前に「クラウド・コンピューティングは、どこかに置かれたサーバーが健在であってこそのもの」と書きましたが、サーバーのありかはむやみに知られては困るのです。
所在不明、これがクラウドの強さなのでしょう。
グローバル文明、これを文明と呼んでよいかどうかはおおいに疑問なのですが、それを主導する人が自ら名乗り出ることはありません。どこの誰と報道されることもありません。
地球全体をある一地点から見ることができないように、クラウドの総体も、われわれの単眼では、これがそうなのかと見ることはできないのです。
たとえば、Googleは、世界中のデータセンターに大量のサーバーを持っていて、それがみなつながっています。
利用者は、世界中のサーバーからデータを取り出すような錯覚に陥ります。
山の上の雲の中で、口をパクパクしながら、これは向こうの里にいたXXちゃんが吸っている空気と同じだと思うような、滑稽な感覚です。
レンタルサーバーという、われわれでも所定の料金を払えば使えるものがあります。
その大型のものがクラウドになっていると考えれば、単純でわかりやすいのですが、そんなものではありません。
もしそれがクラウドを名乗っても、看板だけの似て非なものでしかないでしょう。
床屋の商売は街頭でもできますが、そこにYY理髪店と看板を出しても、それをお店とは呼ばないでしょう。
どこかの会社からメールが来て、こんな主意のことが書いてありました。
「サーバーの故障でしばらく運用が止まりました、一部の加入者のデータを喪失しました、ごめんなさい、このメールの届いている加入者は故障範囲外にあります」
文字を整理して要約すると、サーバーの故障で被害をこうむった登録相手には伝わらずに、他の相手に謝罪するという珍謝メールになります。
複数登録してくれてあれば、そのどれかで読んでもらえるかもしれないという、ご都合計算もあるかもしれません。
こういうのは、立派な顔をしてクラウドを名乗っても、風が吹くたびに雲はどこかに飛んでしまいます。
うっかりすると、かつらや化けの皮も飛ぶかもしれません。