二つの画像が溶けるかのように、スルッと入れ替わるディゾルブ、入れ替わりの過程がはっきり見られずに結果が現れる。
入れ替わりのとき、衝撃的なことや大騒ぎをして見せる、政権交代などとは全く異なる技法。
二つの画像が溶けるかのように、スルッと入れ替わるディゾルブ、入れ替わりの過程がはっきり見られずに結果が現れる。
入れ替わりのとき、衝撃的なことや大騒ぎをして見せる、政権交代などとは全く異なる技法。
企画や映画・演劇などのあらすじ、これをなぜシノプシスと、わざわざ発音しにくいカタカナ語にして使っているのか。
あらすじと言うより多少上等に聞こえるからだろうか。
スチャラカ喜劇にシノプシスはしっくりこないと思うのだが。
これを呼び分ければ、片方の人は、多分差別だと文句を言うだろう。
香盤表とは、TVや映画の世界では撮影計画の表。
香道での香盤と、升目になっているところだけが似ている。文字に惚れて名付けたのか。
「順序」という要素のみに、その名前とのつながりが感じられる、それもかすかに。、
縁起ものなのだろうか。
映画が始まる。
人物も背景も現れず、黒地に白字の字幕が延々と続く。
映っているのはクレジット、そこには出演者、スタッフの名がずらずらと並んで示される。
そこから目当ての名前を見つけ出せるのは、本人か契約の関係者だけだろう。
カナで「クール」、続き物番組の放送期間の単位にこの言葉を使うのは cours というフランス語。
ドイツ語では Kur が治療の期間、英語では cool が期間とは全く無関係な冷たいとか素敵なとか形容の言葉になる。
もともと違う言葉だから、比べて見ても無意味なのだが。
「技打ち」の3文字を初めて見れば、「わざうち」と読む人が多いだろう。
これは「ぎうち」と読む、技術打ち合わせの略語だから。
わざは個人のもの、打ち合わせる技術はグループのもの、技を「わざ」と読ませないわけが、そのあたりにもありそう。
ちょっとこじたかな。
キューシート、きっかけの表、合図の表とは何だろう。
キューは、出されるたびごとの所作だけではなく、曲、劇、番組総体の節々に示される合図の集合体の意味を持っていそうだ。
キューシートは番組の進行表と、簡単に片づけてしまうと、ちょっと意味がずれそう。
通常は、番組の開始から終了までの構成を、秒単位で記し、これを元に番組の時間割が構成されていたり、この記録によって、著作権使用料の徴収・分配に必要な資料となったり、役割は広く厚い。
終わってしまえばただの紙切れ、というとこでもなさそうである。
違う場所、別の時間、画面を繰り返し入れ替えるカットバック。
むやみやたらにこれをやられると、話の筋が読めなくなる。
訳がわからなくするのが俺の流儀だとばかりに、下手な筋書き屋さんや偉そうな監督さんがカットバックを乱用すると、ただ目まぐるしいだけの映画が出来上がる。
話の中身のつまらなさを、技法で補って見せようとする近頃の映画には、こういうものがときどき見られる。
TVで、CMがかたまって放送されることがある。
CMの放送時刻をあらかじめ決めてないと、こういうことになるのだろうか。
アンタイム、変な言葉だが、ないことを言い表すのはむずかしいもの、こうなるのかなあ。
一つの番組に複数のスポンサーが共同提供することを「あいのり」と呼ぶ。
TVでその紹介画面を見ていると、お互いにまったく無関係な会社が一緒に出てくることがある。
いちいち覚えてはいないが、それが面白いと思うときもある。
イベントに向いた格好のロケーションが得られるところを捜して歩くロケーションハンティング、縮めてロケハン。
これぞというロケーションが見つかっても、もうそこに行く必要はなくなった。
ロケーションを上手に持ち帰る、take away でよくなったから。
そうなると、ロケハンではなくロケテカとでもなるのかな。
画面を横からふき取るように消す場面転換技術、それがワイプ。
それにまた、VTRが流されている間に、出演者を見る側として出して見せる小窓もワイプだそうだ。
まさか、気に入らない出演者を画面から追い払う気分でそう呼ぶのではないと思うが。
放送局の本社と支社、あるいは本社とスタジオ間で往復する宅配便の箱。
放送素材や書類を運ぶ重要な箱。
これをバッグ便としている解説がある。
箱でもバッグと呼ぶのだろうか。
そうか、バッグが袋の中身を指すこともあるように、箱の中身が袋入りなら、それもバッグだった。
バイク便と言ったのでは、中身は何でもということになるから、運ぶ人はバイク便、運んでもらう人はバッグ便、どう聞こえても、頼むよ、ホイ来たで通じればよさそう。
放送素材でも書類でも、電送ができそうに思う昨今、まだバッグ便は忙しく往復しているのだろうか。