」「誰かがしなきゃならないことでしょ」「でもなぜ」「ばかな質問ね。あたりまえのことじゃない。世も末だわ、もしだれもが……」「おれのようだったら?」そこへローマンが入ってくる。「コーヒーでも?」「だれもコーヒーなんかたのんでないわ」とカルヴェ。「この人にいてもらうことにするよ。ありがとう」とカルヴェをねぎらうスチュワート。「感謝するのならこの人にしなさいよ」。ドアを叩きつけて出て行くカルヴェ。女はいつもドアに当たる。「何を怒っているんだろう」「嫉妬よ。かのじょも女なの」。愛の言葉を口にし、いっしょに町を出て行こうと説得する女。帰宅したスチュワート。撃たれて不自由な右手を布で吊っている。左手だけで不器用にコーヒーを入れ、腰掛け、右手を見つめ、握りしめようとするワンシーンワンショット。復讐の意志は固まった。町民を立ち退かせて土地を独り占めしようとしているマッキンタイア一味についに町民たちが立ち上がる決意を固める。自宅前に勝手に杭を打つ一味に申し渡すスチュワート。「おれが行くと言っておけ」。出陣するスチュワート。馬に鞍をつけるとき、鈴を思い出して、親指で鳴らす。酒場。鈴の音が近づいてくる。スチュワートを返り討ちにしようと酒場の入り口で待ち構える一味二人。戦いにそなえ、店の外の明かりをすべて消す。真っ暗闇に鈴の音だけが響く。ぬかるんだ道を進む馬の脚のアップ。暗闇に鐙の音が不気味に響く『許されざる者』のクライマックスシーンをいやがうえにも思い出す。鞍のアップ。なんと鞍は無人。鈴だけが揺れている。一味の死角に回り込んでいたスチュワートがすかさず二人を撃ち殺し(マンの西部劇ではこういうフェイクがよく使われる)、中にいるマッキンタイアに出てくるよう叫ぶ。ローマンのアップ。声の主を確認した興奮で目をうるませている。マッキンタイアのアップ。始終たやさぬ不敵な笑みをここでもまだ保っている。裏口にまわり、もの影からスチュワートを不意打ちしようとするマッキンタイア。ローマンがこれを阻止しようと表に走り出て、放たれた銃弾をみずから受けとめる。倒れたローマンを抱え起こし、「どうしてこんなことしたんだ」。「おかしな質問ね」と息絶えるローマン。『西部の人』にもあった軒下ごしの腹這いでの撃ち合い。画面の下半分だけを使った緊張感あふれるタテの構図。手前のマッキンタイアの上体がくずおれると、画面奥のスチュワートの姿が視野に入る。同時に、銃を手に表で待機していた町民たちが酒場を包囲して中の悪党一味を降伏させる。スチュワートを助け起こすカルヴェ。身を寄せ合う二人を町民たちが祝福するように取り囲む。キャメラがかたわらの馬の鞍を映し出し、スチュワートの親指が鳴らす鈴に寄っていきアップになるところで幕。

 脚本はボーデン・チェイス(『怒りの河』)、キャメラにウィリアム・ダニエルズ。キャストにはほかにヘンリー・モーガン、スティーヴ・ブロディ、キャスリーン・フリーマン(『底抜け』シリーズ常連のオバサン)、ローヤル・デイノ(『西部の人』)など。


元ワイアット・アープとジェイソンの母の純愛:『胸に輝く星』 

2012-09-30 | アンソニー・マン

ウェスタナーズ☆☆☆クロニクル No.10

 『胸に輝く星』(アンソニー・マン監督、1958年)

 賞金稼ぎのヘンリー・フォンダと新米保安官アンソニー・パーキンスの父と息子のような友情を描く。かつて仕事を優先して妻子を失ったために保安官の職を辞したフォンダ。先住民の夫との息子を女手ひとつで育てる未亡人(ベッツィ・“ジェイソンの母”・パルマー)とのあいだにささやかなロマンスが生まれる。一方、パーキンスの婚約者はパーキンスが保安官をやめるよう口うるさく説く。説得に応じないパーキンスに業を煮やし、ふくれっ面で保安官事務所をぷいと出て行く。「女はいつもドアにあたる」とその場に居合わせた医師。街のごろつきにネヴィル・ブランド。街の名士で未亡人一家を影で支援している医師(ジョン・マッキンタイア)を殺した先住民兄弟(一人はリー・ヴァン・クリーフ)の首に賞金がかかる。生かしておけば住民の命が危険だとのブランドの進言で、デッド・オア・アライブという条件に。兄弟の家に直行する血に飢えたブランドとその一味。ベッツィ・パルマーの息子キップも馬でそれに続く。家はもぬけの殻。火を放たれた家から逃げ出した犬を追ってキップが山道を急ぐと、山頂の洞穴に潜んだ兄弟に狙われるが、あとから来たフォンダに助けられる。フォンダは火を焚いて洞穴から兄弟をいぶし出し、ぶじ無血逮捕。ところがこりかたまった人種主義者のブランドが犯人のリンチを要求。パーキンスの再三の要請にもかかわらず保安官バッヂをつけるのを渋っていたフォンダがバッヂをつけてパーキンスを掩護し、ブランドを退ける。フォンダは賞金の支給を待たずにパルマー母子と別の街に旅立つ。パーキンスの婚約者もやっとパーキンスの仕事を認め、かれについていく覚悟をきめる。「これからはらはらだらけの人生がはじまるのね」。

 脚本にダドリー・ニコルス。けっして直線的でなく、脱線を重ねながらいくつもの小さなストーリーを束ねていくようなゆるくて複線的な構成がきもちいい。

 適度にやさぐれ、いい感じに皺が刻まれたフォンダの顔つき、ファッション、たたずまいがすばらしい。『荒野の決闘』と『ウェスタン』の中間くらいの立ち位置と言えばいいか。美人じゃないベッツィ・パルマーとのつつましい感情の交流の描写も繊細のきわみ。二人ともフォード一家の一員である。質素な家の明かりを落としたダイニングルームでのひかえめな言葉と視線の交換。泣ける。
 
 音楽にエルマー・バーンスタイン。

イーストウッドふうホラー・ウェスタンの先駆け:『西部の人』

2012-09-28 | アンソニー・マン

 ウェスタナーズ☆クロニクル No.9

 『西部の人』(アンソニー・マン、1958年)

 このあと『シマロン』を撮ってはいるが、アンソニー・マンの偉大な西部劇としては最後の作品。とはいえ、公開当時は興行成績も批評も芳しくなかったようだ。

 脚本にレジナルド・ローズ。『十二人の怒れる男』は前年の作品。ここでもやはりリー・J・コッブが確信犯的に芝居がかった表現主義的なスタイルで屈折した初老の男を演じている。キャメラにアーネスト・ハラー。

 村の学校の教師をリクルートするために村人たちの金を預かって旅するゲイリー・クーパー。かつての美貌はいまやほどよく翳り、深い皺の刻まれた顔は鉱物界に属しているよう。もてあますほどの手足の長さだけはかつてのまま。運悪く、生まれてはじめて乗った汽車が賊に乗っ取られ、荒野のまんなかに放り出される。道連れとなったのは、車中で知り合ったいかさま賭博師(アーサー・オコンネル)と酒場の歌手(ジュリー・ロンドン)。途方に暮れて線路の上を歩き出す三人。ロンドンとクーパーのやりとり。「まあ、何を見てるの」。「きみの靴だ」。「まあ、うれしい。靴を見てもらうなんて14のとき以来よ」。「そんな靴じゃすぐに歩けなくなるぜ」。「裸足で歩くわ」。そこはかとなく漂うピクニック気分。とこうするうちにみつかった一軒家は、なんとクーパーが育った家。「やはりまだあったか」だと? 荒野の奥深く分け入り、文明の空気が薄まるにつれて、物語も現実と幻想のはざまをただようかのように。クーパーにとってそれは同時に、無法者の一味だったかつての自分と改心した現在の自分の区別がふたたび曖昧になっていくプロセスでもあるだろう。廃墟同然の家に棲みつく育ての親コッブとその義理の息子たち(ひとりは口がきけず、ひとりはうすらばかで、ひとりは野獣同然)もいかにも亡霊然としている。幻想的あるいはホラー的な要素は、ゴーストタウンでの「銀行強盗」のシーンできわまるだろう。「銀行」に棲みついていた老婦人を意味もなく射殺したろうあの仲間(ローヤル・デイノ)がクーパーに撃たれ、腹をおさえ、鳥類のような叫びを上げながら炎天下の無人の街路を駆け抜けたあと(そのようすを背後からクレーンショットで撮る)、息絶える。このあと、駆けつけた仲間を始末し、去り際にクーパーは殺された老婦人の善良そうな夫とすれ違う。「セニョール、ケパサ?」「アイム・ソリー」と目を逸らすクーパー。「ボニータ!」青ざめて戸口に急ぐ夫。脱いだ帽子を胸にあてがい、うなだれて暗い室内に歩み入る夫。「ボニータ、ボニータ……」。クレーンがせりあがり、去っていく馬上のクーパーを俯瞰でフレームにおさめる。その背中にはかみしめている虚しさが読みとれる。

 クーパーが帰宅すると、コッブに辱められたロンドンが傷だらけで倒れていた。岩山の頂きから喚きながらクーパーを挑発するコッブ。銃弾を浴びて岩山から転げ落ちる。クーパーとロンドンが馬車で去っていくラストには苦みだけが残る。「人をほんとうに好きになったのははじめてよ」。クーパーの方は無言。

 ジュリー・ロンドンの有名なストリップ・シーンにはあまり必然性が感じられない。脚本のこういうあざとさをおもしろがれるかそれとも辟易するかで作品の評価が別れるようだ。いかさま賭博師が命を張ってクーパーを助けるエピソードもとってつけたようで必然性がない。

華麗なる大舞踏会:『ウィンチェスター銃'73』

2012-09-27 | アンソニー・マン
 ウェスタナーズ☆クロニクル! No.8

 『ウィンチェスター銃’73』(アンソニー・マン、1950年、ユニヴァーサル)

 アンソニー・マンとジェームズ・スチュワートのコンビの第一作。製作はアーロン・ローゼンバーグ、脚本ボーデン・チェイスほか、キャメラにウィリアム・ダニエルズ。

 見直したのは5度目くらいだろうか。西部劇映画の最高峰の一本であることをこれまで以上に確信した。

 タイトルバックは起伏のはげしい丘を並んで進む馬上の二人をシルエットでとらえたロングショット。続けて、街のショーウィンドーに飾られた鈍色に輝くライフル銃が映る。銃床には、1876年射撃大会賞品の文字。優勝者の名前は空白のままだ。子供たちが顔をガラスにおしつけて目を輝かせている。「73年製ウィンチェスター銃だぜ!」ウィンチェスター社が千本に一本の割合で偶然的に生産する完璧な銃(とうぜん、ふつうの販売経路にはのらない)こそがこの映画の真の主人公だ。かつて合衆国大統領にも献上され、先住民たちは命を賭けてでもこの逸品を手に入れようとしたという。キャメラが右にパンすると、子供たちのうしろから馬にのった二人の流れ者(ジェームズ・スチュワートとミラード・ミッチェル)が子供たちのリアクションを笑顔で眺めているのが見える。保安官(ウィル・ギア)が派手な服装の女性(シェリー・ウィンタース)とやりあっている。祭りに水商売の女がいては困るから出て行ってほしいということらしい。ついで保安官は、流れ者の姿を認めるや、拳銃をあずからせろと言う。驚く二人組。相手の名前を聞いて、得心したように腰に提げたものを手渡す。ここはもう銃だらけでつばを吐くところもありゃあしない、と嘆く保安官事務所の職員(かなあ?)。保安官はワイアット・アープ。ここはドッジ・シティーである。家畜の集散地としての繁栄の影で、暴力と退廃をきわめた。そんな街にやり手のアープが赴任したのは1876年のこと。作中では同年のリトル・ビッグ・ホーンの戦いにも言及される。第七騎兵隊を全滅させたスー族はカスターが使っていた銃が連発銃でないことを知っていた、と。タイトルになっている連発式のウィンチェスター銃は、それまで主流だったスプリングフィールド銃にとって代わる近代的な兵器の代名詞。街では祭りのメインイベントである射撃大会を控えており、その賞品が冒頭に映されたウィンチェスターの名品だ。冒頭から作品の舞台と時代背景を要領よく的確に提示する手つきにうならされる。
 射撃大会で競り合うのは、奇妙にも同じ玉筋で的をことごとく射抜いてみせる二人の男。スチュワートとスティーヴン・マクナリー。同じ師匠に伝授された銃さばきらしきことがわかる。さらに二人の台詞から、かれらが兄弟で、マクナリーが銃の師でもある父を背中から射殺したらしきこともわかる。スチュワートが優勝し、賞品の銃を手にするが、すぐにマクナリーとその一味に強奪される。その後、逃亡中のマクナリーは武器商人(ジョン・マッキンタイア)にポーカーで大負けし、ウィンチェスター銃をかたにとられる。が、マッキンタイアの取引相手である先住民の酋長(ロック・ハドソン)がこの名品に目をつけ、マッキンタイアの頭の皮を剥いだうえで銃を奪う(マッキンタイアの死体をマクナリーらが発見する場面も印象的)。ついで先住民は騎兵隊との戦いに破れ、銃はシェリー・ウィンタースの情夫の手に渡るが、この男のわるい仲間(ダン・デュリエ)がかれを殺し、銃をものにする。しかし、デュリエは悪事の仲間で銃が自分のものだと言い張るマクナリーに銃を返す。ラストはスチュワートとマクナリーの岩場での果たし合い。スチュワートは「やるべきこと」をやり遂げるが、がっくりとうなだれる。こうして銃はやっとスチュワートの手に落ち着く。

 一丁の銃が何度も持ち主を変え、もとの持ち主の手に戻るまで、ロンド形式で何人もの人物、いくつものエピソードをつないでいく。エピソードが変わるたびに、ジョン・マッキンタイア、J・C・フリッペン、ロック・ハドソン、ダン・デュリエといった錚々たる名傍役(名優)がつぎつぎと顔を見せてくれるだけでも西部劇好きにはこたえられないゴージャスな一品。兄弟殺しという暗いテーマなのに、一時もユーモアを忘れない。西部劇はこうあるべきだろう。シリアス一辺倒の西部劇なんて信用できないぜ!
 シェリー・ウィンタースもいい。先住民に包囲された夜営のシーンで、鳥のさえずりがきれいだととぼけてみせるスチュワートに「先住民の合図でしょ」。銃を渡されれば「最後の一発の意味は知ってるわ」。マクナリーとデュリエが悪事の相談をする間、「散歩に行く」よう言われ、ふてくされるようすもおかしい。先住民の襲撃を受けた際に自分を置いて逃げようとした情夫(チャールズ・ドレイク)に投げる軽蔑のまなざしもかわいらしい。情夫へのあてつけから、自分を助けた騎兵隊のベテラン、J・C・フリッペンに抱きついてキスをする。「おれがハンサムだからキスしたんだろ?」といかつい顔のフリッペン。その後、別れ際にもう一度キスをし、「あんたがハンサムだからよ」とウィンタース。粋だ。いっぽう、ウィンタースのダメ男の情夫は、愛人の信頼をなんとか取り戻そうとそれなりに努力するが、恥を上塗りしたうえでけっきょくぶざまにころされていく。デュリエに拳銃を向け、逆に撃ち殺されて I tried...と言いかけて事切れる(字幕では「おまえ(ウィンタース)を守ろうとしたんだ」みたいに言葉を補っていた)。この男なりにがんばったんだね。首が太く顔がデカいミラード・ミッチェル。「トランプと同じスペード」と自慢げに名乗ったりする。一度だけ帽子をとって、ハリー・ケリーJr.ふうに少ない頭髪をギャグにする。デュリエの犯罪仲間にアブナー・ビバーマン(『ヒズ・ガール・フライデー』『サボタージュ』『レオパード・マン』)、騎兵隊の一員に若きトニー・カーティスの顔も見える。

アンソニー・マン乗り出す:『流血の谷』

2012-09-23 | アンソニー・マン
 ウェスタナーズ☆クロニクル!! No.7

 『流血の谷』(アンソニー・マン監督、1950年、MGM)

 50年代アンソニー・マンによる一連の傑作西部劇群の出発点。ジェームズ・スチュワートと組んだ第一弾『ウィンチェスター銃73』が先に公開されたが、それより前に撮られていた。

 顔を黒塗りにして白目をぎらぎらさせたロバート・テイラーが怒れる先住民を演じる。舞台はワイオミングの雪山を望む広大な原野。南北戦争から名誉の帰還を遂げると、法律が変わり、先住民の命である先祖代々の土地が奪われそうになっていた。テイラーは新米女性弁護士(ポーラ・レイモンド)の協力を得て、ヤンキーに反旗を翻す。

 重厚で陰鬱、崇高でスローテンポな本格悲劇。『シャイアン』みたいに禁欲的なプロ・ネイティブ・アメリカン的西部劇(米盤DVDのパッケージにもあるように、『折れた矢』と同年の作品で、この手の走りの一本)。起伏に富んだ展開を期待すると裏切られる。ただし、打ち上げ花火のようにダイナマイト連発する戦闘シーンはカタルシス抜群。テイラーとレイモンドとは心を通い合わせるが、人種の壁によって精神的な結びつきが強調される。

 そのかわりと言うのもへんだが、ジョン・オルトンのキャメラがゴージャスのきわみで、まったく退屈しない。フィルム・ノワールの巨匠ならではの、影を強調し、逆光を多用したコントラスト豊かなモノクロ画面。窓やドアから差し込む光、土埃や煙をドラマティックに使っている。酒場のシーンなど、シャープな縦の構図が迫力満点。仰角が多いが、背景を真白のままにせず、たとえば天井に映る窓枠の影、屋根に飾られた車輪のオブジェといったなんらかのヴィジュアルモチーフを映し込んで構図に緊張感を導入する工夫が一貫してほどこされている。重厚でゆるやかな移動撮影にもほれぼれ(仲間の作業を見て回るテイラー、ラスト近く、銃撃に身をさらしつつ騎兵隊のほうにゆっくりと歩いていくテイラーのロングショット)。何度かインサートされるポーラ・レイモンドのアップで瞳に煌めくお星さまもとてもきれいに出てる。やわらかな陽光が一面に注がれた起伏のある平野、微風になびく葉叢、逆光を孕んだ雲。北西部の空気の肌触りが伝わってくるような風景の切り取り方もすばらしい。

 ラストは瀕死のテイラーが棒のように画面手前にどうと倒れ込む。テイラーといえば、リチャード・ブルックス『最後の銃撃』のラスト、(たしか)仁王立ちしたまま凍死体となった形相もすさまじかった。意外と西部劇と相性いいのかも。

 人種主義的な法律家にルイス・カルハーン。酒場での喧嘩に目を輝かせて身を乗り出し、ひじでウィスキーのボトルを倒すが気に留めない。この人物の倒錯性を示す好ディティール。テイラーの父親役、チーフ・ビッグ・ツリーの面構えも見事。

 よろこばしいことに、まもなく日本版DVDがリリースされるようだ。