うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

一字空けるのもやはり文字違い:2

2013年09月30日 | 忘れかけていたこと

コマンド記号の文字を間違えないようにするには、単語登録が確かな方法です。
アドレスバーにかなを打ち込めば、そこで直接変換できます。
変換で出てくる文字なら間違いはありません。

呼び出すかなを間違えた場合には、それらしいものさえ出てきませんから、登録のときによほど手の込んだ珍登録をしてさえなければ大丈夫です。

これは便利、と思いましたが、うかつのホネが見つかりました。
自分のパソコンならデスクトップにアイコンがありますから、そんな必要もないのです。

この方法は、偶然出会ったパソコンに、アイコンが見つからなかったときにこそ役立つのでした。
役立てるには、それが登録された I MEを動かさなければなりません。
単語登録は自分だけのものだったのに、バカですね。

こういう場合に、クラウド上に預けておいて共通利用できる仕掛けがあると便利なのですが、何かよい方法はないものでしょうか。

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一字空けるのもやはり文字違い

2013年09月29日 | 忘れかけていたこと

ブラウザのアドレスバーに shell:Personal と入れてやると、「マイドキュメント」のフォルダーが現れます。

そのつもりでやってみたら、「マイドキュメント」ではなくお断りのメッセージが出てきました。
あれ? とよく見ると、「:」コロンのうしろにスペースが入っています。

メールの返信では「Re: XXXX」とコロンのうしろにスペースを入れます。
ツイッターのハッシュタグのうしろにも「 #YYYY 」とスペースを入れます。
その癖がつい出てしまっていたのです。

コマンド記号の文字は、一字違いでも言うことをきいてくれません。
続けて書くところにスペースが入っても、文字につながったスペースは一字分と数えられ、なかったことにはしてくれません。


うっかりスペースの間違いをなくすついでに、スペルの間違いもなくせる方法を思いつきました。
変換の活用です。
shell:RecycleBinFolder を「ごみばこ」で、
shell:Personal を「まいどきゅめんと」で、
IMEに単語登録をしておけばよいのです。

これなら忘れ癖にも空け癖にも効き目があります。

しかし、これには一つ盲点がありました、さて。

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ひと声で出てきてもらえるように

2013年09月28日 | 忘れかけていたこと

ブラウザのURL書き込み欄に shell:RecycleBinFolder と入れてやると、「ごみ箱」フォルダーが現れました。
shell:XXXX というコマンドは、そう呼びかけると、プログラム名を指定して起動する仕事をしてくれる号令のようです。

ただし、プログラムなら何でもかでもというわけではなく、決められた号令をそのとおりにかければそのとおりに動くということなのです。
「右向け 右」と言えば右を向きますが、「右を向いて」では言うことを聞きません。
下を向かせる号令も、決められていないので通用しません。

どういう号令が決められているのか、一覧表はこちらにあります。
 ⇒ http://p.tl/Wzq0

shell:Personal という号令では、「マイドキュメント」あるいは「ドキュメント」という看板のかかった、自分のデータの倉庫の入口に案内されます。

このフォルダーは、これまでの普通の形のデスクトップなら、必ずそこで見つかるようになっていましたが、それを見せずにわざわざ回り道を作ったり、別に名前をつけたりした、ちょっと変わった趣向のデスクトップもあって、面食らうこともあります。
こんなときに、「マイコンピュータ」あるいは「コンピュータ」からヒエラルキーをたどって探し出すのは厄介なものです。

shell:Personal というひと声で出てきてくれれば至極簡単、これは覚えておくと便利に使えそうです。

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ブラウザはインターネット用だけではなかった

2013年09月27日 | ソフトいろいろ

山地のブナ林が育たないそうです。
シカがブラウザになって、若芽をかじりとってしまうからと言われます。
シカのほうは、そんなことはしかとわかるまいと、シカトをきめこんでいます。

ブラウザには、かじりとって食うもの、拾い読みをするものなどの意味があって、インターネットをチョコチョコ見るための道具だと思っていました。

ところが、それはやや狭い考えだったようです。
「ブラウザとは”情報をまとまった形で閲覧するためのソフトウェア全般”のこと」という説明もあります。

そう、ブラウザで見ることのできる範囲は、インターネットに限らなかったのです。
自分でホームページを作ったとき、アップロードの前に出来具合をブラウザで見て確かめますが、その場合は .html ファイルを見るので、ブラウザを使うのはあたり前だと思います。
しかし、インターネットとは無関係のことにもブラウザを使えるのでした。

試みに、ブラウザのURL書き込み欄に次の文字をコピペしてみます。

 shell:RecycleBinFolder
[Enter] を押すと、「ごみ箱」がそっくり現れました。

ブラウザは、フォルダーを抜き出してみる閲覧室のように使えるのです。

ここで二つのことに気付きました。

「ごみ箱」はフォルダーの名前だったのです。
こんな当たり前のことに気づいていなかったのが不思議です。

もう一つ、リサイクルとはごみをまとめたり移動させたりすることだったようです。
そう言えば、リサイクル法と呼ばれる法律も、用済みのごみを分別、回収、処理について決めています。
ごく一部のデータを、もう一度使う場合にごみ箱から引きずり出して元に戻す以外、ごみ箱から先は消えて見えなくなるのでした。

リサイクルとは、大部分が消えてなくなることだということがわかりました。
物品の場合、消えてなくなるものにお金を取られるのが、これまた不思議なことです。

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上げることと揃えること

2013年09月26日 | 千差万別

ものごとの水準には、まったいらにすることと、差を認めること、この二つ意義があります。

建物の床はまったいらでないと中での生活が落ち着きません。
外壁や窓枠を、わざわざ斜めにした建物もときどき見かけますが、それでも中の床面はまったいらでしょう。

土台のほうは高さに差があっても、そこに合うように建てれば、設計施工技術でかたがつきます。
表口から入ったロビーが、裏口から入ると二階になっているという建物は、山里のホテルなどにいくらでもあります。


教習することがらも、義務教育や検定講習などでは、できあがりがある水準以上にならなければ成果にはなりません。
しかし、成人相手の講習会のような場では、みなが同じことができるようなることを望んでも、得られるものは落胆でしかないでしょう。

パソコンの取り扱いなども、用途の幅も水準も、深浅広狭お構いなしに作られていますから、使う人がこれだけできればと思うところまでいき、その上ごくわずかに、こんなことまでできるのかとさとってもらえれば、一般の個人用には十分ではないかと思います。

あまりにも高度のところまでわからせようというのは、はじめから無理なのかもしれません。
反対にある水準以上でなければ相手にしないというやりかたは、思い上がりとも言えるでしょう。
見ているだけのおまかせが、自分でできるようになる、そんなちょっとだけのことで、ひとは嬉しいものなのです。

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ITの常識と社会・生活常識のはざま

2013年09月25日 | 千差万別

「いまさら聞けない用語辞典」というサイトがあります。
 ⇒ http://p.tl/U_VL
「いまさら恥ずかしくて人には聞けない用語やキーワードの意味を分かりやすく解説!」と書かれています。

メニュには「インターネット・パソコン(7)」という項目があって、何だ聞けることは七つしかないのかと早合点しそうですが、そうではありません。
それぞれの項目の説明からリンクが張られていて、その先にもリンクがあって、そのまた先にもと、どこまでも広がっていきます。
こうして、顔も手も動かさず、動くのは指先だけで、別の資料がすぐ目の前に現れます。


「いまさら聞けない・・・」とは、何がそう言わせるのか、それは多分「常識」という言葉なのでしょう。
用語辞典が枝分かれしているように、現代の常識はひととおりではなくなりました。

どう考えてもおかしなことが常識とされ、人々はみなそのとおりのことをあたり前のようにやっています。
一例がゴミの分別です。
別々に運ぶ仕事を作るため以外に、分けなければならない理由の見つからないことでも、規定ができれば、面倒なと思いながら生活習慣に組み入れてしまいます。

普通に考えれば、こんな道理に合わないことでも、社会・生活常識になっているのですから、次々に新しいことが考えられていく I Tの世界で、知らないことがあっても、それを恥じる必要はまったくありません。

赤くなった顔を見せなくても、教えてくれる人はどこからともなく現れます。
ただし、その答にどのくらいの信頼性を期待できるかという疑問は付いて回ります。

まあ、やってできないことでないムダごとなら、ゴミ分別と変わらないので、あきらめもつきやすいでしょう。

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戻ってみる位置の見極めはむずかしい

2013年09月24日 | 千差万別

相談会で、ある方のパソコンが、突然文字入力不能になりました。
ネット接続設定中でしたが、ルーター選定のキー番号が書き込めない状態です。
メモ帳を起動してみましたがそこにも入りません。

助けの神のTさんを呼んで触ってもらったらすぐ直ったようです。
パソコンの持ち主には、なぜそうなったかわからずじまいです。

動かなくなったら、その操作をやめて元に戻ってみるのがよさそうです。
でたらめ、がむしゃらに前に進んでも、抜け道は見つかりません。

戻るとき、一歩にするか、初めからやり直すか、そのやり直しも再起動まで戻るか、その見極め方にマニュアルはありません。


手を動かす前に、深呼吸、そしてどういうときにそうなったかを考えてみる、それを重ねればトラブル解決法が身についていきます。
考えてもわからない、それはあたりまえです。
わからないからでたらめに動かしてみる、それでは生きたあわびを突付いたり叩いたりするのと同じ、パソコンの動きをますます固くするばかりです。

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そっくりまとめて持ち歩く

2013年09月23日 | ソフトいろいろ

パソコンは、外に持って出なくても借りて使うことができます。
しかし、自分のデータは外では借りられません。
自分のデータを見るためのアプリも、個人情報の絡むものはアカウントが必要ですから、どれでもというわけにいきません。

Webに預けたデータは、借りたパソコンからログインしてデータを見ることもできますが、ログアウトをうっかり忘れると、裸で電車に乗るような無様なことにもなりかねません。

こういう面倒なことにならないためには、アプリもデータもそっくり入れて持ち歩けるUSBメモリが手軽です。

「USBメモリに入れると便利なフリーソフトのリンク集」が NAVER に載っています。
 ⇒ http://p.tl/teE7

これに気付いたのは、メーラーを持ち歩いているというTさんのお話からでした。

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遠隔操作ウイルス事件の変な話

2013年09月22日 | 千差万別

コンピューターウイルスはプログラム技術によって作られます。
生物が脅かされるウイルスが生まれるのは、おそらく突然変異ですが、コンピューターウイルスは自然発生はしません。
仕組まれて作られるものには、仕組む人間がいます。
コンピューターウイルスを仕組んで喜ぶ人間は、なぜか放置されています。
コンピューターがだめになる程度なら、新しいものが売れるからよいと思われているのでしょうか。

ウイルスと趣きを異にしたサイバー犯罪では、襲撃や殺人など物騒な予告をされますから、こちらは仕組んだ人間を放っておくわけにはいきません。
仕組んだ人間の特定には、プログラムを動かした証拠がなければなりません。
汎用アプリでないプログラムを使うには、プログラム技術が必要です。
その技術を持った人が、ある日あるとき犯罪に及んだという証拠は、凶器や着衣と違い、モノの形が見えません。

想像を含んだ話はどこかで辻褄が合わなくなります。
合わない辻褄は、そのことが実態として残ります。
 ⇒ http://p.tl/t1zB (40分近いので腰をすえて、どうぞ)

犯人の目的は、襲撃や殺人ではなく、世情を混乱させることなのかもしれません。

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Windows 8 はOSなのか

2013年09月21日 | ソフトいろいろ

OSという名は Windows 7 までのものではないか、ふとそんな気がしました。

オペレーションというのは能動的なことです。
コンピューターを使って何か仕事をする意味が根底にあったと思うのです。


Windows 8 は、オペレーションではなくフィーリングを楽しむことが中心になっているシステムに見えます。

これはもう、OSと呼ばずにFSと呼んだほうがよさそうですが、いかがでしょうか。

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ボタン派とキー派

2013年09月20日 | 千差万別

ボタンとリボンという古い歌があります。
終わり近くに、そのころは多分名前がなかったラップ調の部分があります。
そこには歌詞の区切りと繋ぎに難しいところがあって、巧く歌えずムニャムニャとなってしまいます。

こんなことをふと思い出したのは、パソコンの操作には、ボタン派とキー派があるのではないかと思い始めたからです。

ボタン派は長めに押す人、キー派は叩く人です。
達者な人はそのどちらにも偏らず、軽やかに静かに扱います。
どこかに無駄な力が入ると、それを「派」と呼びたくなるのが不思議なところです。


範囲指定の仕方にもふたとおりあるようです。
範囲の始点から終点まで[Shift]キーをずっと押し続ける人と、[Shift]キーを終点の決定直前に押す人との違いです。

指定される範囲は、終点の決定が決め手になります。
[Shift]キーが押された状態でマウスの左接点の接触が解除される瞬間に終点が決まりますから、それ以前は[Shift]のON-OFFは無関係なのですが、なぜかボタン派らしい人は[Shift]キーをずっと押しっぱなしにします。

ことによると、ボタン派はものごとの経過に重きを置き、キー派は結果を重点に考えるという、思考習慣の違いがあるかもしれません。

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押してもだめなの

2013年09月19日 | 千差万別

キーとボタンの区別を気にかけない人が、タッチパネルを使うとどうなるでしょうか。
残念ながら手元にタブレット類を持たないので実験ができません。

[Shift]+[□]  この操作を、同時に押し続けることと思ってしまう人がいます。
どうしても[Shift]+[□][□][□][□][□][□][□]になってしまって、「あれれれ」となります。

[Shift]+[□]の「どっちが先ですか」は一度で氷解されますが、ここで一緒に押し始める瞬間の追求が始まると、たちまち苦悩に陥ります。

同時に押すのではなく、同時に押されている瞬間が入力完了であることに気付きにくいのは、キーとボタンの違いを感覚でつかめないことにありそうです。

何がそうさせたのか、それは自販機の罪ではないかと気付きました。
自販機のはじめはアナログ機でした。機械仕掛けの自販機は、ボタンをしっかり押さないと動かないこともありました。
それがデジタル機になって、ボタンと同じ形でありながら瞬間接触で動作するキーになったことには、説明もなければ気づくこともありません。

違うものを同じと思ってしまうのは、間違いとも言えません。
ボタンでないものをボタンと思ってしまうのは、掛け違いでもなし、何と言ったらよいのか、答が見つかりません。

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使わずにいれば忘れるキー操作:2

2013年09月18日 | 千差万別

ソフトがすっと立ち上がること、これはだいじな機能の一つです。
見たいときにパッと出てくる、いわば気合いのようなものです。

ふだん使わずにいると忘れるキー操作の一覧表も、「忘れた、ウー」などと時間を置かずに出てきてほしいファイルです。

Excel の表は、作るときは便利ですが、見るまでに何秒か待たされます。
1秒しか使わないものに10秒も待たされると、ずいぶんのろまに見えます。

やはりテキストファイルにはかないません。
作るときの面倒は我慢して、タテ棒とハイフン記号の組み合わせで表の形にし、キー操作の一覧表を作りました。

[Ctrl]+[Shift]+[Esc] を名前にしたショートカットで呼び出せるファイルの中身は、この一覧表なのでした。

名前と中身が一致しないではないか、そんなことを気にする必要はありません。
撮影番号のまま、何百枚もの写真を保存していらっしゃる方のことを思えば何のこれしきです。

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使わずにいれば忘れるキー操作

2013年09月17日 | 千差万別

パワ貧パソコンを酷使して、メモリーが詰まり動きが取れなくなったとき、タスクマネージャーというお助け役を呼び出します。
そのときはマウスも動きませんから、できるのはキー操作だけなのですが、それには三つのキーを押さなければなりません。
[Ctrl]+[Shift]+[Esc]
これでタスクマネージャーのお出ましとなりますが、キーも三つになると、何と何と何だったのか、何ヶ月かに一度しか使わないのでは覚えていられません。

そこで一計、デスクトップに直接書けるいちばん簡単なメモを思い立ちました。
中身は空っぽでもよいので、アイコンを一つ作り、その名前をメモにしてしまえばよいのでした。

何のアイコンか、必要なキー操作は何か、それを2行に収めます。
長すぎると尻尾が読めなくなり、省略が過ぎると意味がわからなくなりますので、そこで折り合いをつけなければなりません。

できあがったのが図のアイコンです。
ショートカットになっていますが、空でもよいと思いながら、実はテキストファイルにしてしまいました。
さて、何が書いてあるのでしょうか。

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水彩らしく描けるソフト

2013年09月16日 | ソフトいろいろ

Oさんの講習会で「ゆめいろのえのぐ」というソフトを教えてもらいました。
 ダウンロード ⇒ http://p.tl/ov28

水彩画のような着色ができます。
パレット、筆洗までついています。
驚いたのは混色ができることです。
パレットに作った色はそのまま保存でき、描いた絵に手を加えたいときに便利です。

ただし、混ぜて現れる色は、光の反射素材を混ぜるのではないので、絵具を混ぜたような色にはなりません。
赤と青は紫に似ていますが、青と黄は、どちらを先にしても灰色になってしまいます。

さて、なにか描いてみようとは思うのですが、なかなか手が出ません。
「考えているだけでは何も始まらない」ことの標本のようです。

興福寺の阿修羅立像の写真があったので、木炭で模写を始めましたが、とてもとても、いつになったらパレットに色が乗るか、前途遼遠です。

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