「情操とはゆるがぬ根源的感情である」はある先生のことばです。
情操教育という言葉を、近頃耳にしなくなりました。
人々の感情から、根源的なものが抜け去り、かわいい、すごい、やばい、やったーと、そのときどきの、うわつらのありさまだけが、雲のように、浮かんでは消え、またすぐ霞む、そんな繰り返しだけになってしまっているようです。
鋭敏になったのは感情よりも勘定です。
勘定と言えば、電卓は、福引やお土産にも使われるほど種類が増え、安価になりました。
暗算力はどんどん弱くなります。
机の引き出しにいつも入っている関数電卓が、どういうわけか早く電池切れ症状になりました。
こういうとき、パソコンが動いていれば、「アクセサリ」にある「電卓」を使えばよいのに、なぜか電池を取り出して電圧をはかってみたり、次に出かけたときに忘れずに買ってこようと、電池の型名を控えたり、勘定とかかわりのないことを始めます。
たまには「電卓」を使ってやれば、スタートの仲間に自然に入り、探さなくてもすぐ使えます。
あ、これWindows 8 ではどうなっているのでしょうか。